31 追跡
光の粒をたどって、エダンが馬を走らせた。
どうやってアンリエットが連れ去られたのか。そんな理由を考える余裕がないほど、エダンを乗せた馬は速さを上げて駆けていく。
ヴィクトルはその後ろを見失わないように追った。たどり着いたのは、あの道だ。
光の粒はくるりと山の中を一周して、元の道に戻っていた。馬車は旋回して屋敷に帰ったのだ。
「アンリエット! どこだ!?」
エダンの叫びに、ヴィクトルは剣を抜いた。血生臭い。それと、焼け焦げたような匂いが充満して、血の気が引きそうになる。
(アンリエット嬢は一人で魔物を相手にできるのか? 剣を持っていたのか?)
剣を持っていても、一人で対応できるのか。腕があるのは知っているが、魔物と対峙して無事であるかはわからない。
そんなことを考えるだけで、不安が押し寄せてくる。
明かりを灯し周囲を見ても、アンリエットの姿はない。馬が前に進むのを嫌がって、前足を上げた。魔物の死体が地面に転がっている。何体もの魔物が一体ずつ並ぶように倒れていた。それを見て、シメオンが途方に暮れたような声を出した。
「そんな、アンリエット。この多さ、どうなっているんだ」
夜だからとはいえ、魔物が多すぎる。元々こんなに多い地域なのか。時期的に増えているからこんなに多いのか。だとしたら、シーデーンの領地にもなだれてきてもおかしくない。だが、明るい内では魔物の姿を見なかった。夜だからこんなに多いのか?
「スファルツ王国のこの土地は、元から魔物が多いのか?」
シメオンが同じことを考えたと、エダンに問う。
「この地の当主から魔物討伐の援助を請われたことはありません。領地の騎士だけで対処できるはずなので、そこまで多くはないと認識しています」
「ならば、魔物の増加の時期でここまで多いのだろうか」
「何とも言えません。この土地の領主はスファルツ王国王太子殿下に追いやられた者です。城に援助を得ることなく放置している可能性もあります。ただ、それを考えると、魔物がこの道をたどり、クライエン王国へ流れることもあるでしょう」
「昼頃は魔物は見ていない。夜これだけ出てくるとしたら、昼でも出てくるはずだ。だが見なかった。前に一度援助を申し出てきたことはあったが、場所はここではない。国境を通り抜ける道の近くだ」
ヴィクトルが口を挟む。前に援助の依頼をしてきたのはシーデーンだ。場所は国境を通り抜ける道の近く、隣の領地に近い場所に魔物が現れた。この場所にも現れていたかもしれないが、道を知らせたくなくて報告しなかったのかもしれない。
「魔物の増加が見込まれる領地でも、これほどの魔物は出ていません。別の通りには魔物がおりましたが、ここまでではありませんでした。……なにかで呼び寄せたのか?」
エダンが最後に寒気のする言葉をつぶやいた。
(魔物をおびき寄せる? 餌でもぶら下げて血の匂いを充満させれば、集まってくるかもしれないが)
今あちこちに臭うのは魔物のそれで、アンリエットが倒したものだ。この匂いに集まってきたのならば納得だが、アンリエットを置き去りにして呼び寄せたのならば、怪我でもしているのではないのか?
そう考えただけで気持ちがせく。この魔物の数で怪我などした日には。
考えても埒はあかない。アンリエットを探すべく、できるだけ各々離れないように周囲を見回した。
「死体しかないな」
エダンは落ち着いた声でそう言った。そこまでアンリエットを心配していないのかと思うほどだ。あれほど焦ったように馬で駆けたのに、魔物の遺体を見て諦めたかのように見えた。
「くそっ。アンリエット。一体どこにいるんだ」
シメオンの焦りがヴィクトルにうつってくる。緊張して視界が狭まりそうだ。暗闇に魔物がいるかもしれないことへの緊張と、アンリエットがいないという焦り。どちらも混ざって、冷静でいられなくなる。
魔物の死体が見えなくなって、エダンは剣をしまうと、手のひらに風を集めた。
「何をする気だ?」
「こちらで見つけられないのならば、彼女に見つけてもらいます」
「どうやって?」
エダンの手の中に小さなつむじ風が起こり、それがだんだん大きくなっていく。周囲が風に流れて枝や葉が揺れると、その風が一気に空へと飛んだ。
上昇した風が竜巻のように巻き上がり、木々や葉が音を立てて大きく揺れた。
「すぐに返事が来るでしょう」
「返事? 何の返事だ」
言っていると、どこからともなく風が吹いた。その風が突風になると、それに交じり、白い光が飛んできた。
「なんだ!?」
光の魔法が木々を通り抜けた。まばゆい光は辺りを照らし、そのままヴィクトルたちのいる場所を通り過ぎて見えなくなる。
「あれは、一体?」
「行きましょう」
エダンが光が来た方向へ走っていく。何が何だかわからないが、エダンを追うしかない。
馬を走らせて進んだところ、森の中でまばゆい光を灯している木が見えた。
「アンリエット!」
「エダン。ここよ!」
「アンリエット!?」
シメオンが馬を降りて木へと走り寄る。アンリエットは一つの大木の枝に座っており、まるで何事もなかったようにするりと飛び降りた。重力を感じさせない降り方で、風の魔法で勢いを消したのがわかった。
(風の力をあんな風に使うのか。まるで精霊だな)
スファルツ王国で学んだのか、ヴィクトルは知らない使用方法だった。エダンが行った方法と同じなのだろう。
そんなことを思って、内心首を振る。今はそんなことを気にしている場合ではない。
「怪我は!? 大丈夫なのか!?」
「お兄様、大丈夫ですよ。怪我などありません。さほど強力な魔物ではなかったのです」
「強力な魔物じゃなくとも、あれだけの数を一人で倒したのかい!?」
「あの程度ならば、慣れたものです。それより、お兄様がいらっしゃるとは思いませんでした。殿下、エダンまで」
アンリエットがヴィクトルに顔を向けた。怪我はなさそうだ。ドレスも乱れておらず、いつも通りのアンリエットがそこにいて、ヴィクトルは肩の力が抜けた。こんな山の中で、何の怪我もないなど。逆に驚きしかない。
「一体、何があったんだ」
「シーデーン令嬢のお願いを聞いたら、置いていかれました。魔物に殺させたかったようですね」
「なんだと!?」
「帰り道は道標を残しておいたので問題なかったのですが、戦っているうちに靴をどこかに落としてしまって。仕方がないので朝になったら戻るつもりだったのです。ご心配をおかけして申し訳ありません。まさかいらしてくださるとは思いませんでした。よく印に気付かれましたね」
「気付いたのは、」
自分ではない。エダンの方へ向けば、アンリエットが眉尻を下げた。ヴィクトルには申し訳ないと謝りつつも、エダンへは、怪我があるのに、とエダンの怪我の様子を気にする。
「大丈夫だ。痛みなど、いっっ!」
「嘘ばかり言って。顔色が悪いわ。冷や汗をかいているじゃない。馬に乗れるような怪我ではなかったでしょう」
「だからって、怪我した部分を押すのか?」
「確認のためよ。帰りは手綱を持たないでくださいな」
アンリエットはぴしゃりと言って、エダンを黙らせる。エダンの馬の手綱を持つと、慣れた手付きでエダンの馬に乗った。馬から降りていたエダンは一度瞼を閉じて頭が痛いとでも言わんばかりの顔をしたが、諦めてアンリエットの後ろに乗った。
「もう魔物はおりませんが、念の為気を付けてください。戻りながらお話しします」
助けに来たのに、アンリエットはひょうひょうとしていた。エダンもまた、アンリエットが無事だとわかっていたのかのように、アンリエットを気遣う言葉を口にしない。
(魔物の死体を見たあたりから、急に冷静になっていた。なぜだ?)
「ベルリオーズは、アンリエット嬢が無事だとわかっていたのか?」
「魔物の死に方を見て、おそらく木の上に身を隠しているだろうと。空を飛ぶ魔物はおりませんから」
「魔物の死体を見て?」
「一人でいる時に多くの魔物に囲まれた時、行う戦い方です。風の力で壁を作り、一匹ずつ倒していく方法で、死体が一列に並ぶのです。それがぷつりと切れて、アンリエットがいなかったので、魔物を倒し終えて木の上に避難したと推測しました」
「防御を行って戦う方法ですわ。伯父が考えた戦い方なのです」
「それで、木に登っていると?」
「子供の頃ですと体力がありませんでしたので、最悪逃げる場所は木の上だと決めておりました」
アンリエットは爽やかに答える。子供の頃に決めたことは、エダンと共通の認識なのだ。長い時間を共にしてきた、その結果のようだった。
「あの魔法はなんだったんだ?」
今度はシメオンが問う。エダンが行った風の魔法と、アンリエットがいた方向から届いた魔法のことだ。アンリエットからあの風が見えていたのだろうか。あの暗闇の中、竜巻が起きても方向しかわからないだろうに。だが、アンリエットはシメオンに微笑む。
「エダンの魔力はわかっていますから、風で広がるように竜巻を起こしてくれれば、私が気付きます。次に私がエダンに気付いてもらえるように、光の魔法を送りました。木の枝にも邪魔されず、草にも邪魔されない高さで光を送れば、エダンは気付くでしょう」
(エダンの魔力に、気付く?)
その通りにエダンは気付き、光が来た方向へ走り、アンリエットを見つけたのだ。
「ですがまさか、あの印に気付いて迎えに来てくださるとは思いませんでした。あれは私が帰れるように残していただけで」
「自分で帰るための道標だったのか? どうりで、消えるのが早いと」
エダンが脱力したような声を出す。ヴィクトルも同じ気持ちだ。連れ去られたのに、自分で帰るための印を残しただけだったと言うのか。
「光を置いていけば諦めて屋敷に戻るかと思ったのだけれど、全く気付かなかったようで。光が小さすぎて手元の明かりで見えなかったのかもしれないわ。光が消えても、私にはわかるから、光は必要なかったのだけれど」
「どういうことだい?」
「アンリエットは、人よりも魔力を感じる力が強いのです。ですから、先ほども私が風の力を使うだけで、魔力に気付きました。同じように道標の氷が消えても、魔力に気付くのです」
「屋敷からここまでの距離で、自分が放った魔力が残ると言うのかい? それに気付ける??」
シメオンの問いはヴィクトルも疑問だったことだ。氷が溶けて光が消えてしまえば、魔力など残らない。残っても微かで、すぐに消えてしまう。消えてしまえば、その魔力が自分のものでも気付くことはできない。
だが、アンリエットはそれを感じられると言う。だから、エダンの魔力にも気付いたのだと。
(アンリエットは、思った以上に、規格外なのではないのか?)
まるで、王太子マルスランのように。




