36 会合
「二人とも、気を付けるのよ」
「無理をするんじゃないぞ」
「お父様、お母様。心配なさらないでください」
両親はアンリエットとシメオンを心配そうに見つめた。
これから、魔物討伐へ出発するからだ。
母親はアンリエットを抱きしめて、それからシメオンを抱きしめる。父親も同じく、二人を抱きしめた。
「無事に帰ってくるんだよ」
父親の言葉に頷いて、アンリエットは馬にまたがり、歩みをはじめた。
「連れていかれないように!」
離れれば、母親は叫んで、今にも泣きそうな顔をしていた。
「お母様は伯父様のことを今でも連れていかれたと思っているのね」
「母上にとって、それが一番納得できることなのだろうね」
そんなに心配しないでと言っても、久しぶりに帰ってきた娘が今度は討伐に出かけるというのだから、心配するなと言う方が無理なのだろう。
(普通の討伐とは違うもの。心配になるわよね)
母親にとって、パルシネン家領地のあの山は、兄を失った場所なのだ。
そんな母親の心の中を考えていなかった。気軽に討伐に行くと言えば、真っ青な顔をしたのを思い出す。
(そういえば、フラン様も似たようなことを話していたわ)
『精霊が人間を見捨て、魔物と戦う日々を迎える。その精霊が帰った場所』
それが、パルシネン家領地にある山だ。精霊が帰った場所。そこに伯父マルスランもいるのだろうか。
「急ごうか。あちらは戦いが始まっているようだからね」
シメオンの言葉に頷いて、馬の腹を蹴る。
ヴィクトルの魔物の確認という名の視察はうまくいき、問題が起きてくれたおかげで違法者たちを取り締まる事ができた。当初の目的は監査であって、魔物の確認は二の次だったのだから、功を奏したと言える。
だが、魔物の増加は差し迫った問題で、違法な宝石の売買を調べている間に魔物の増加が警戒すべきレベルまで上がり、両国での討伐を行う事が決まった。
パルシネン家領地では村への被害が出たらしく、エダンたちスファルツ王国の者たちが先頭を切ってすでに戦いが行われていた。共同討伐より先んじたが、話し合いをもうける必要があるため、アンリエットたちは安全な道を使い、彼らと落ち合う予定だ。
城からゲートを使い、国境付近まで移動し、そこから馬で国境まで進む。
十年に一度の周期の魔物の増加は、放置すれば大きな問題を生む。歴史の中では、都近くまで移動した魔物もいた。本来ならばその領地で騎士団が押さえるべきことだが、それを突破することもあるため、周囲の領地も討伐に参加する。
十年前、スファルツ王国ではいくつかの領地の騎士団が協力して討伐に向かった。その指揮を執っていたのが、伯父マルスランだった。
今回はエダンが指揮を執るのだろう。
すでに、どのように動くのかの意見交換は行われている。
どちらから動き、どうやって魔物を追い詰めるのか。山に押し込むように討伐を進めるので、一定の場所まで追いやる必要がある。方法は前回と同じ。当時戦った記録が残っているため、それを参考にして戦いに挑む。
クライエン王国も同じく領主が騎士団を出すが、今回シーデーンの不祥事があったため、王宮の騎士たちも多く出立した。この指揮はヴィクトルが執る。
会合にはエダンとヴィクトル、その他領地の騎士団長や魔法使いが顔を合わせることになった。
「なぜあの女がまだいるんだろうね」
「お兄様」
テントが設置されている広場で、会合のため一つのテントに入っていく者たちを眺めていれば、テントの外で控えていたシメオンがボソリと言った。
一国の王女相手に、あの女呼びは不敬だ。アンリエットがたしなめると、肩をすくめる。
「あのブローチを着けたままだね。エダンの野郎は、あの王女を囮にする気だろうか?」
エダンと一緒にいたセシーリアが、テント入り口でヴィクトルに声をかけている。セシーリアはパンツ姿ではあったが、花が飾られたツバの広い帽子を被っており、首元はレースのリボン。胸元にあのブローチをつけていた。
戦いに参加しないと言わんばかりの装いをしている。討伐に参加しても、戦うことなく待機するつもりなのだろう。
だが、セシーリアが魔物を呼び込むことになれば、エダンたちの負担が多くなる。それを考えての布陣にした方が良い気がする。魔物の増加がある状況で対応できるのか、不安だ。
「こっちを見なくていい」
シメオンが呟く。エダンがこちらに気付き、首を垂れたからだ。
前に会った時からそんなに時間が経っていないせいで、エダンの言葉を鮮明に思い出してしまう。言葉通りと言うべきか、エダンとセシーリアの婚約は破棄された。
(本当に、王配を選ばなくても良いのかしら?)
王配にならず、エダンは目的を遂行できるのか。
エダンがいなくなれば、いよいよもってスファルツ王国は傾きはじめてしまう。王もそれを危惧したのだろうか。それともエダンが説得したのだろうか。
セシーリアとの婚約が破棄され、それでも討伐の指揮を執るのだから、王からの叱責は少なくて済んだのだろうが。
婚約破棄を聞いた時、本当にそんなことになるとは思っていなかった。エダンにとって王配とは、未来を左右する大切な鍵だからだ。
王を引きずり下ろしたいのだと口にしたことはなくとも、それを望んでいるのは気付いていた。だからアンリエットの婚約者を長い間続けていたのだから。
その権利を、本当に手放すとは。
前のエダンであれば、どんな手を使っても王配に固執しただろう。
(王女を危険にさらした罪で、婚約が破棄されたと聞いているわ。でも、エダンだったら、それくらい回避できたでしょう?)
王への説得のためのネタなど、エダンならばいくらでも考えつく。念入りに考えれば、婚約破棄を避ける方法はあったはずだ。
それなのに、婚約破棄は決まった。
(私はどうしたい?)
エダンの助けになれれば良かったが、今のアンリエットではエダンを助けることはできないのだ。
足手まといにも、役立たずにもなりたくない。
たとえエダンの手を取ることになっても、アンリエットは何もできない。
(側にいるだけでいいなんてことはない。邪魔にだけはなりたくないの)
考えても答えは出ない。ヴィクトルのこともあって、未だ整理がついていない。
ヴィクトルとは、あれっきり二人になることはなかった。宝石の調査で話はしたが、広間に多くの人が集まっていた時のことだ。静かな場所で二人で話す機会はない。
機会があっても、ヴィクトルとのことをどうするかまだ考えていないのだから、答えはまだできていない。
(私、優柔不断だったのかしら)
テントに続々と人が集まる。パルシネン家の騎士団長と魔法使いの長がアンリエットに気付き、深々と頭を下げた。
(もう王太子代理ではないのに)
手を振って応えて、アンリエットは微笑んだ。彼らが未だアンリエットに敬意を払ってくれることに、心から感謝したい。
そう思っていると、もう一人、体格の良い男がテントに入っていった。後ろにもう一人。細身の男だ。
「お兄様、先程の二人が、メッツァラ家の騎士団長と魔法使いの長です」
「覚えておくよ。シーデーンが捕えられたことは耳に入っているかな」
「おそらく」
「なにもせずに大人しくしていてくれるといいのだけれどね」
伯父マルスランのブローチ。それについてエダンから調べが届いていた。
製作者は平民の技術者で、王族が抱えている無害の者だ。だが宝石の出所はシーデーン家と繋がりのある宝石店。他国から輸入した宝石を使用していた。そして、それを手に入れたのはメッツァラである。いくつかの宝石店を経由して、技術者に渡されていた。
前回の討伐ではメッツァラは騎士団の参加を拒否していた。当時はマルスランに追いやられたから、嫌がらせのためと言われていたが、ブローチのことを知っていればその気も起きないだろう。マルスランに魔物たちが集まるのがわかっていたのだから。
けれど、今回、騎士団と魔法使いを参加させる。セシーリアがブローチを着けていることを知っているのに。
「目的でもあるのかな。アンリエット、戦いになったら、僕から離れてはダメだよ?」
「お兄様こそ。私から離れないでくださいな」
メッツァラは要注意だ。シメオンはあの顔を忘れないようにと、他の騎士たちにも伝えた。
「では、そのように」
会合が終わり、騎士団長や魔法使いの長たちがテントから出てきて、各々の仲間のところへばらばらになる。ヴィクトルもやエダンたちも出てきて、討伐が始まることを肌で感じた。空気が緊張で包まれているのがわかる。
エダンはセシーリアの後を歩いたが、一瞬、ちらりとアンリエットに視線が届いた。目配せした方向に、疑うことなくアンリエットは進む。
「アンリエット?」
「後で話します。先に行っていてください」
シメオンを後にして、アンリエットは茂みに進んだ。人から見られない木々の陰でたたずめば、すぐにエダンがやってくる。
「アンリエット、」
「何か心配事でもあったの?」
あの目配せは危険を知らせるものだ。長年の付き合いで、見る方向で何を伝えたいのかは大体わかる。何もない場所を示したのだから、そこにいろという合図だった。
その通りと、エダンは注意を口にした。
「メッツァラが怪しい動きをしている。目的はわかっていない。私かもしれないし、お前かもしれない。別のものかもしれない」
「気付いていたわ。今回、騎士団長と魔法使いの長が来ていたから」
考えていることは同じ。エダンはフッと口端を上げる。
(あ、)
「アンリエット?」
「いえ、シーデーン家の恨みを晴らそうというわけではないのだろうけれど、こちらも気を付けるよう注意喚起しておくわ」
エダンは頷く。
「それと、王女が持っている物は宝石だった。胸元に隠している。マーサが確認した。何の魔法がかけられているかはわかっていない。あの女はヴィクトル王太子を狙っているから、お前に矛先がいくかもしれない、できるだけ、気を付けてくれ。自分を育ててきた老婆を殺した可能性があるから」
ヴィクトルを狙うというのはシメオンから聞いていた。王子と結婚したいがために、婚約破棄を喜んでいるだろうと。アンリエットが婚約破棄された時とは違う、ただ欲望だけに忠実な身勝手な婚約破棄だ。
そこに怒りを持ったのは、
(この人を、ないがしろにしたからだわ)
エダンはアンリエットを見つめた。前よりずっと雰囲気が柔らかくなっている気がする。
笑うのに、目元まで笑むことなんて、今までなかった。
「育ての親のような人を殺したというのならば、攻撃性のある宝石の可能性があるのね」
「魔物から逃げてきたと言うが、何から逃げてきたのか。一人だけ生き残ったのだから、余罪は多いだろうな」
「エダン、気を付けて。彼女はブローチを持っているのだから」
「お前こそ。……もし、何かあれば、」
エダンは言葉を止めた。けれど、その先の言葉はわかっている。アンリエットは大きく頷いた。
「何かあれば、いつも通り、」
それだけ言えば、お互いにわかる。
同じようにアンリエットが口にすれば、エダンは柔らかな微笑みを浮かべた。




