8 性格
「聡明な人だな。少し時間が空いただけで、こんなものをよこしてくる」
ヴィクトルは感嘆しながら、アンリエットに渡された書類に目を通し終えて、トビアスに渡してきた。トビアスもその書類を確認する。トビアスがアンリエットを待たせていた間に、魔物が現れた地方で分かっている情報をまとめてくれていたのだ。
「さすがに王の代理をされていただけあると言いますか。噂では令嬢がほとんどの仕事に関わっていたとありましたけれど、これを見る限り噂通りなのでしょうね。数年前の事件をこれだけ詳細に覚えているのですから」
もちろん国境を跨いでいるので、この情報が全て当てはまると言うわけではないが、情報としては興味深いものがある。隣国同士、魔物は共通しているものもあるからだ。今はクライエン王国にいない魔物も、いつこちらに渡ってくるか分からない。不要な情報とは言い難いもので、今後必要になる可能性もあった。
早速、現状分かっている情報と照らし合わせた方が良いだろう。
「こちら、お借りしますね。それにしても、民の目撃情報だけでこんなに資料を作る人も珍しいと申しますか、根が真面目なのでしょうね」
仕事初日で軽いものしか与えていないとはいえ、仕事が早い。トビアスが教えた事を正確に覚えて、すぐに実践してみせる。今まで行っていたことだとしても、本来ならば王太子のような立場である者が行う仕事ではない。つまり、アンリエットは部下が行うような事務仕事にも手を出していたのだ。
「あちらも人手不足なんでしょうか」
「どうやって王太子の代理を行っていたのか、気になるところはあるな。あの集中力。お前たちが何度も集中を切らしている間でも、彼女は背筋を伸ばして微笑みながら仕事をしていたぞ」
それはそれでどうなっているのだと、トビアスは問いたい。根っからの仕事人間なのではなかろうか。仕事が早すぎて教えている暇もないため、その隙にこんな資料をあっという間に作る女性だ。きっとそうに違いない。
「しかし、」
ヴィクトルが言葉を止める。
「仕事を渡す時はよく見ておけ。放っておくと食事もせずに没頭する可能性がある」
「ああ、だからお茶などと言ったんですか。初めて聞きましたよ。休憩なんて言葉」
「お前たちは仕事をしていて良かったんだがな」
なんて上司だ。
しかし、アンリエットのおかげで共に休憩をもらえるようになった。アンリエットには感謝したい。とはいえ、本当に没頭するという言葉がぴったり当てはまるほど、隙なく仕事をこなしていた。スファルツ王国ではどれほどの仕事量だったのか、想像に難くない。
「覚えも早いし、役に立つどころではないな。即戦力だ。だから、気を付けておいてくれ。倒れでもしたら、シメオンに何と言われるか」
ヴィクトルは肩を竦める。それで一緒にお茶をしたわけだが、トビアスは気になる事があった。
「本当に惚れたりしないでくださいよ。シメオン様の危惧していた通りになりますと、それこそ令嬢に迷惑がかかります」
「なんでそうなる」
呆れるように言うが、トビアスは見ていた。アンリエットが微笑んだ時、ヴィクトルは微かに頬を赤く染めたのを。
(自覚されていないとか?)
ヴィクトルに婚約者候補が決められたのは子供の頃。それからずっと、次期王妃という立場を望む者から付きまとわれてきた。それを受け入れなければならない立場だが、ヴィクトルに興味なく純粋に笑顔を見せる女性は近くにいたことがない。
「……シメオン様に怒られる覚悟をなさっておいた方が良いかもしれません」
「どうしてそうなるんだ」
気付いていないならば問題ないだろうか。アンリエットにも選ぶ権利がある。相手がヴィクトルを選ぶとは限らない。彼女は婚約破棄をしたばかりだ。
ヴィクトルの照れは、今は忘れておこう。変なことを言ってヴィクトルに気付かれない方が良い。面倒になって、仕事を手伝ってくれる人を失いたくない。上司の幸せより、安定した仕事時間。
「いえ、なんでもないんですよ。令嬢が無理しないように気を付けると誓います」
数日分として予定していた仕事も、アンリエットは一日で終えてしまった。理解していることが多いため、説明も少なくて済み、進みも早い。その分、アンリエットがさばける仕事が増えるのは必至。そこでもしもアンリエットが倒れれば、シメオンは二度と政務に関わらせないだろう。それは避けたい。
トビアスは大きく頷く。素晴らしい逸材を確保できたのだから、逃したりはしない。
「何と申しましても、字は綺麗ですし、丁寧ですし、性格も誰かさんみたいに擦れていませんし」
「何か言ったか?」
「なんでもないです。とにかく、このまま働いてほしいですので、妙な噂が流れるような真似はなさらぬようにお願いします。令嬢がかわいそうなので」
心配なのはそこだけだ。ヴィクトルが女性と同じ部屋で働いている時点で、妙な想像をする者はいる。
思い浮かぶ顔は同じか、ヴィクトルが達観したような顔をする。
「できるだけ、彼女を近寄らせないように」
「しても無理だと思いますけど、努力はします」
「頼む」
ヴィクトルはああ言っていたが、アンリエットがヴィクトルの元で働くことは周知されていると思っていいだろう。
王妃はすでにアンリエットを茶会に呼ぶつもりだと言っているとか。どういう経緯でそうなったのか、根掘り葉掘り聞くに違いない。婚約者候補を選んで長年婚約に至ってこなかった。アンリエットは幼い頃からスファルツ王国にいるので、候補に入らなかった。
(身分としては申し分ないからな。王妃がこの機会を逃すとは思えない)
王妃はアンリエットの母親のデラフォア夫人と仲が悪いわけではないため、アンリエットを婚約者候補に入れるにしても、夫人に確認するだろう。アンリエットには婚約者がいたため、すぐにヴィクトルの相手にとはしないだろうが、探りは入れてくるはずだ。
ただ仕事を手伝ってもらうだけでも、頭が痛くなってくる。だが、人手が足りないため、文句は言っていられない。これもわざと忙しくするために人数を少なくして行っていた、ヴィクトルのツケである。
「こちら、運びますね」
「令嬢。重いですから」
「あら、私は力持ちなんですよ!」
トビアスが資料室へ書簡を返却しに行くのに、アンリエットが当然とその束を持ち上げる。誰か手伝え、と周囲を見回すが、忙しくて無理、と首を振った。
(令嬢に大荷物を持たす気か。首を振るな!)
「大丈夫ですよ。なんなら、全部持っていけますよ!」
「いえ、それだけで十分です!」
アンリエットは自分の仕事は終えているからと、率先して手伝ってくれる。
本当にすれていなさすぎる。ヴィクトルにその爪の垢を煎じて飲ませてやりたいくらいだ。
(よくこれで王太子代理を行っていたな。体調を崩したりなどしなかったのだろうか)
真面目すぎて心配になってくる。帰ってこられて良かったな、と他人事ながら思う。
アンリエットはトビアスの視線に気付くと、にこ、っと微笑んだ。
「れ、令嬢は、楽しそうですね」
「はい。家ですと暇を持て余してしまいますので、動いている方が楽しいんです」
「そ、そうですか。笑顔が、いえなんでもないです」
強烈な笑顔を見てしまい、トビアスもダメージを受けそうになった。シメオンの心配はヴィクトルだけで済まないと思う。その辺の男たちも彼女を放っておかないだろう。たとえ婚約破棄をされた令嬢だとしても、アンリエットの素直な性格や魅力的な笑顔に気付かれれば、すぐに目を付けられる。
そしてそれは、別の相手にも。




