27 態度
「では、ヴィクトル様はまだ婚約もされていないのですか?」
「ええ、まあ」
「まあ、信じられないですわ! とても素敵な方なのに」
「はは」
乾いた笑いをして、ヴィクトルは目の前に座っているセシーリアを見やった。
婚約者が意識不明なのに、ヴィクトルが部屋に訪れれば笑顔で迎え、今は世間話に夢中だ。
「私は、最初から婚約者がいて、どうして私の意思に関係なく婚約者が選ばれているのか、疑問で仕方がなくて」
セシーリアは何が言いたいのか、今の婚約者がどうして決まり、自分に拒否権がなく、どうやれば婚約破棄になれるのか。そんな意味に取れそうな愚痴を言ってくる。
「今回の討伐も、騎士たちがまともに動かなかったのは、実は、私の婚約者が、騎士たちをまとめてくださらなかったからで。驚いてしまいましたわ。まさか、こんなことになろうとは」
セシーリアは続ける。
「もしもあの場所で倒れたまま、誰にも見つからずにいれば、私は命がなかったでしょう。あんな崖下に落ちたのも、……私の婚約者が。いえ、彼はよくやってくれているのです。ですが、私の相手としては、少し、気になることが多くて」
そこで涙を浮かべて、弱々しく苦しそうな顔をする。
セシーリアはこう言いたいのだ。エダンのせいで危険な目に遭った。エダンが騎士たちを指示しないから、崖下に落ちた。つまりエダンは無能で、自分には似合わない。
(この茶番は、何だ?)
アンリエットがエダンを見つけた時、エダンはセシーリアをしっかりと抱きしめて、その体で彼女を守っていた。エダンの意識は戻らず、セシーリアには擦り傷が数箇所ある程度で、本人はピンピンしていることがその証拠だ。セシーリアはただ気を失っていただけで、頭を打ったり体を打ったりしたわけではない。もちろん高所から落下した衝撃で、軽い筋肉痛のようなものはあるだろうが、まったくもって問題ではない。
アンリエットがエダンを見つけてすぐセシーリアは目を覚ましたが、大勢の騎士に囲まれていたことに驚いたのか、罵詈雑言で騒ぎ立てた。なんで馬を押さえていなかった。どうして魔物を倒さなかった。お前たちは何をしていたのか。そう叫んだのである。周囲にいる騎士たちが、他国の騎士たちだとも気付かずに。
しかも、その横で倒れて意識のないエダンにも気付かず、あとで王にお前たちの首を斬ってもらうとまで言いのけたのだ。
言いたいことを言い終えて落ち着いたのか、そこでやっとおかしいと思ったのだろう。アンリエットがエダンの状態を確認しているのに気付き、首を傾げたのだ。
アンリエットは早急に医師を呼んでもらえるようヴィクトルに言いながら、エダンの怪我の処置をした。素早い動きでそれを終えたアンリエットから冷えた視線を向けられ、やっとアンリエットの顔を思い出したらしく、何であんたがここにいるのだと叫んだ。
そうして気付く。崖から落ちて、国境を越えたことを。
その後の態度の変わりようよ。特にヴィクトルが王子だとわかった瞬間の、セシーリアの態度の変わり具合は、
(わかりやすすぎて、いっそ清々しいな)
一応は一国の王女。昨日の今日で挨拶をしないわけにはいかない。体調はどうかと部屋に訪れたら、婚約者の悪口を延々と聞く羽目になった。
「はあ、何だかまだ体が痛いですわ」
「それはいけません。すぐに医師を呼びましょう」
今が逃げる時だ。ヴィクトルが腰を上げると、セシーリアは焦ったように、大丈夫です。と席を離れてまでヴィクトルの手を掴んだ。気安く触れてきた上に、セシーリアは上目遣いでヴィクトルを見上げ、その手を胸元へ引いた。
(どこの娼婦だ)
これが婚約者となったエダンに同情しそうになる。
そして、この娼婦に立場を追いやられたアンリエットを思うと、怒りが込み上げそうだった。
これが、王太子マルスランの娘。
少なくともアンリエットと血が繋がり、いとこにあたるわけだが、アンリエットとは似ていなかった。アンリエットと髪色が違うからだろうか。シメオンは金髪だが、シメオンにも似ていない。
「ヴィクトル様、私は怖いのです。このようなことになり、王はお怒りでしょう。エダンのせいだとはいえ、他国の王子様にお世話になってしまいましたし、王の怒りはきっと計り知れませんわ。ヴィクトル様にもなんてお詫びをすれば良いのか」
「気にされることはありません。王女様が無事であることは伝えてあります。婚約者殿の意識が戻らないため彼は動かせませんが、王女様はすぐにでも出発していただけるように手配していますから」
夜の間は魔物がいるため連絡ができなかったが、すでに知らせは送った。そろそろスファルツ王国の者がここに訪れるだろう。さっさとセシーリアだけでも帰ってもらいたい。
ヴィクトルも相手をするのが億劫になってきていた。少し話した程度で疲労がたまる。
セシーリアも早く帰りたいだろう。そう思ったが、なぜかセシーリアは首を振って、いきなり胸が痛いと言い出した。
「医者を呼びます」
「いえ、待って。ヴィクトル様。行かないでください。私、怖いんです。もしかして、エダンが私を殺そうとしたんじゃないかって」
今度は何だ。セシーリアはヴィクトルの手を握ったまま、すがるように涙を流した。
「エダンは私がお父様の娘ではないのではないか、そう疑っているのです」
そりゃそうだろうな。ヴィクトルはその言葉を呑み込む。
「だから、私を殺そうとしたんじゃないかって。恐ろしくて」
ふるふると震えるが、震えたくなるのはヴィクトルの方だ。寒気がして、背筋が凍りそうになる。エダンが、セシーリアを傷付けないために体を張って守ったことは、一目瞭然だった。殺そうとしたならば、セシーリアは今生きていないだろう。
(これがマルスラン王太子の娘か? それは疑いたくなるな)
マルスランが持っていた物だけで判断したというのは本当のようだ。どうせ盗品でも手にして、娘だと勘違いされたのだろう。そうとしか思えない。
だが、セシーリアが王女ではないという証拠は出ていないようなのだから、厄介なものだ。
(命をかけて助けた婚約者を、よくもそこまで悪し様に言えるな)
大体、どうして魔物がいる場所にセシーリアを連れてきたのか。
「王女様は、魔法は使えるのですか?」
「私は魔法は……」
「では、剣を扱いに?」
「王女ですもの。騎士たちが守ってくれます」
つまり何の役にも立たない女を、討伐に連れてきたのか。暗殺したくなる気持ちも理解できるが、それはないのだから、仕方なく連れなければならない理由があったのだろう。
アンリエットは魔物討伐に慣れていて、どこにどんな魔物が出やすいのか熟知していた。
比べものにならない。
ヴィクトルの考えていることがわかったのか、セシーリアはすぐに言葉を続ける。
「私が指揮しませんといけませんから。だって私は、あの王太子殿下の娘ですもの。ご存じですか? 素晴らしい王になると言われた、私の父を」
(そこで父親の自慢をするのか。自分ができることは何もないのに)
もうこの女の話を聞いているのも疲れた。それよりもアンリエットの方が心配だ。彼女は今もエダンの側を離れず、看病を続けている。
「とにかくそろそろあなたを迎えに来るでしょうから、それまでに安静になさっていてください」
「えっ!? で、でも、私はまだ、そう、エダンを診ていないと!」
先ほど散々文句を言っていたのに、エダンはまだ意識が戻らないのかと、エダンを気にした風に言う。そしてちらりとヴィクトルを横目で見た。
(面倒臭いな)
この目をヴィクトルはよく知っている。女性たちがヴィクトルを見る目だ。話すこともできず遠くで見ている女性たちや、話すことはできてもそれ以上に踏み込めない女性たちがよこす視線。
(これが、アンリエットが追い出された理由とはな。とてもマルスラン王太子の娘とは思えない)
そう、とても王太子の娘には思えなかった。
「王も心配していらっしゃいますよ」
「そ、そうですわね。でも、エダンの体調も気になりますから。一緒に戻らないと」
暗殺されかけたのに、その暗殺者と一緒に帰るのか。どこから突っ込めばいいのか。呆れしかない。セシーリアはこの屋敷にまだ滞在していたいと言わんばかりだ。
「お優しいんですね。王もそんな王女様を大切に思っていることでしょう」
「王は私のことをかわいがってくれていますから」
「王女が見つかったと聞いた時は、私も驚きでした。マルスラン王太子に娘がいたのかと」
「私の父は私が幼い頃に亡くなったので、何も覚えていないのです。このブローチがあって、私が王太子の娘だとわかったんです。それまでずっと山にある小屋で、私を拾ってくれた老婆に育てられて。つらかったですわ。老婆は私をこき使って、暴力を振るい、食事もまともに与えてくれなくて。いつまで生きていられるのかと」
「それは、苦労なされたのですね」
「そうなのです! あんな生活に、王女である私にあんな生活をさせて 許せませんわ!」
「その老婆と二人、どうやって生活をされていたのですか?」
「え?」
セシーリアの返事がよどんだ。
山小屋でどうやって生活していたのか聞いただけなのに、なぜ返事に詰まるのか。




