13 セシーリア
「はあ、難しいわ。これも覚えなくてはいけないの?」
「もちろんです。王女として必要な知識で、」
「疲れたから、少し休憩するわね」
「セシーリア様!? まだ授業は始まったばかりですよ!」
うるさい家庭教師の一人を後にして、セシーリアは部屋を我が物顔で出ていく。家庭教師は止めたが、メイドや護衛騎士たちは知らん顔だ。セシーリアはこの国の王女なのだから、部下である彼らがセシーリアに何か言うことはない。
その中に王太子代理アンリエットのメイドがいる。最初セシーリアの気分は良くなかった。アンリエットに仕えていたメイドだ。王女のセシーリアにつける人ではない。セシーリアのメイドもそう言っていたし、他のメイドたちもそのマーサというメイドが赴任してきた時、いつも悪口を言っていた。
(だって、嫌じゃない。娘じゃない女のメイドをしてたんでしょ? どうして私のメイドになるのよ)
だから、他のメイドたちがマーサをいじめていたのは知っている。年も離れているのに、マーサに対して下っ端のように扱っていた。セシーリアもそういう扱いをしていた。さっさと辞めてくれた方がいいと思っていたからだ。
けれど、最初はセシーリアをちやほやしていたメイドも、セシーリアがごねると何かと口を出してきた。あれをやれ、これをやれ。そのうち、アンリエットはもっとああだった、こうだったと言い始めた。あまりに腹が立ったので、王に言ってメイドを替えてもらった。それから、みんな口を出す真似はやめた。
(当たり前じゃない。私は王女なのよ?)
新しいメイドの中に、マーサは残っている。今はこのマーサというメイドが気に入っていた。セシーリアの言うことを聞いてくれるし、強要をしてこないからだ。
メイドたちは黙ってセシーリアの後ろをついてくる。護衛騎士も同じだ。ぞろぞろついてくるのは面倒だが、城の中を歩いているだけで皆がセシーリアに頭を下げた。
気分がいい。
(これも、お父様、のおかげよね)
胸元に飾られたブローチは、セシーリアの身分を表すものだ。王太子であるマルスランの形見である。
誰にも盗まれないように、セシーリアは必ず胸元にこのブローチを飾った。それに似合うドレスや靴、引き立てるためのネックレスやイヤリング。王はセシーリアのために、多くの物を買い与えた。
昔のことを考えると、信じられない贅沢な身分だ。
セシーリアを拾った老婆はとてもごうつく張りで、幼いセシーリアを虐げ、食事も与えず仕事をさせるような人だった。隙間風の入る立て付けの悪い小屋のような家。寒さに凍えながら夜を明かすことなんて数え切れないほどある。ひもじい思いをしても、働かなければ食わせることはできないといい、吹雪の中わずかな森の恵みを採りに行かされたこともあった。
あの幼い頃を耐え、成長しても老婆やその他の者たちにこき使われて、いつか必ず奴らを殺して家を出てやると考えていた。
(魔物のおかげよ。私がこの城に来ることができたのは)
うふふ。と鼻歌交じりで廊下を歩み、婚約者のいる部屋に向かう。
王女という立場で自由を許されただけでなく、贅沢もできて、美しくも凛々しい男性との婚約も決まっている。なんと幸福なことなのだろう。
ただ問題は、婚約者が誰にでも素っ気ないということだ。
「セシーリア様。どうかなされましたか?」
「エダン様はいらっしゃる? 大切な話があるの」
警備の騎士が守る部屋。ノックをして返事をもらうと、セシーリアはその部屋に入った。
婚約者、エダンはいつもこの執務室にいる。前はアンリエットが使っていたが、今席に座っているのはエダンで、隣の机には顔色の悪い宰相がいた。
「エダン様、お仕事中ごめんなさい。あの、お父様のご遺体は、まだ見付からないのかと思って」
最近、あまり会ってくれないのは忙しいからだろうが、王女のセシーリアを放っておくのはどうかと思う。お茶では忙しいからと断られてしまうので、今日は別の理由を口にした。
「王太子殿下の遺体は、まだ見つかっておりません。場所も特定できていない山の中ということでしたから、未だ何の情報も入っておりません」
「そうですか。そうですよね。おばあ様も急いで逃げたから場所がわからないと言っていましたし」
「せめて、どの山のあたりであるかくらいわかればよかったのですが」
「そうですよね。じゃあ、まだ探されてるんですか?」
「王太子殿下の遺体ですから、掘り起こし王族の墓へ埋葬しなければなりません。それより、本日この時間は家庭教師がついていたと思いますが」
「お父様のことが気になってしまって。その、あまり勉強に身が入らないんです」
「そうですか」
(そこで、なら散歩に行こう。とか出てこないの?)
婚約者なら、セシーリアをもてなしたりすればいいだろうに。エダンは有名な貴族の息子らしいが、偉いのは王の娘であるセシーリアの方だ。だったらセシーリアの機嫌を気にするべきだろう。
しかし、その後何の言葉もかけてこない。婚約者とは、こんなに距離が遠いものなのか?
「あの、良かったら、町とか案内してもらえませんか? 気分転換に。エダン様もお仕事ばかりでしょう?」
セシーリアはこの城に来てからずっと城の中。町に出て行ったことがない。町はここに来るまで馬車に乗って窓から見ただけだ。そのうち案内してくれると思っていたが、エダンはなんの誘いもしてくれない。だったら、セシーリアから誘えばいいだけだ。
「ね、エダン様。時には息抜きも必要ですよ!」
「……わかりました。用意がありますので、先に外でお待ちください。マーサ、話が」
エダンはマーサに何か用意させるのか、マーサを部屋に残して、セシーリアを廊下へ出した。
(やった! お出かけだわ!)
「外へ行く用意をしなきゃ。ねえ、ドレスを着替えた方がいいでしょう? 部屋に戻るわよ」
メイドたちに命令して、セシーリアは急いで部屋に戻る。
豪華なドレスを選ばないと。初めてのエダンとのデートだ。
「ねえ、エダン様は何色が好きなのかしら? エダン様に似合うようなドレスにして!」
ドレスは見慣れてきていて、どれも同じに見える。もっと素敵なものはなかったのか、メイドに選ばせていられないので、衣装部屋に行きセシーリアが直々にドレスを探した。靴や、アクセサリー。髪型も完璧にしなければ。
そうこうしている内に時間が過ぎてしまう。メイドたちを急かして用意させて、外へ出ると、すでにエダンがセシーリアを待っていた。
(すっごい、かっこいい)
この人が自分の婚約者なのだ。
陽の光が銀色の髪に当たり、キラキラ光っている。目の色は湖のような深い翠色。目つきは鋭いが、整った顔に、長い手足、背筋の伸びたすらりとした体型。だからと言って細いわけではない。外で見るのと部屋の中で見るのと印象が違うのは、剣を腰に下げてマントを羽織っているからだろうか。
騎士とは違う、高位の貴族という雰囲気。
「そのようなドレスで町へ行くつもりですか?」
「はい。綺麗でしょう? 私が選んだんです」
「そうですか。馬車へどうぞ」
エダンは褒め言葉一つ言わず、セシーリアに馬車に乗るように促す。
会った時から寡黙な人だった。そんな簡単に人を褒めたりしないだろうが、少しくらい褒めても良いのに。
不満に思って口を尖らしそうになり、我慢する。前にエダンに注意されたのだ。その顔はおやめくださいと。馬車に一緒に乗って、ゆっくり話すことができるのだから、注意されたくない。
そう思っていたのに、
「エダン様は、馬車に乗らないんですか?」
「私は馬で行きます」
「え、でも、一緒に行くんですから、馬車に乗れば」
「いいえ。王女様に何かあってはいけませんから。外で警護します」
なるほど。婚約者であれば、馬車に一緒に乗らず、セシーリアを守ってくれるのか。それならば納得だ。それはそれで、鼻が高かった。婚約者が馬に乗ってセシーリアの馬車を守る。その姿を、町の人々は見るのだろう。馬に乗って馬車を守る、エダン。その馬車の中に、婚約者の王女セシーリアがいるのだと、街の人々は気付くのだ。
「うふふ。すごく素敵。はあ、最高。早く結婚したいなあ」




