side29.絵
※コミック5巻(20話)以降
「いい天気でよかったわ」
庭が一望できるテラスでのお茶会にぴったりの晴れ具合だと、オクタヴィアは桃色の瞳を細めた。
「せっかく、イザーク君と一緒の席ですもの」
「恐縮です」
ねぇ、と同意を求めて視線を投げると、庭師見習いの少年は畏まった。言葉につまることがない辺りは、執事のハインツの教育の賜物だろう。最初から目上の者と認識した相手には敬語をつかう少年であったが、言葉遣いがより丁寧になった。
畏まらなくていいとオクタヴィアがいっても、態度の硬さは完全には緩まない。それは季節ごとに一度という低い頻度でお茶会に招待しているためか、彼を招待するときには長女のリュディアが自分に警戒をするためか。どちらにせよ娘含めて可愛らしいところがあると、オクタヴィアは笑みを零す。
膝のうえに座る次女のフローラが、母親の言葉を拾う。
「ざーくもいっしょ?」
「そうよ。フローラも嬉しい?」
「うっ」
「わたくしは嬉しいとは一言も……」
「あら、ディアも嬉しかったのね」
大きく縦に頷くフローラは、母親に賛同したのだとばかり。係る対象が自身と誤解するほどに、喜ばしいのか。そう、暗に指摘され、リュディアはかっと頬を熱くし押し黙ってしまう。
素直な次女と態度は素直な長女。どちらもオクタヴィアには愛しい存在だ。長女のリュディアに対しては、構ってあげることができなかった時期があったこともあり、つい素直になるよう促してしまう。だが、リュディアはその構い方がお気に召さないらしい。今もささいな一言だけで暴かれて、口惜しそうにしている。
一番親しくしているリュディアがぴりぴりしているものだから、庭師見習いの少年はそのやりとりに介入することはせず、だされた紅茶を口にする。彼には、深い意味のないただの会話にきこえた。しかし、彼女が何かしら母親に揶揄されたことだけは察した。オクタヴィアは娘に構うのが心底楽しいのだと感じる。どういうところでリュディアが敏感になるか把握しているということは、それだけ彼女をみているからに他ならない。
きっと貴族には珍しいのだろう。エルンスト家の人間は、貴族らしくいながら家族に愛情深い稀有な人種だ。でなかったら、ただ娘と親しいだけで使用人の自分をお茶会に誘ったりしないだろう。庭師見習いの少年は、そんな珍しい家に仕えられて幸運だと再確認する。使用人含めて家族だという価値観の人たちだから、自分たちも自身のできる精一杯で尽くしたいと思えるのだ。
仕える人々から視線を外し、テラスの向こうを眺める。ここからは庭が一望できる。父親が手がけ、自分が手伝った庭だ。
「お嬢たちからは、こんな風に見えるんだな」
作業をする庭師は邸内に踏み入ることはほとんどない。二階など特にそうだ。俯瞰で自身の携わった庭を眺めるのは、庭師見習いの少年にとって新鮮であった。興味が水面を反射する陽光のようにちらちらと瞳の中で煌めいている。
「何を考えていますの?」
彼が何かを企んでいる気配を察知して、リュディアは訊ねた。庭師見習いの少年は、造園のことになると際限なく想像力を拡げる。初夏に青を基調とした花壇に白い花を点在させて青空を模したことがあったが、それも誕生月だからと彼の意見を父親の庭師が採用したからだ。
「色が多い品種の花で花壇で絵をつくるのも面白そうだなって」
庭から視線を離さず、彼は答える。やはり造園のことを考えているようだ。面白そうだから、と無邪気に計画する様子で、彼の年相応な一面を垣間見る。庭で他人を楽しませることに対して、彼の熱意は並々ならない。
「おえかき?」
「うん。花でするんだ。フローラは何の絵がいい?」
「おはなでー!?」
そんなことができるのか、と表情を輝かせる妹に、リュディアは笑みを零す。何の絵がいいか真剣に悩みだすのも愛らしい。庭師見習いの少年の案は、幼い妹を喜ばせることが多い。下町でも歳下の子供の面倒をみることがあるようなので、考え方など視点を合わせることに慣れている。きっと彼は無意識でやっていることだろう。
「お嬢は、何がいい?」
「わたくし……?」
自分にも意見を求められるとは思わず、リュディアは眼を丸くする。ついでのように訊かれたことをきっかけに、彼にとっては自分も面倒をみる歳下でしかないのではという考えに至る。それはなんだか癪で、浮かんだ疑念にむぅと剥れてしまう。
年齢が下であることは変えようのない事実であるが、他の歳下と同列でしかないことに不満を覚える。
問いかけただけでリュディアが剥れたものだから、何が気に障ったのか判らない庭師見習いの少年は首を傾げる。
それぞれの反応を可笑しく感じながら、オクタヴィアはゆるりと笑む。
「私には聞いてくれないのね」
「あ……っ」
失念していた庭師見習いの少年は、オクタヴィアの指摘に焦った様子をみせる。彼はリュディアの意向を窺うのが慣習化している。反応ひとつで、それがオクタヴィアには読み取れた。
「イザーク君は、ディア基準なのね。嬉しいわ」
気を悪くしていないと判る笑みを浮かべ、オクタヴィアは彼の優先順位を指摘した。
それに反応したのは庭師見習いの少年ではなく、リュディアだった。彼が当然のように自分に訊ねるのは、第一優先だからだというのか。他の歳下と同列ではなく。母親に喜ばれてしまい、そこに愛情も感じ余計にぼっと頬が熱くなる。
庭師見習いの少年は、仕える公爵夫人の気分を害していないことに安堵し、肯いた。オクタヴィアの方をみていたので、リュディアの変化には気付いていなかった。
「はい、俺の夢はお嬢が笑ってくれる庭を造ることですから」
リュディアが彼の自習用の庭の場所を教えられたとき、秘密にする代わりに自分が気に入る庭を造るよう約束させた。そんな口約束を彼は大事に守っている。父親のような庭師を目指すのは目標であって、彼のなかでは前提条件だ。だから、将来の夢となるとリュディアとの約束から拡がったものが該当しただけだろう。いつしか彼のなかで喜ばせる誰かは、リュディアが第一で浮かぶようになっていた。
彼の当然の事実に自分が含まれていることが、異様に恥ずかしい。どうして彼は母親の前であっさり認めるのだ。
「じゃあ、ディアが何を描いてほしいかが大事ね」
頬の熱を治められずにいるリュディアに、あえて注目が集まるようオクタヴィアは話を誘導する。その瞬間、リュディアは母親を恨んだ。彼に顔を真っ赤にしていることがバレてしまったではないか。
天気がよすぎたかと庭師見習いの少年は、紅茶を冷やすことを提案する。人の気も知らないで、と彼の気遣いを、リュディアは結構だと断った。紅潮の原因に心配されるのは、気まずいのだ。正直に文句をいうこともできやしない。
温くなった紅茶で一度喉を潤し、リュディアは問いかけに答えるだけの冷静さを取り戻す。
訊かれたのは、要望する花壇の絵だ。
「……花」
「え」
「たとえば、夏にもう散っている鬱金香が見れたら嬉しいですわ」
その時期に咲かない花でも絵ならば咲かせられるのではないか。問われて、リュディアはそんな期待が湧いた。
零された期待を耳にし、銅色の瞳が楽しげに陽光を反射した。
「花で花を描くの面白そうだな」
「おはなでおはなー?」
「ふふっ、楽しそうね」
庭師見習いの少年だけではなく、妹のフローラや母親のオクタヴィアまで楽しそうだ。返った反応にそんなに意外なことをいっただろうか、とリュディアは眼を丸くする。リュディア以外は思いつかない案だったことだけは確かだ。
すでにどの花で描こうかと模索しはじめる庭師見習いの少年。目の前の茶菓子を食べるのも忘れている。自分もずいぶん彼に毒されてしまったのかもしれないと、リュディアは苦笑する。しかし、周囲と違うことをするのも悪くない心地だ。以前の自分だったら、公爵令嬢の枠に適さない考えは恥じていたかもしれない。
妙なところで自身の変化に気付いた。
リュディアにとってのささいな変化は、オクタヴィアには成長の兆しだった。考えて自身の意見を述べられるようになった娘に、オクタヴィアは満足する。
花壇の絵の案で、フローラは最近読んでもらった絵本の中身から選ぼうと悩んでいた。しかし、リュディアは絵といわれて絵以外の媒体から被写体を導き出した。この視野の差を成長といわずなんといおうか。
お互いによい影響を受けて成長しているもう一方の少年は、絶賛花壇のことで頭がいっぱいの様子だ。
「あらら、フローラで手が塞がっていないのにクッキー食べれていないわね」
「ろーら?」
自分の名前があがり、膝のうえからフローラは母親を見上げる。彼女には記憶にないことだと、オクタヴィアは教える。
「フローラがもっと小さかった頃に、イザーク君が抱っこしてくれたけれど、それでクッキーが食べられないことがあったのよ」
そのときはリュディアが手ずから食べさせたのだと備考まで添えるものだから、リュディアは余計なことをいわなくていいと過剰反応する。そんな長女の反応にころころと笑うオクタヴィアの膝のうえで、フローラは思案の沈黙を落とす。
数秒して、フローラは自身で母親の膝を下りて、庭師見習いの少年のところまで向かった。
「ざーく」
「ん? ああ」
膝にのせてほしいと乞われ、庭師見習いの少年はフローラを持ち上げ、その膝に座らせた。彼と同じ席に座ったフローラは、目の前のクッキーに手を伸ばし、そのまま後ろの彼に手にしたそれを差し出した。
「あい」
「え?」
唐突な行動に理解が遅れたが、どうやら考え事をしている自分の代わりにクッキーをとってくれようとしたようだ。
「ありがとう」
フローラの意図を察した庭師見習いの少年は、礼を述べ差し出されたクッキーをくわえる。彼の咀嚼を確認したフローラは、どうだと小さな胸を張る。今の自分なら、彼の手が塞がっても手助けできると行動で証明した。次女まで成長を教えてくれるのかと、オクタヴィアは可笑しくなる。
「凄いわ、フローラ」
母親に褒められて気を良くしたフローラは、またクッキーを手に取り、彼の膝を下りて別の席へ足を運ぶ。今度はリュディアの席だった。
「ねーしゃ、あいっ」
「わ、わたくしも……?」
ずい、とクッキーを差し出され、リュディアは気圧されたように屈んでその小さな手が掴むクッキーを口にした。庭師見習いの少年が作るほど大きなクッキーではないが、普段は数口に分けて食べているものだから一口で食べきるには時間を要した。けれど、妹からの期待の眼差しを浴びて、咀嚼を止める訳にはいかなかった。
咀嚼しきったあと、紅茶を飲んでようやくリュディアは礼を述べることができた。
「フローラ、ありがとう。とても美味しいですわ」
はにかむ姉に対して、妹は満面の笑みを返す。フローラは食べさせるのが楽しくなったようで、さらにクッキーを取ろうとする。しかし、リュディアでは妹を持ち上げて自身の膝にのせられないため、どれだけ伸ばしてもフローラの手はテーブルに届かない。だから、リュディアは代わりにクッキーを取り、妹の口へ差し出した。
「はい、あーん」
「あー」
フローラは反射的に差し出されたクッキーを口の中に入れる。小さいサイズを選んだが、幼いフローラが咀嚼すると頬が膨らんで栗鼠のようだ。その愛らしさに、リュディアはつい笑みを零してしまう。
「ふふ、美味しい?」
「おいしー」
食べさせてくれたお礼にとしたリュディアの行動に、フローラは笑顔だ。食べさせあいっこが気に入ったのか、フローラはそのあとは、姉と交互に差し出しあう。そのために、庭師見習いの少年の椅子をリュディアの隣に運んで、彼の膝で落ち着くことになる。貴族のお茶会ではこのような座り方はしないが、邸内のことだから誰に咎められるでもない。
リュディアも照れてこそいたが、気を悪くした様子はない。姉妹の仲睦まじい様子を間近で眺める彼は、ただ微笑ましくしている。
彼は本当にリュディアの笑顔が好きなのだな、とよく判る。子供たちを眺めるオクタヴィアは、紅茶を味わう。今日の紅茶は格別に美味しい。
娘は頬に差す赤の理由に気付いているのか。娘に向く銅色の瞳に籠るのは親愛だけなのか。それを訊ねるのは野暮だろう。
今はただ天気のよさに乗じて、陽溜まりのようなこの空気を満喫しよう。
子供たちはどんな未来を描くのだろう。
オクタヴィアは憂うことなく、彼女たちの未来がひたすら楽しみであった。今日も彼女の微笑みは絶えない。
コミカライズ連載4周年を迎えました。
現在も連載できているのは読者様のおかげです。誠にありがとうございます。
(コミカライズの現状が気になる方は、2024.04.21分の活動報告も参照ください)
コミカライズはオリジナル構成となっているので、きっと原作のみ派とコミカライズ派で読み取り方が異なると思います。それを楽しんでいただければ幸いです。








