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1.起の章


 とある場所に男と女が居た。

 普通の物語であれば、こういった場合にはまず細かな場所や時間、状況や二人の関係などを予め提示して物語に入っていくべきなのだろう。だが、この場合においては省いても特には問題にはならないはずだった。

 それこそ、名前すらも。……なぜならば、この場所や今の時間、二人の関係から始まって周囲の状況まで含めたあらゆるシチュエーションすらも、物語の始まりから終わりまで一切変化しない事が予想されるからだ。もっとも、それらを完全に省くというのも色々と不都合が多いのも事実であるので、簡単に状況の解説だけはさせておいて頂くとすると、この二人は友人以上恋人未満といった関係にある男女であり、たまたま二人で出かけていた日に突然の雨に見舞われて、物語の舞台となる客の姿もまばらな喫茶店に雨宿りを目的として逃げ込んだといったシチュエーションにあるとでも思って頂きたい。

 詰まるところ、こんな実験的な話においては、基本的にこの二人が会話して答えにたどり着けるかどうかだけが主題なのであり、あとは成り行きを見守りながら一緒に話の中身を考えてみて欲しいというだけなのだから。

 ……以上、前置きは終わり本題に入るとしよう。


「幽霊って見たことある?」

「え? 幽霊? ……何よ、唐突に」

「いや、見たことあるのかなって……」

「私は見たことないけど」


 そんな話をしていた二人に注文した珈琲と紅茶が運ばれてきていた。

 それを横目に見ながら、女は男に尋ね返していた。


「アンタは?」

「僕? ないよ」

「じゃあ、なんでそんなこと聞くわけ?」

「いや、ちょっとだけ気になることがあってさ」

「気になること?」

「こないだ、テレビで昔よくやってた特番を振り返ろうって企画をやってたんだ」

「最近、そういうの多いわね」

「昔懐かしい番組とか再放送とか増えてるからね」

「今更、あんなの見て面白がるヤツなんているのかしら」

「いるんじゃない?」

「根拠は?」

「さっきの君の言葉」

「え?」

「さっき、最近、そういった番組が増えてるって言ったよ」

「言ったわね」

「それって、そういった番組の方が視聴率が稼げてるって意味にならない?」

「そういえば、そういう考え方もあるわね」

「他にもあるって顔してるね」

「ええ、他にもあると思ってるわよ」

「他の理由って?」

「単純に制作費と手間の問題でしょ」

「手間はともかくとして……制作費?」


 キョトンとした顔でオウム返しに訪ねてくる。

 そんな男に、女は呆れた風に答えていた。


「アンタはニュースとかあんまり見てないかもしれないけど、近頃ってテレビCMとかに使われる広告費とかが減り続けてるって話じゃない」

「そうなんだ」

「そうなのよ。でも、そうなると当然、テレビ局も予算が減り始めてくるわよね」

「主な収入源が、そういった部分に依存しているのなら、そうなるのかも知れないね」

「まあ、日本の場合には大手のテレビ局とかは大抵、似たような名前の大手新聞社とかと繋がってるし、色々他にも事業とかやってるらしいから、一概にそれだけでテレビ局の予算が苦しくなるって訳でも無いと思うんだけどね。……でも、以前からテレビ局で番組の製作に使える予算が厳しくなってきてるってニュースとかでも散々騒がれてたから、最近の風潮として再放送が増えてきたり、ドラマよりもバラエティ番組とか知育系の番組が沢山作られる事が増えてきてるってのは当然の結果なんじゃないかって思えるわね」


 そう淡々と答えて見せる女に、男は苦笑を浮かべて答えていた。


「色々、そういったニュースに詳しいんだね」

「普通にテレビとか見てたりしたらある程度は知ってて当然ってレベルの話よ? それに番組表とか見てたら最近妙に夜のドラマとか減ったな~って思わないの?」

「僕、元々、あんまりテレビとか見ないから……」

「ニュースくらいは見ときなさいよ。そんなんじゃ何時まで経っても馬鹿なままじゃない」

「馬鹿って、酷いね」

「事実じゃないの」

「君が僕のことをどう見てるかはよく分かったよ……」

「まあ、アンタが馬鹿かどうかは、この場合、大した問題じゃないんだけど」

「僕にとっては大問題だけどね」

「私にとっては決定事項だもの。これっぽっちも問題じゃないわ」

「あ、そう……」


 そう苦笑を浮かべて引き下がる男にニンマリと笑みを返しながら女は言葉を続ける。


「まあ、そういうわけで今のテレビ局って予算とか色々厳しいわけよ。でも、セットとか大物俳優とかのギャラとか、人員とか機材とかで色々と金のかかるドラマとかはやりにくいからって、全くやらないって訳にもいかないでしょ」

「なんで?」

「飽きるじゃない。同じようなのばっかりやられたら。朝から晩まで似たり寄ったりで真面目な番組しかやらなくなったら息が詰まっちゃうわよ」

「あー……そういうこと」

「そういうこと。どんなに面白い芸や劇でも毎日毎日似たり寄ったりな物ばっかり見てたら飽きて当然だし、見たいとも思わなくなるでしょ。飽きないコツは、適度に他のジャンルとか、全く毛色が違うものを間に挟むことだから……」

「毎日肉だと飽きるもんね。たまには魚も食べたくなるし、野菜だって欲しくなるし」

「つまりは、そういうことね」


 一応の合意に至ったせいか、女は満足そうに紅茶で唇を濡らしていた。


「再放送ってことは、すでにあるものを利用するって事だよね」

「新しく何かを作って流すよりかはコストはかからないでしょうね」

「なるほど。そういう発想なのか」

「まあ、他にも理由はあるんだけどね」

「他にもあるの?」

「どれだけ発信側が創意工夫してみてもテレビを見るって行為そのものに飽きちゃう事だってあるのよ。今の番組編成内容とか傾向とかに飽きちゃってテレビを見なくなって、衛星放送とかの番組しか見なくなった人も増えてるでしょうからね」

「昔と違って今は色々選択肢が多いからね……」


 まあねぇといった風に答えた男に、女は他人事のように言ってるんじゃないといった風に答えていた。


「どうせアンタも、その口なんでしょ?」

「今はビデオライブラリとかで海外のドラマのシリーズ物を見てる事の方が多いかな」

「そういう人だって、昔はテレビを見てくれてたの」

「まあ、そうだね」

「そういう人が見たがりそうな番組は?」

「……昔のテレビ番組みたいなのをもう一回やってくれたら見るかもしれない」

「例えば?」

「君は馬鹿らしいと思うかも知れないけど、昔の特番とかでよくやってた幽霊とか心霊写真とかのオカルトものとか、超能力とかUFOの特番とか、馬鹿馬鹿しい内容を大真面目に扱ってた番組が好きだったんだ。最近は、まったくやらなくなったけど……。でも、僕はああいった番組を見るのが大好きだった」


 我ながら幼稚な好みだとは思うが、と言外に付け足しながら答える。


「だから、それを再放送したから見て貰えたんでしょ。久しぶりに。地上波のテレビを」

「ああ……。そういうことなのか」

「そういうこと。……ね? 一応は、そういった狙いもあったってことよ」


 そう納得しながら『なるほどなー』と珈琲を口に運ぶ男を見ながら、女は「で?」と先を促していた。


「え?」

「その昔懐かしい特番とやらを見ながら、アンタはどんな疑問を持ったわけ?」

「そういえば、そんな話をしてたんだったね」

「忘れてんじゃないわよ」

「流石にまだ忘れてないよ」

「嘘。忘れそうになってたじゃない」

「気のせいだよ」

「嘘ばっかり。……でも、まあ、面倒だから、とりあえずはそういうことにしといてあげるわ。だから、さっさと疑問とかいうのを教えなさいよ」

「そんなに大した疑問じゃないんだけどね。でも、気になりだすと色々と他のことも気になりだす内容でね……。まるで小さな魚の骨が歯の間に引っかかったみたいな気分になるんだ」

「それはまた、色々と……面倒な状態みたいね」

「君も、そうなりたいの?」

「そんなの御免だわ」

「だよね」

「でも、教えなさいよ」

「え?」

「気になるじゃない」

「……そういうものなの?」

「ここまで引っ張っておいて、教えないとか許さないから」

「まあ、それなら……」


 コホン、と咳払いをして。


「幽霊を見ましたとか、体験談とか一杯あるじゃない」

「あるらしいわね。私は見たことないけど」

「僕もないよ。でも、世の中には見たことある人が沢山いるんじゃないかな」

「どーかしらね……。あーいうのって、大抵、胡散臭い話ばっかりじゃないの」

「でも、特番とかよく作られてたし、海外のドラマとかでも幽霊が出てくる話とかあるよね」

「まあ、定番といえば定番のネタよね」


 UFOに幽霊に心霊写真に心霊体験。

 ホラー映画が常に一定の人気を博す所見るに、それらオカルト物と呼ばれる作風を求めている層は、何処の世界にも確実に一定数は存在するのだろうし、そこまでオドロオドロしい内容でなくとも、死者との交流を描く物語は昔から数多く存在していた。


「前にビデオライブラリで君と一緒に観たゴーストって名前の映画とかもそうだったよ」

「まあ、そう、ね」

「そんなことをツラツラと考えていた時にさ。ちょっと気になることが思い浮かんだんだ」

「気になることって、何が?」

「幽霊って人間のモノしか見えないのかなって」

「……え?」


 その言葉は一瞬理解出来なかったのか、表情の変化は声の後に訪れていた。


「よくペットとかが何も居ない場所とかに向かって吠えたり、部屋の隅っこの方の天井とか見上げてたりとか、そういった仕草を見せることがあるって話があるじゃない」

「まあ、猫とかは幽霊が見えてるんじゃないかって説があるらしいわね」

「うん。僕も同じ話を思い出したんだ。昔から猫には不思議な力、いわゆる霊感って呼ばれるヤツがあるって事になってて、ヨーロッパとかの方じゃ、昔から魔女の使い魔には必ず猫とかが描かれてきたんだよね。他にもカラスとかもあるらしいけど……」


 とりあえず、そういった眉唾モノの与太話は横に置いておくとして……。そう苦笑交じりに前置きをして、男は言葉を続けていた。


「まあ、そんなわけだから『猫には幽霊が見えている』としよう」

「乱暴ねぇ」

「確かに、随分と乱暴だとは思うけどね。でも、昔から猫には幽霊が見えてるんじゃないかなって、色んな人が感じてるのは確かだと思うんだ」

「だから、まずは最初の仮定として『猫には幽霊が見えている』とするってことね」

「妥当なスタートラインだと思わない?」

「妥当かどうかは分からないけど、とりあえずは異論は挟まないことにするわ」

「ありがとう」

「どうも致しまして」

「じゃあ、話を続けて良いかな」

「どうぞ」


 苦笑を浮かべながらも、女は仕草で先を促した。


「猫には幽霊が見えているとすると、その仮定を成立させるために必要になる最低限の前提条件が必要になるから、次の仮定は『幽霊は存在する』ってことになるよね」

「まあ、そうなるのかな」


 その答えが肯定でありながらもなぜか疑問形でもあったのは『仮定を立てていく順番がおかしくないか?』と疑問に感じていたせいもあったのだろう。


「でも、猫に見えているのは何の幽霊なのかって部分は、僕達には分からないんだよね」

「え? 今話してるのって、人間の幽霊の事じゃなかったの?」

「確かに、猫が人間の幽霊を見てる可能性はあるよ。でも、僕は、他の幽霊を見てる可能性の方を、まず最初に考えてしまったんだ」

「他の幽霊って……何の?」

「猫」


 そう当然のように即答する。


「……猫だから、猫の幽霊を見てるんじゃないかって?」

「けっこう真っ当な推論じゃない?」

「何処がよ」

「えー?」

「エーじゃない。真面目に相手して損したわ。いきなり、何、馬鹿なこと言い出してんのよ」

「だって人間って、人間の幽霊ばっかり見てるじゃないか」

「……そうなの?」

「そうなんだよ。どんな怪談話でも、必ず人間の幽霊ばっかりじゃないか」

「そう言われてみれば、確かに、そう……かも……?」


 その着眼点は意外に新しいモノだったのかもしれない。



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