1章19 『テミス』の町 7
ガラガラガラガラ……
荷馬車は土埃を舞い上げながら、特例第一区を走り抜ける。
時折この地区の人達がギョッとした顔で御者台を見上げるが、それも無理ないだろう。
何しろ派手なドレス姿で荷馬車に乗る私や、きっちりスーツを着込んだ爺やが手綱を握っているのだから。
「ううっ……オフィーリア様。私は恥ずかしいです……65年生きてきて、こんなに奇怪な目で見つめられて注目を浴びるのは生まれて初めてですよ」
嘆く爺や。
「そうだったのね。でも、生きている内に色々経験するのは良い事だと思わない? だって自分の人生の糧になるのよ?」
そう、その証拠が私だ。
60年という波乱万丈な人生を歩んできたからこそ、今の私が形成されたのだから。
「オフィーリア様は随分達観した考えをお持ちですね。何だか時々私よりもずっと長い人生を歩んできたかのように感じられます」
「フフフフ。いや~ねぇ、爺や。何を言っているのよ。私はまだ20歳、若いのよ?」
精神年齢80歳の私は笑ってごまかす。
「これは失礼しました。そうですよね、私はオフィーリア様が産まれた時からずっとお傍で成長ぶりを見てきたのですから。そう言えば一つ思い出したことがあります。あれは確かオフィーリア様が3歳の頃だったでしょうか……」
遠い目をする爺や。
また爺やの思い出話が始まった。
あの頃は同じ話の繰り返しだとうんざりしていたけれども……うん。60年ぶりに聞いてみても、やはり同じ気持ちにしかなれない。
爺やには勝手に喋らせておいて、今後のことを考えている内に例の井戸が見えてきた。
「あ! 爺や! あれよ! あの井戸がそうよ!」
ビシッと前方に見えてきた井戸を指さす。
けれど人の姿は誰もいない。……待たせ過ぎて帰ってしまったのだろうか。
誰もいないのなら話にならないのだけど。
「おお。あれが例の曰くつきの井戸なのですね? 成程、確かに何かありそうな雰囲気ですね」
爺やの口ぶりが、どこかオカルトじみている。
う~ん……別に怪異的な物では無いのだけれど、ここは黙ることにした。
井戸が目前に迫ってきたところで、爺やに声をかけた。
「爺や! 止めて!」
「はいっ!」
私の言葉に爺やは手綱を引くと、馬は「ヒヒヒン」といなないて止まった。
するとそれまで誰もいなかったのに、ワラワラと人々が集まって来たのだ。その中には区長のムントの姿もある。
「オフィーリア様。お手をどうぞ」
「ありがとう、爺や」
先に馬車から降りた爺やの手を借りて出来るだけ上品に御者台から降りると、早速ムントが近づいて来た。
心なしか……というか、かなり表情は険しい。
「お待たせしたわね。区長」
「お待たせしたわね、ではありません。今、何時だと思っているのですか?」
「そうね……14時位……かしら?」
「いいえ、14時どころではありません。15時半ですよ? 我々は3時間以上も待たされたのですよ! 一体どういうことか、説明してください!」
「そうだそうだ!」
「説明しろ!」
「これだから貴族は嫌なんだ!」
周囲にいた人々も非難の声を浴びせてくる。
「こら! オフィーリア様に失礼な口を叩くんじゃない!」
爺やが言い返す。
今迄の私だったら鼻で笑うか、貧民のくせに生意気だとか言ったかもしれないが……。
「いいのよ、爺や。彼らが言いたいことは分かるわ。だって待たせてしまったのは事実なのだから」
「え……? オフィーリア様?」
驚く爺やを前に、私は頭を下げた。
「それは悪いことをしてしまったわ。長い間待たせてしまってごめんなさい」
「オフィーリア様! な、何をなさっているのですか!?」
爺やが悲鳴じみた声を上げるのも当然だ。
貴族が平民に頭を下げるなんて、あってはならないのだから。
けれど遅れたのは事実、それに私はもうドヌーブ家から籍を抜かれるのだから貴族がどうとか関係ない。
「遅れたのは、水を用意していたからだけじゃ無いの。あなた達に綺麗な水で作った料理を食べてもらうために用意していたからよ! さぁ皆さん! 今から食事と水を配るから、自宅からお皿とスプーン、それにコップを持って来てちょうだい!」
私は声高に叫んだ――




