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最終話・約束

 俺と二宮は互いの手をつないだまま歩いていた。

 午後9時を過ぎた川辺の道は月に照らされて明るく、他に人影は見えなかった。

 二宮が俺の注意をひこうとするように、つないだ手を軽く引いた。

 俺が二宮を見下ろすと、俺を見上げていた二宮と目が合った。


 安西は納得していなかったが、やはり二宮と恋人になるのは早すぎる気がした。

 二宮の外見が幼いからではない。

 恋愛に関しては、むしろ未熟なのは俺の方だ。

 俺が彼女の気持ちに上手く答えられないことで、すでに何度も悲しい思いをさせている。


「店長さん」

「ん?」

「遠慮なく言った方がいいんですよね?」

「ああ」

「だったら言います。あたしを、あたしの気持ちを、もう少し信じてください」

「そうか……、そうだな。俺が間違っていた。恋愛がうまくいかなくても、それで2人の関係が壊れてしまうわけじゃないよな」

「そういう意味じゃないです」


 違うのか。


「やっぱり店長さんには家族が必要です。一緒にいて店長さんが幸せになれる人が」

「それよりも、俺といることで幸せになれる人を探す方が大変だな」

「あたしなら誰より幸せになれる自信があります」


 二宮に真顔でそう言われて、俺はすぐに言葉を返せなかった。

 恋愛には不安があると言った俺の言葉を、安西から聞いたのだろうか。

 もう二宮はユキの代りではないが、家族といってもいい存在になろうとしてくれている。


「……ありがとう」

「困ってます?」

「いや。そう言ってもらえるのは嬉しいよ」

「じゃあ……、あたしと家族になるように、これからお父さんに話してもらえますか?」

「え? 本気なのか? いや、それは無理だろ」


 二宮は親まで巻き込んで本当の家族になるつもりなのか。今のところ二宮の父親には悪い印象を持たれていないはずだが、『俺もあなたの子供にしてください』なんて言ったら正気を疑われることは確実だ。


「そうですか?」

「誰かを養子にするのは、そんなに簡単じゃないから」

「養子……ですか? 義理の息子って言うんじゃないんですか?」

「いやいや。それは結婚する相手の息子だろ」

「そうでしたっけ?」

「後は、娘の結婚相手とかだな」

「それなら合ってるじゃないですか」

「……何が?」


 俺が何か勘違いしてるのか?

 それとも理解することを避けているのか。


「う~ん。でも、とりあえずお父さんの養子になってもらう、というのも悪くないですね」

「とりあえずって――」

「店長さんがその気になったら養子から婿養子になればいいんですよ。もしそれがダメでも家族としては一緒にいられます。実子と養子って結婚できましたよね?」


 さすがにこれで勘違いはできない。


「自分がまだまだ成長中だって自覚はあるか?」

「法律だともう結婚できる歳ですよ」

「親の許しがあればだ。お父さんが認めるわけないだろ」

「そうかなあ」


 二宮の本気で考え込んでいる顔を見つめていると、困惑する気持ちとは別に、俺の心は暖かくて心地よいもので満ちてくる。

 彼女は俺を人生のパートナーとして選んでくれている。


「そうだ! 子供ができたって言えば?」

「やめてくれ! まだ殺されたくない」


 俺の言葉を聞いて二宮は笑った。

 どうやら冗談だと思ったようだ。


 だが俺は、その職業を知って思い当たるようになった彼の隙のなさを知っている。

 二宮の母親が誤解した場面では、一瞬だが寒気がするほど冷たい目を俺に見せた。

 そして二宮を傷つける者への彼の敵意に対して、俺は共感するだけでなく、今回の件では負い目を感じている。

 俺が二宮良治に駆除される可能性は彼女が思うほど低くない。


「二宮。悲劇の引き金は意外と身近にあるんだぞ」

「……本気で言ってるんですか?」

「二宮のお父さんには二宮にしか分からない一面があるだろう。だが同時に、二宮のお父さんには俺にしかわからない一面もあるんだ」


 俺の言葉を聞いた二宮は、何か考えているようなそぶりを見せた。


「……言い難くないですか?」

「何がだ?」

「いちいち『二宮のお父さん』って言うことです。もう名前で呼んでもいいんじゃないのかな」

「良治、と呼べばいいのか。さすがに呼び捨てはまずいな。良治さんか」

「お父さんだけじゃなくて、あたしもです。『二宮』だと、どちらに言ってるのか分かりにくいから」


 しかし、二宮を名前で呼ぶのは二宮の父……ではなく、良治さんが嫌がっていたはずだ。


「あたしとママを仲直りさせてくれた時は、あたしのことを透花(ゆきか)って呼んでくれましたよね。でもその後はまた二宮に戻って――」

「あれはまあ、二宮のお母さん……菜月さんだったな。菜月さんの呼び方を真似しただけだ。良治さん、菜月さん、そして二宮。十分区別はできてるだろ」

「そんなにあたしの名前を呼ぶのが嫌ですか? 店長さんなら、頼めばすぐに名前で呼んでもらえると思ってました」

「……そう言われれば確かにそうだな。俺はもっと単純に物事を決めていたはずだ」


 これじゃあまるで、昔の俺、僕と言ってた頃の俺に戻ったようだ。

 いや。あの頃の俺ならもっと優柔不断だったか。

 もしかすると、僕から俺になるために切り捨てた色々なものが、少しずつ戻ってきているのかもしれない。


「二宮。もし俺が変わってしまったらお前はどうする? 二宮が感謝をしている、二宮を助けることのできた俺ではなくなったら。優柔不断で、自意識過剰で、気にはなっていても行動には移せない。そんな人間になったら――」


 二宮はその言葉を聞くと、俺の顔をじっと見つめて、長い間その視線を逸らそうとしなかった。

 それから俺の体に強く抱き付いて、その耳を俺の胸に当てた。

 また彼女の暖かさを感じて、自分の鼓動が早くなっていくのが俺には分かった。


「店長さんもどきどきしてる。最初に抱きしめられた時は、あたしだけどきどきしていたのに」

「二宮……」

「気付いていませんでした? 店長さんはずっと前から少しずつ変わってましたよ。最初に会った時の店長さん、あたしを慰めてくれた店長さん、あたしとママを仲直りさせた店長さん、そして今日の店長さん。それぞれ同じだけど違う店長さんでした。あたしは後になるほど店長さんを好きになりました」


 二宮の言葉は、俺の鼓動をさらに早くした。

 それを聞いている二宮には俺の気持ちが伝わっただろう。

 しかし俺は、あえて言葉で自分の気持ちを二宮に、透花に伝えたくなった。


「そうだな。こうやってお前の体に触れて、こんな風にお前の気持ちを聞いたら、心臓の鼓動が早くなるのは当然だな。俺は透花が誰よりも好きなんだから」


 透花の鼓動もさらに早く、さらに強くなっていった。

 俺は透花の頭に手を置くと、彼女の髪をそっと何度も撫でた。

 透花が上気した顔で俺を見上げた。

 その唇にキスをしたいと思った。


 俺が顔を近づけると、透花はその目を閉じた。

 しかし思ったようにはその距離が縮まなかった。

 抱きつかれたままでキスをするには、俺と透花は身長の差があり過ぎた。


 少し躊躇した後に、俺は右手を透花の腰に、左手をその背中に添えた。

 そして覆い被さるようにして両腕に彼女の体重を乗せると、その体を持ち上げた。

 透花は驚いて目を見開いたが、俺の意図を理解してまたその目を閉じた。

 そして俺は彼女の唇にキスをした。


 気が付いた時には、俺はもう透花を地面に降ろしていた。

 彼女の柔らかな表情を見る限りは、特に失敗はしなかったようだ。

 記憶があいまいだというだけで俺も十二分に幸せな気分だった。

 俺と透花はまた手をつないで歩き出した。


「俺が名前で呼ぶなら、店長さんと呼ぶのも、もうやめにしないか?」

「それじゃあ……、湊河さん」

「名前じゃないのか?」

「え? でも、店長さんの方がずっと大人で――」

「透花。名前で呼んでくれ」

「……貴弘さん」


 透花の恥ずかしそうな声に、俺も少し気恥ずかしくなった。


「どうして俺を大人だと思うんだ? 3つしか違わないぞ。顔が老けてるからか?」

「違います! ……あたしよりずっと落ち着いてて、あたしにできないことが簡単にできるから」


 俺自身は自分が落ち着いていると思ったことはない。

 単に俺が鈍くて透花ほど表情が変わらないだけじゃないのか。

 俺としては透花の気持ちが分かる男に、空気を読める男に変わりたいと思っている。


「でもこれからは、貴弘さんって呼びます」

「呼び方を変えたら、店の連中にも気付かれるだろうな」

「あ、……やっぱりあたしのことは二宮と呼んでください。あたしも店長さんって呼びますから。名前で呼ぶのは2人だけでいるときに――」

「良治さんといるときも、だろ?」

「ん~。ちょっともったいないけど、まあいいです」

「もったいないって……、良治さんが泣くぞ?」


 俺の言葉を聞いて、透花が悪戯っぽく笑った。


「特別なときだけ名前で呼んでもらった方が、今のこのすごく幸せな気持ちを、いつまでも慣れずに思い出せるんじゃないかなって」

「そういうものなのか? まあ、透花が望むのならそうしよう」

「もう1つお願いしてもいいですか?」

「何だ?」

「……いいですか?」

「……分かった。今から透花言うことは何でも聞く。約束する」


 透花は足を止めると、俺の目を見つめて満面の笑みを見せた。


「貴弘さんを全力で幸せにしてください。もしあたしが誰かのせいで死んだとしても、絶対に復讐なんてしないでください」


 その言葉に俺は意表をつかれた。

 俺はどう答えたらいいか真剣に考えた。


「……俺にも条件を言わせてくれ」

「何でも聞くと言いましたよね」

「お願いはもう1つだった。今のは2つのお願いじゃないか?」

「……条件というのは何ですか?」


 透花は渋々といった様子でそう言った。

 俺は絶対に外せない条件を透花に言った。


「透花も全力で自分を幸せにしろ。透花がそれを守る限り俺も約束を守る。それが条件だ」


 透花にまた笑顔が戻った。

 少しだけ涙ぐんでいるようにも見えた。

 俺たちは互いにその約束を誓った。





 俺の人生に日常が戻った。

 終わることを考えない、3年ぶりの幸せな日常だ。


 俺の幸せは、俺にとって大切な人たちが、第一に透花が幸せであることだ。

 俺の生き甲斐は、そのために全力を尽くすことだ。

 あの約束が破られることはない。

これで2人の話は終わりです。

読んでくださった方、ありがとうございました。

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