第45転 上級闇黒魔法
突如、左の脇腹に鋭い痛みが走った。見れば、そこには年端もいかない子供がいた。鬼の子だ。鬼の子供が俺を錆びた小刀で刺したのだ。
子供は血まみれだった。俺の返り血ではない。胸をばっさり斬られた傷口から血を流しているのだ。
「許さない……許さない……」
子供が譫言のように呟きを繰り返す。
ふと屋敷の方から物音がした。振り返れば、十数人もの鬼の子供達が屋敷の縁側に並んでいた。全員が全員、俺を恨めしそうに見ている。その手にはいずれも小刀を握り締めていた。
「間違いない、こいつらは桃太郎が殺したあの村の子らだ!」
本能的に刀で握り締めようとして気付く。今の俺は刀を持っていなかった。闇の火砕流に呑まれても手放さなかったのに、この手は徒手空拳だった。
気付いた瞬間、恐怖が心身を支配する。刀を失った事で桃太郎のスイッチがオフになり、精神がただの高校生に戻ってしまったのだ。
「桃太郎様、桃太郎様」
怯える俺にいつの間に横にいたのか、鬼女が声を掛けた。温羅ではない。温羅の娘だ。名前は知らない。聞く機会がなかった。
「桃太郎様は先程、『幾つもの村から奪い殺してきた鬼に何か言える義理はない』とおっしゃいましたね。では、この麗ならどうでしょうか。この村から出た事がなく、人を手に掛けた事もない麗であれば義理があるのではないでしょうか」
「…………!」
鬼女――麗の指摘に返す言葉がない。頭が恐怖と混乱でグルグルしている。何の言葉も浮かばない。
そうこうしているうちに鬼の子達がこちらに殺到した。刀もなく、怯え竦む俺に抵抗する術はない。次々と小刀が俺に突き立てられる。鋭い激痛が俺の全身を隈なく貫いた。
「うっ……おぉぉおおおおおぁあああああああああああああああああああっ!」
「――おい! おい、しっかりしろ!」
「…………ぇあ?」
再度の暗転。気付けば、目の前にはハデスがいた。場所は洞窟の中――根の国だ。どうやら俺は地面にへたり込んでいたらしい。右手を見下ろせば、刀を握っていた。竹から貰った俺の刀だ。
周りを見渡せば竹もネロもカルルも地面に横たわっていた。波旬とオルフェウスは尻餅こそ突いていないが、膝を突いていた。温羅とエルジェーベトはいない。どこに行ったのだろう。
「急に倒れたから何事かと思ったぞ」
「倒れた……俺はどれくらい意識を失っていたんだ?」
「四秒か五秒くらいだが」
「五秒……?」
今の光景がたった五秒? そんな馬鹿な。どれだけ低く見積もっても数分はあった筈だぞ。
「……【上級闇黒魔法】は悪夢を見せて精神崩壊させる幻術の一種ですぞ。幻覚の中では時間間隔も自由自在。最高位の魔法使いなら、現実世界では一秒でも幻覚の中では三日間とかもできまつ」
「カルル。お前も意識を取り戻したか」
「ええ、まあ……ああもう、前世の嫌な記憶、色々と思い出しちまったんですけど! 気分悪っ!」
頭を抱えてしかめっ面をするカルル。前世の嫌な記憶を思い出したという事は、カルルが見た悪夢は鬼ヶ島の村ではなかったという事か。【上級闇黒魔法】が見せる悪夢は対象それぞれで違うのだろう。汎用性の高い、恐ろしい技だ。
「温羅とエルジェーベトはどこに行きやがった?」
「社だ。奴ら、魔法を放った途端に一目散に向かった。具体的な目的は不明だが、イザナミの祈祷を邪魔しに行ったのだろう。早く追わねばならん」
それはまずいな。イザナミの祈祷が失敗すれば、闇が再び地上に溢れ出す。そうなれば阿鼻叫喚だ。闇は呪いであり、呪いは祟りとなる。地上が地獄絵図と化す。温羅とエルジェーベトを止めなくてはならない。
「パパ! ママ! お祖父ちゃん! うああああああああああああああああああああっ!」
「ネロ!?」
唐突にネロが絶叫し、脇目も振らず石神社へと駆け出した。あまりの急転に誰もがネロを止められない。
「ど、どうしたのよ?」
「いけない、【上級闇黒魔法】のせいですぞ! 多分、ネロ殿はパパやらママやらが死んだ光景を見て、錯乱してしまったのではないかと!」
「ネロの家族が異世界転生軍に殺されたっていうアレか!」
それで、とりあえず異世界転生者であるエルジェーベトの下へと行ったのか。
危険だ。あんな状態のネロに単独行動なんてさせられる訳がない。エルジェーベトは『終局七将』に匹敵する異世界転生軍の幹部なのだ。
「……来るよ」
オルフェウスが温羅達の向かった先、石神社を指差す。何がと思うよりも早く、石神社から大量の人影が現れた。
不死者だ。動く骸骨に人魂、餓鬼に黄泉醜女、何十何百という冥府の住人が群れを成していた。不死者の軍勢だ。
軍勢は疾走するネロを迎え撃つ形で、雲霞のようにこちらに押し寄せてきた。




