第36転 十の元素と十属性
マーラ・パーピーヤス。
仏教に登場する魔王。魔羅。六欲天の最高位を支配する者。悟りを開かんとする者の前に現れては妨害する、煩悩の化身。その名の語源は「殺す者」である。
インド神話における愛の神カーマと結び付けられ、カーマ・マーラという一柱の存在として認識される事がある。
◆ ◇ ◆
ネロとカルルの下へと行く傍ら、俺は波旬の戦いに感嘆していた。
「強い……!」
まだ小競り合いの段階、お互いに本気を出していないだろうが、それでも波旬は圧倒的だった。ニールの技がどれほど凄まじいかは込められた魔力を見れば分かる。特に【黒剣十指・光殺しの魔弾】はガブリエラの【天からの雷鎚】をも貫通し得る威力だった。それをあしらう波旬がどれだけ並外れているか。輪廻転生者最強の男と称されたのは伊達ではない。
ていうか、
「あの銃めっちゃ面白いな! すげぃ!」
特に俺が夢中になったのは【火魔々羅】だ。多種多様な機能を見せる魔銃。ああいう可変武器には男の浪漫を感じる。
「……男の子ってああいうの好きよね」
「まあな。もう少しガシャンガシャンって変形するともっと好みなんだが。それでもアレはいい!」
興奮が収まらない。呆れる竹にも何のそのだ。そんな俺にこれ以上は追及しても無意味と判断したのか、竹は小さく溜息を吐いただけで続きは何も言わなかった。
「それにしても、アレが『闇の元素』か。異世界の魔王が使っているあの黒いの。初めて見るが、寒気がするな。関わるべきじゃない物だって事が肌でひしひしと伝わるぜ」
「ええ、私も初見だけど、不気味なものね。……見覚えがある気もするけど、何故かしら」
カルルの説明を思い出す。
元素とは物質を構成する基本的な成分の事だ。この世の全ては元素によって作られており、現在では一二〇種類近くも発見・命名されている。水素や酸素、炭素や窒素などがそうだ。生物も非生物もこの一二〇の元素の組み合わせによって作られているのだ。
『というのは、化学の領分での話。魔法の領分では違います。我々の世界では元素はたったの十つしかないのですぞ。
基本元素の地・水・火・風。
複合元素の雷・氷・木・金。
例外元素の光・闇。
この十の元素が魔法世界カールフターランドを構成しているのでつ』
元素が持つ性質を属性と呼び、地属性・水属性・火属性・風属性・雷属性・氷属性・木属性・金属性・光属性・闇属性の十属性がある。
ニール・L・ホテップのチートスキル【黄昏を導く言の葉】は十属性の一つ、闇属性を強化するものだ。
『魔法の威力を十倍にする、消費魔力量が十分の一にする、敵の魔法攻撃を無効化あるいは吸収する、時に反射もこなす。闇魔法反射の効果を用いて実際に【呪い返し】を成した事もあったそうですぞ。ひっくるめて言えば、闇属性のスキルに対して滅茶苦茶相性が良くなる、【黄昏を導く言の葉】はそれのみに特化したスキルでつ』
至って単純明快なスキルだ。シンプルなものほど手堅いのはどこの世界でも同じである。
「……っと、おい。見ろよ、ニールのあの表情を。アレはヤバいぜ」
ニールの表情からは笑みが消えていた。先程までの高慢な態度が嘘のような凪いだ顔だ。まさしく能面の如き無表情である。
「ええ。あれはキレているわね。ああいうのが臨界点を超えると怖いのよね、これが」
俺の指摘に竹が同意する。
昔、喧嘩屋として色んな争いに介入してきた俺はああいうのを見た事がある。普段は消極的な癖に鬱憤を溜めている奴が完全にプッツンした時、あんな感じになっていた。ああなると溜め込んでいる分、容赦も歯止めも利かないから恐ろしい。
「……全力で来いと言ったな、第六天魔王」
ニールの殺意が闇と共におどろおどろしく膨れ上がっていた。波旬の余裕な態度に苛立ちを覚えつつも表面上は冷静に努めていた。冷静に怒りを面に出さず、腹の底に留める。感情を爆発力に変える為にだ。
「よかろう。だが、後悔するなよ。余の全力は余でも制御が利かんのでな」
「手加減無用だ。さっさと来な」
「ふん。――【初級闇黒魔法・黒剣弾雨】全門開放!」
ニールが闇から黒剣を展開する。先程は七本だったが、今度の本数はその七倍――四十九本だ。全身から生やしているのでまるで針鼠のようだ。
「斉射!」
四十九本の刃が一斉に射出する。真っ直ぐに飛ぶものもあれば弧を描いて飛ぶものもあった。上下左右から刃で囲む事で波旬の逃げ道を塞ぐ狙いだ。
「【変生・魔針銃】――!」
視界を埋め尽くす黒。迫る刃を波旬は機関銃モードの【火魔々羅】で迎え撃つ。刃が自身に届く前に高速で弾幕を散らす波旬。火弾が刃と乱れ合い、砕き合う。辺りに火の粉と黒の破片が舞い散る。
その時既にニールは波旬の左後方に回り込んでいた。
「!」
「はああっ!」
ニールの両手には【初級闇黒魔法・黒剣十指】が発動していた。四十九本もの黒剣弾雨は目眩ましだったのだ。大量の黒剣に隠れて接近し、波旬の背後を取るのがニールの目的だった。
「【変生・処徒銃】――!」
黒爪に斬り伏せられる前に銃の変質を間に合わせる波旬。だが、背後を取られたロスを挽回するまでには至らない。右から左から上から下から斜めからと息つく間もなく振るわれる黒爪。波旬も散弾銃で黒爪を弾き返すが、初手の出遅れから徐々に押されていく。
やがて黒爪はとうとう波旬を捉え、その肉体を切り裂いた。
「ぐっ……!」
右の黒爪による逆袈裟斬り。波旬の右腰から左肩までに五線の斬り傷が入る。血飛沫が飛び散る程に深い傷だ。
「――【黒剣十指・双狼を宿す手】」
そこで攻撃の手を緩めるほどニールは甘くなかった。間髪入れず左の黒爪を波旬に繰り出す。指を揃えての五爪を一刃に固めた手刀だ。恐らくその切れ味は五倍程度では収まるまい。受ければ心臓はおろうか肺も肋骨も纏めて貫かれるだろう。
「ッ――【変生・銃触土】!」
銃身から炎が迸る。炎は銃身を峰として片刃の剣と化し、ニールの手刀を受け流した。遠距離武器である銃と近距離武器である剣を組み合わせた両用武器――銃剣だ。
「おォオおおおおおおおっ!」
「あァアあああああああっ!」
迫撃が始まる。黒爪が奔る。銃剣が滑る。二人の攻防の余波で地面が抉られ、巻き込まれた大気がヒステリックに渦を巻いた。俺の頬にも激しく風が引き付ける。火の粉と黒の破片の散り具合がますます激しくなり、戦いのボルテージが上がっていく。
その間にとうとう俺達はネロ達の下に辿り着いた。




