動揺
ザイレムでの宴の翌朝。
ボクはカイエンやユエン、そして帝都の仲間たちに見送られながらザイレムを後にした。幹部討伐とセルギスの救済という大役を果たした後だけに、その背にかけられる言葉の一つ一つが重く、誇らしくも感じられた。
それから十日。長い道のりを越え、昼下がりの陽光の下、ようやくセレフィアの王都ヴェルナードの城壁が見えてきた。
(イリスは……グレナティスに戻ってるかな)
胸の奥が妙にざわつく。告白の返事を受け取らずに出てきてしまったから、イリスとは顔を合わせにくい反面、早く答えを聞いて楽になりたいという気持ちもあった。その意味では、彼女の顔を見ることが、ボクにとって何よりの帰還の意味だった。
ヴェルナードに到着すると、まずは今回の結果を報告するためリゼの宿を訪ねたが、そこに彼女の姿はなかった。代わりに足を運んだ兵舎で見つけたのはガレドだった。
「おお、コウ殿……」
彼は気まずそうに視線を逸らし、何やら口ごもる。
「どうしたんですか?」
問いかけると、ガレドは小さく息を吐いた。
「フローラ様とリゼ様のところへ行きましょう。そちらで……話があります」
街並みはいつも通りの穏やかさを保っているように見えた。だが、ガレドの態度からはただ事ではない空気が漂っていた。胸の奥に不安を抱えたまま、案内された部屋に足を踏み入れると、そこにはフローラとリゼが待っていた。
「コウ、戻ったか」
リゼの声は低く、どこか沈んでいた。ボクはフローラの前に座り、軽く頭を下げる。
「予定よりだいぶ早かったね。……順調だったってこと?」
フローラの言葉にボクは首を縦に振り、修行の内容や邪鬼の幹部の討伐、セルギスの浄化の話をする。
報告を終えると、フローラは小さく頷き、リゼは深くため息をついた。
「そうか……。だがこちらは……」
リゼは苦い顔で言葉を続けた。
「実はな。イリスが――邪鬼に攫われた」
その一言に、全身が凍りついた。
「……え?」
言葉が喉に詰まり、どうにか搾り出す。
「な、なんでイリスが……?」
代わりに口を開いたのはフローラだった。彼女は机の上から一枚の紙を取り出し、ボクの前に差し出した。
「宿のベッドにこれが、置かれていたの」
そこには、短く冷たい文字が並んでいた。
――イリスを返してほしければ、黒の器自身が邪気の国へ来い。
文末には、手書きで邪鬼王ヴァルと書かれていた。おそらく、自筆なのだろう。
「お前がザイレムへ発って数日後だ。イリスがグレナティスに戻ると聞いて、見送ろうと待ち合わせ場所で待ってたんだ。だが、いつまで経っても現れないから宿を見に行ってみると……それが置かれていた」
リゼの顎が、机の紙を指した。
頭の中が真っ白になる。後悔、怒り、自分への失望……そして疑問が次々に溢れた。
(なぜイリスが……? なぜ攫った……? でも――)
「助けに行かなきゃ……イリスが、待ってる」
その時の自分は、表情を失っていたに違いない。
「おい、その状態で向かうつもりか? それこそ相手の思う壺だぞ。落ち着け」
リゼが鋭く声を飛ばす。
「落ち着けって……イリスが攫われたんですよ!? 落ち着いてなんていられるわけないじゃないですか! リゼさんにボクの気持ちはわからない!」
「そうだな。お前の気持ちなんて私にはわからない。だがな――そうやって大切なものを追いかけ、向こう側に堕ちたのが邪鬼王ヴァルだ」
リゼの言葉に顔を上げる。珍しく苦虫を噛み潰したような彼女の顔。その表情に、胸が揺さぶられる。
「もうこれ以上、私の自慢の弟子があっちに堕ちるのは見たくないんだ」
頭に浮かんだのは、修行の時にリゼから聞いた話。かつての黒の器、リゼの弟子――邪鬼王ヴァル。大切なものを失い、邪気に呑まれた彼の姿。
(……あの時と同じ。ヴァルはボクを、自分の再現にしようとしているんだ)
リゼの言葉にボクは少しだけ冷静さを取り戻すことができた。
「……ごめんなさい」
小さく絞り出すと、リゼは少しだけ目を細めた。
「分かってくれればいい。助けに行くなと言っているわけじゃない」
フローラが横から口を挟む。
「私たちだって何もしてなかったわけじゃない。アグナルに早馬を送ったら、救出の助っ人を手配してくれたの。ジークとエルネアって人たち。もう王都に来ているわ。コウが戻ったら作戦会議を開くつもりだったんだよ」
「そっか……」
辛いのはボクだけじゃない。イリスの父アグナルにとって、イリスが攫われて居ても立っても居られないだろう。だが領主として、軽々しく動けない。
「ありがと……わかったよ」
口にして、自分を納得させるように頭を下げた。
***
翌朝。ヴェルナードの一室に、救出のための面々が集まった。
フローラ、ガレド、リゼ、そしてジークとエルネア。ボクもその輪に加わる。
「さて、始めようか」
リゼが口火を切る。
「まず前提だ。邪鬼の国に向かう戦力をどうするか。コウは必須。邪鬼王に対抗できるのはこいつだけだ。それにアグナルの意向を汲めば、ジークとエルネアを王都に残すのもあり得ない。だから、この三人は確定だ」
一同が頷く。リゼは続けた。
「問題は、他をどうするかだ」
ガレドが真剣な顔で口を開く。
「国を守る騎士団の立場からすれば、最大の懸念はセレフィア側で邪鬼に対抗できる力がヴェルナードに不在となったときに、別勢力から侵攻を受けることです。全戦力を遠征に回せば、王都ががら空きになる。その一方で、少数すぎても救出は危険……」
そこで、ジークが低く言い放った。
「だからこそ少数先鋭だ。邪鬼と渡り合えない者は足手まといになる」
「ジーク……!」
エルネアが止めようとしたが、リゼが割って入る。
「いや、ジークの言う通りだ。守るものを抱えながら攻めるのが一番厄介だ。邪鬼と真正面からやり合える者に絞るべきだ」
そこまで言ってリゼはガレドに改めて問う。
「ガレド、全力のお前を打ち崩せる戦力が騎士団の中に何人いる? それくらいできないと邪鬼とは戦いにならないぞ、きっと」
「……私の守りを破れる者は、残念ながら今の騎士団にはいません」
ガレドは悔しげに首を振る。
「ならば、騎士団からの同行はなしだな。あと、ガレドは王都の守りに残った方がよさそうだな。お前がいれば防衛は厚くなる」
リゼの言葉に、皆がうなずく。
「残るは、私がどうするか、か……」
リゼの問いに、フローラが口を開く。
「リゼ、あなたはコウと行って。あなたにとって、ヴァルは因縁の相手でしょう?」
リゼは一瞬目を見開いたが、やがて大きく頷いた。
「……分かった」
「決まりだな」
リゼが拳を握り、声を張る。
「邪鬼の国へ向かうのは私、コウ、ジーク、エルネアの四人。明日の朝には出発する。イリスを取り戻して、皆で笑ってうまい飯でも食おう」
その言葉に、一同の表情が引き締まった。
ボクは胸の奥で強く誓う。
(イリスを絶対に助け出す――)
拳を固く握りしめ、視線を前へと向けた。
最終章、スタートです!
ブクマ、評価、感想をいただけると作者の励みになります!
お気軽にいただけるととても嬉しいです。




