24−2 思惑
「マーサ!」
「え?」
「王女様はお疲れのようだ。お部屋にお連れしろ」
「え?」
エダンがマーサを呼ぶと、セシーリアはキョトンとした顔をした。その顔はすぐにしかめっ面になる。マーサが中庭に素早くやってきたからだ。
エダンはセシーリアを自分から剥がして、マーサに引き渡す。
「ゆっくりお休みください、王女様」
エダンの微笑みにセシーリアは顔を歪めるが、マーサがセシーリアを促し、中庭から連れ出した。
中庭は灯りがあり、廊下からよく見えるのだ。マーサであれば部屋から出て行ったセシーリアを探すし、見つからなければエダンに伝えに来るだろう。部屋にエダンがいなければ、再び探す。その前に中庭に気付いたようだが。
階上でマーサが見えて、急いで降りてこいと目で訴えた。マーサが走り出したのは視界に入っていた。
エダンはハンカチを取り出して、胸や腕をそれではたく。
まったくもって、気分を害する女だ。
取り出したハンカチをしまおうとして、じっと見つめる。
アンリエットが刺繍の練習をしていたのを思い出す。エダンに見られると恥ずかしいのか、すぐに刺繍道具を片付けた。マーサに教えてもらっても、一向に上手にならなかったからだ。
本人は練習している暇がないのだとぼやいていたが。
その時のやりとりを思い出すだけで、つい笑みがこぼれてしまう。
下手なだけだろうと言えば、暇がないだけだと言い訳をする。
下手でもいいから刺繍をしたらよこしてみろと言ってみれば、血だらけになったものでもよければ、と返してきた。つまり下手で針を指に刺してしまうから、血まみれのハンカチになるとのことだった。
そんなハンカチはいらないと丁重にお断りしたが、後にアンリエットはリボンをよこした。
その日は二人で遠出をして討伐に参加する日だった。無事を祈るためのハンカチは渡せないので、髪を縛っていたリボンを代わりにしたのだ。
『剣に巻いてくださいね。滑り止めになります。お守りですよ』
だから、討伐は安全に終わらせられるのだと。
アンリエットも共に戦うのに、何を言っているのか。
エダンはそのリボンを剣に結び、討伐へ出発した。
アンリエットにはお守りがない。だから、後方にいて、援護しろ。視野が広いからと、エダンの後ろにつかせた。
アンリエットの方が周囲をよく見ているから、背中を預けるのはアンリエットが良かったこともある。
剣を使わないように、アンリエットが急襲で傷付かないように。
「皮肉だな」
(今は、何をするのかわからない女を守らなければならない)
ハンカチをしまい、エダンは独りごちる。
その時のリボンは剣に巻かれていないが、その後もアンリエットはリボンをよこし、エダンはそれを剣に巻いていた。
だがもう、新しいリボンは手に入らない。
「エダン様、今日はどちらに行かれますの?」
「国境近くの森の中へ参ります」
次の日になって、セシーリアはめげずにエダンに話しかけてきた。
マーサはあの後殴られたのか、頬が赤くなっている。とうとうメイドに手を出すまでになった。
マーサの顔を見ているのに気付いたか、セシーリアがエダンの腕を取り、マーサを背に歩こうとする。それでごまかしているつもりならば、愚かにも程があった。
「国境の方に行かれるのならば、共同の討伐の相談かしら?」
「魔物の確認だけです」
未だ国境という言葉に敏感なのか、セシーリアは目を光らせる。国境でアンリエットと会うつもりだと思っているようだ。
昨日と同じく騎士の馬に乗せて、出発する。パルシネン家とメッツァラ家の領地を蛇行する道を進み、国境の方向へ進むわけだが。
(今日は昨日よりも周囲を気にしているな)
セシーリアがひっきりなしに左右を確認する。本人は気付かれないように行っているようだ。目だけがキョロキョロと動いている。
「昨日の男はもう山に来ないわよね。いたら怖いわ」
「魔物に襲われて気が狂ってしまった哀れな男です。王女様ならば慈悲を差し上げてください」
パルシネン家の騎士が冷眼を向けつつも、そんなことを口にする。嫌味で言っているのだろう。しかしセシーリアは嫌味に気付いていない。そうかもしれないけど、恐ろしいわ。と呟く。
その言葉一つ一つに、重みがあることを知らない。
これが王女なのか。その落胆が、嫌悪になっていることにも気付いていないのだ。
「こ、こちらに進むの? 魔物が出るのはあっちでしょ?」
道が蛇行して、メッツァラ家領地に入ると、セシーリアが落ち着きなくそんなことを言い出す。
領地を分けた後に道を作ったらしく、領地の境になっていたり、そうでなかったりする道だ。たまにメッツァラ家領地に入る。セシーリアはそれが嫌なのか、早く進むように急かした。
「メッツァラ家領地にも道は続いておりますから、道通り進めばメッツァラ家領地に入ります」
「そうなんですか? もっと山奥に行くのかと思ってました」
山に入るより道を進んだ方が魔物はいないと考えるはずだが、セシーリアは違うのだ。
(住んでいた場所に近いのか。何を恐れている? 家に行きたくないのか)
焼かれた小屋になど戻りたくないのはわかるが、魔物がいる方向に行く方が良いようだ。
「私、怖くて。この辺りで襲われたんです。エダン様、もっとあちらへ行きましょうよ」
エダンが疑問に思っていると、それに気付いたように言い訳を口にした。
山の方が魔物は多いに決まっているのに、その理由もおかしなものだ。
「ねえ、エダン様! 私この道嫌だわ。もっとあっちへ行きましょう!」
そこまで言うならば、メッツァラ家領地に何かあると言っているようなものだ。
メッツァラ家領地の平民の魔法使いたちが行方不明になった理由も、きっとそれだろう。
今、別の者たちに侵入させている。それらが答えを持って帰ってくれば良いのだが。
「王女様の言う通り、道を外れて森の中に入る。魔物がいるだろうから、細心の注意を払え」
「え、そうなの?」
セシーリアがとぼけた声を出す。森の中に入れば魔物がいるに決まっているだろう。馬鹿馬鹿しくて、騎士たちもセシーリアの挙動にうんざりした顔を見せる。
そうこうしているうちに、鼻に異臭を感じた。
「王女を守りながら、進むぞ!」
エダンの声に、騎士や魔法使いたちが戦闘体制に入った。
わかっていないセシーリアを後ろにして、魔法使いが木々に風の魔法を飛ばした。木陰に隠れていた魔物があらわになって、一気に攻撃が始まる。
「きゃああっ!」
セシーリアの声がうるさい。魔物を音で判断することができない。走ってくるのは濃い緑色をした四つ足の魔物で、一瞬で駆けて飛び上がってくる。それを剣で斬り落とせば、またもセシーリアが悲鳴を上げた。群れで人を襲う魔物で、あとからあとから増えてくる。
「広い場所へ出るぞ!」
木々の中にいては不利だ。先ほどの道に戻り態勢を整えようと、メッツァラ家領地の土地へ入り込む。道はすでにメッツァラ家領地に入っており、セシーリアが嫌がった方向へ走っていた。
昔噴火でもあったのか、岩が突き出た箇所が多く、それを避けて木々の隙間を抜ける。
岩があるため馬では走りにくい場所だ。だがその分魔物も走ることが難しい。ここならば存分に魔法を使える。エダンは剣に魔法をかけて、魔法剣にしてから剣を振るう。切っ先から炎が飛び出して、魔物を包めるように燃やした。
魔物の数は多い。メッツァラ家領地でも山奥なため、魔物が増加しているのだろう。普段より多めだと騎士が愚痴りながら剣を振った。
「しつこいな」
大抵これだけ戦えば魔物は恐れをなして逃げていくのに、やけに集まってくる。
久しぶりに食べ物にありつけると思っているのか。それ以上に、セシーリアの方へ向かっているように見えた。
「きゃあっ!」
魔物が飛び上がり、セシーリアを守っていた騎士に飛びつく。すかさず剣を振るうが、別の魔物が騎士に飛びつき、騎士を馬から落とした。
「うそっ! やだっ!」
手綱を持っていた騎士が落とされて、セシーリアが悲鳴を上げる。手綱を持って引くだけでいいのに、セシーリアはパニックになって馬の腹を蹴り上げた。
「きゃああっ!」
馬は当然走り出す。エダンは舌打ちしてその馬を追った。
「手綱を離すな!」
「きゃああっ! 止めて、止めてーっ!」
余計な手間をかけさせて、セシーリアの乗る馬は山の中を走り抜ける。木や岩を避けてその馬に並列し、エダンが手綱を持つと、あろうことかセシーリアがその腕を抱きしめた。
「くっ」
「エダン! 助けてえっ!」
腕に体重をかけられて、手綱を引けない。それどころかセシーリアの重みのせいで手綱を持つ手が痺れてきた。
「エダン、エダン! 早く、助けてよお!」
だったらその腕を離せ。叫ぶ前に、目の前が開けたのがわかった。
崖だ!
「くそっ!」
「きゃああああっ!」
足元が浮き、馬が宙を舞った。セシーリアが悲鳴を上げて、なおかつエダンの腕を抱きしめる。
眼下に広がる緑の絨毯。深い森の中へ吸い込まれるように、一気に下降した。
(――――アンリエット!)




