13−2 セシーリア
町の中に入り、どこに降りるのだろうと心躍らせて待っていたが、馬車が停まる気配はない。
どこまで行くのだろうとやきもきして景色を眺めていたが、もう我慢できない。
「エダン様、どこまで行くのですか? お買い物とか、町並みを眺めるとか、ほら、歌劇を見に行くとかするのでしょう?」
「王女様が行くべきところに参ります。もう少々お待ちください」
エダンが珍しく微笑んだ。その顔を見るだけで頬が熱くなる。わかりましたと頷いて、セシーリアは静かに待つことにした。馬車は民間のものと違いお尻は痛くないし、揺れも少ない。カタコトと動く中でのんびり座っていれば眠たくなってしまうが、エダンが連れて行ってくれるのだから、静かにしていよう。
そう思えばすぐに眠気がきて、気付いた時にはもう到着していた。
「王女様。到着しました」
馬車の扉がノックされて、セシーリアは飛び起きた。急いでよだれを拭いて、澄まして返事をする。開かれた扉の前で、エダンが手を差し伸べて待っている。その大きな手を握ってニンマリしたくなるのを我慢して降りれば、セシーリアは眉を寄せた。
「え、何よ、ここ?」
牧場のように草の生えた場所。囲いがあって、建物がポツリと立っている。周囲は木々で、町並みも何もあったものではない。
「エダン様!? 私は町に行きましょうと、」
「ここも町の中です。王女様のお仕事の一環で参りました。文字は読めますよね。子供たちに本を読んであげてください」
「はあっ!?」
「まあ、ベルリオーズ様!? いらっしゃったのに、お出迎えも致しませんで」
「構わない」
建物から女性が出てきて、エダンを迎えた。嫌な予感がする。後ろから子供たちがぞろぞろ出てきて、近寄らずこちらを眺めてきたからだ。
女性はエダンの後ろにいたセシーリアを視界に入れてから、困惑した顔でエダンに顔を向ける。しかし何も言わず一度うつむいて、どうぞこちらへ、とエダンを促した。
(なによ。今の顔)
まるで、セシーリアの顔を見て、がっかりしたみたいな。
野次馬みたいな子供たちもセシーリアの顔を見るなりポカンと口を開けた。少し大きめの子供は、誰あれ? と呟く。
建物の中に入れば、セシーリアはさらに嫌な気分になった。セシーリアが住んでいた家よりずっと清潔で、家具なども綺麗だ。子供たちは各々新品のような机のある椅子に座ったり、床にある布が広げられたところに集まり、人形や本を持って座り込んだりしている。
孤児院なのに、前のセシーリアよりずっといい生活をしている。
セシーリアの家は泥や汚れだらけだった。不特定多数の人間が出入りするため、椅子や机はボロボロ。机の上に足を置くやつらもいたため、机の上ですら泥がついていた。昼間から酒を飲むせいで、部屋の中は醗酵した妙な匂いはするし、体臭もあり血生臭いことすらあって、一緒にいるのですら吐き気がするほどだったのに。
(なんなのよ。何でこんなところに連れてきたの?)
「王女様、この本をどうぞ。子供たちに読んであげてください」
「なんで、私が!?」
「王女様の仕事だからです」
「はあっ!? 王女なんだから、そんなことするわけないじゃないですか!」
「いいえ。これは王太子殿下がその昔行い、それを継承した王太子代理も行っていました。これは王女様の仕事です」
エダンはきっぱりと言って、セシーリアに本を押し付けた。簡単な本です。と付け加えて。
(どういう意味よ。これくらいなら私にも読めるってこと!?)
そんなこと口にしていないが、セシーリアにはそう聞こえた気がした。エダンはそのまま年が上の子供たちを連れて、外に出て行ってしまう。取り残されたセシーリアを子供たちが見上げた。注目されて、顔がひきつりそうになる。
「ご本、読んでくれるんですか?」
「ええ?」
「だって、ご本」
子供がセシーリアの持っていた本を指差す。
なんで私が。その気持ちしかないが、マーサが、一冊だけ我慢してください。と耳打ちしてくる。
エダンの機嫌を取っておいた方が良いとのことだ。だが、どうして王女のセシーリアが、ただの貴族であるエダンの機嫌を取らなければならないのだ。腹立たしくもあったが、エダンとの距離が遠いことも自覚している。エダンから気に入ってもらうためにも、仕方なく言うことを聞くことにした。
(こんな本くらい、私だって読めるわよ)
家に出入りする男たちの中に面倒見のいい男がいて、その男から文字を習った。文字が読めないと仕事に差し支えがあるからだ。特に数字や計算は必要だった。数をしっかり数えられないと、お金を数えて記すことができない。盗んできた物がどれくらいの値段で売れるのか、記載していたからだ。
これをエダンに言うことはない。王女なのに盗みの加担をしていたなど、口にはできない。
(どうせみんな死んだんだから、バレることなんてないわ)
「おねえちゃん、ご本、まだ?」
「うるさいわね。今読むわよ。それにお姉ちゃんじゃないわ。王女様って呼びなさいよ」
「おーじょさま?」
「そうよ。王女様。本当だったら、私と話をすることも許されないのよ。黙って聞きなさい」
小さな子供にピシャリと言って、セシーリアは本を読み始める。精霊が助けた男の話だ。
その昔、魔物と戦っていた男。森の中、怪我をして動けなくなってしまい、もう死を覚悟した時、美しい精霊に出会った。森の中、光り輝くその精霊は、向かってくる魔物を光の力で消してしまう。
助けてもらった男はひどい怪我をしていた。精霊は男を助けるために手を貸すことにする。
精霊の助けもあって、男は怪我を治し元気になると、再び魔物を倒す旅に出る。助けてくれた精霊は、男の手伝いをしてくれた。
男は魔物のいない町を作るために、魔物を倒し、とうとう町に平和がやってきた。精霊のおかげで、町を平和にすることができた。
「町の人々は、男を英雄として称えた。英雄は精霊と共に旅立ってしまったが、その後も人々は平和に暮らしました。ってさ。つまんない話ね」
本を閉じてもう終わりだと立ち上がると、子供たちはボケっとしたまま、セシーリアを見上げる。本を読んでくれてありがとうとか、楽しかったとか、そういう感想はないのか?
「おねえちゃん、」
「おうじょさま、よ」
「王女様、お話下手だね」
「はあっ!?」
「アンリエット様はもっと上手に読んでくれた」
「そうだよ。アンリエット様はもっと楽しく読んでくれたよ。おうじょさまは下手くそだね」
「なんですって!?」
「も、申し訳ありません! ほら、お礼を言って。ご本を読んでもらったら、みんな何て言うのかしら?」
「ありがとーございます」
子供たちは軽く言って、そのまま散らばって行ってしまった。女性だけ残されて、深く頭を下げてくる。
「申し訳ありません。何分、子供の言うことですので。どうかご容赦願います」
「ふん。エダン様はどこへ行ったの?」
「ベルリオーズ様は外で子供たちの相手をしてくださっています」
「エダン様が子供の相手?」
あの無表情な顔のままで、子供の相手ができるのか? セシーリア以上にひどいことになりそうなのに。
外へ行けば、きな臭い匂いがして、セシーリアは鼻を押さえた。草だらけの庭が燃えている。その煙が風に流れて、空へ消えていく。魔法で庭の草を燃やしているのだ。風の力も使い、操り、その姿を子供たちに見せている。
そして子供たちもその真似をしていた。魔法を教えているのだ。
(あんな子供も魔法が使えるわけ? この孤児院どうなってるのよ)
「そちらは終わったのですか?」
エダンがセシーリアに気付き、声を掛けてくる。横目で女性を見て、軽く頷いて、ならば帰ろうと言ってきた。今度こそ町の探索に連れて行ってくれるのだろう。
「随分早く読まれたのですね」
「簡単な本ですもの。すぐに読み終わりますわ」
「そうですか」
「ベルリオーズ様、もう帰っちゃうんですか?」
「魔法の練習は、一人で行わないように。魔法使いをまたよこす。練習をする時は必ずそれらと行わなければ、魔法を封じられてしまうからな」
「はあい。また来てくださいね。アンリエット様にも、お会いしたかったってお伝えしてください」
またアンリエット。エダンは沈黙すると、返事をせずにセシーリアを馬車の方へ促した。
(もういない元王太子代理だもの、エダン様が頷くわけないじゃない)
それでも気分が悪い。ここに来てから、皆がセシーリアを変な目で見て、まるで誰かを探すようにするからだ。アンリエットが来ていないのか、なぜ来ないのか、そんな視線でエダンを問うように見つめる。
もうそいつはいないのに。婚約破棄になって追い出されたのに。どうしていつまでも、セシーリアの邪魔をしてくるのだろう。




