第35転 火魔々羅
黒衣の少年が悠然とこちらに体を向ける。一見すると無防備で弱そうだ。だが、漲る魔力の密度が尋常ではない。イゴロウよりもイシュニよりも膨大な魔力をその身に留めている。下手に近付くだけで死ぬ――そんな予感をさせるには充分だった。
「……お前も『終局七将』か」
「そうだ。余はニール・L・ホテップ。魔王である」
「魔王……!」
魔法世界カールフターランドは勇者と魔王が永劫争い続ける世界だと聞く。『終局七将』は全員が魔王討伐に匹敵する功績を持つとも聞いている。成程、こいつが魔王か。納得の存在感だ。魔王そのものであれば魔王討伐相当の実力があると言っても矛盾はない。
ちらりとカルルとネロを見る。ここからでは仔細が分からないが、無事ではない様子だ。早く近くに寄って介抱しなくてはならない。しかし、二人と俺との間には魔王ニールがいる。誰かが彼を足止めする必要がある。
その足止めを果たして今の俺が務める事ができるかどうか。
先程、飲み水を手に入れたので俺と竹は【仏の御石の鉢・清浄】で体力を回復した。といっても完全回復した訳ではない。竹だって清浄の力を使った事で霊力を消耗している。疲労困憊に変わりはない。
だが、背に腹は代えられない。俺と波旬でニールを引き付け、その間に竹に行って貰うしかない。
「いいや、お前もあの二人のところへ行きな。あいつを足止めする役は俺一人でいい」
「えっ!? いや、でも……!」
などと悩んでいたら波旬が一人で戦うと言い出した。
「無茶よ。あんなのに一人で立ち向かうなんて」
「俺も魔王だ。少しはその神髄を見せてやらねえとな。お前らだってあの女狐と戦って疲れているんだろう?」
「KIPさん……!」
「いいから行け。俺にも格好付けさせろ」
しっしっと手を振り、俺達を追い払う波旬。仕方ない。実際、俺達が殆ど戦える状態ではないのは本当なのだ。この場は彼に任せるとしよう。ニールを遠巻きにしてカルル達に接近する。
「さてと……」
「……ふん」
異世界の魔王と仏教の魔王が対峙する。互いにすぐには動かず、相手を値踏みする視線が交わしていた。
「この城には貴様が捕われているとは聞いていたが、そうか。牢から出てきたのだな」
「おう、よくもあんな土臭ぇところに閉じ込めてくれやがったな」
「ふん……」
口元に笑みを浮かべながら睨み付ける波旬に、ニールは鼻を鳴らして流した。二人の間にある空気だけが重く歪んでいくような錯覚だ。何というプレッシャーだ。
「それにしても、よもやあのKIPの正体が織田信長だとは夢にも思わなかったぞ」
「ほう。お前も俺を知っているのか。百地よりも年下だってのに珍しいもんだ。サイン要るか?」
「結構だ。地球人類からの施しは受けないと決めている」
「そうかよ。つれねえなあ」
「……戦国の世の出生、確かに現代人より肉体は屈強だろうが、それでも神代ほどではあるまい。身体能力は人の領域を超えぬ筈だ。そんな肉体で余に一対一で挑むつもりか?」
ニールの圧に害意が混じる。炸裂寸前の爆弾みたいだ。恐らくは次の波旬の返答を合図に仕掛けるつもりだ。それに気付いていない筈がないだろうに、波旬の態度は変わらず泰然としていた。
「是非もなし。今は信長としてじゃなく波旬としてここにいるんでな。その心配は無用だ」
「第六天魔王、愛欲と殺害を司る神か。……ならば、その実力を見せて貰おう」
ニールの全身から黒い流体が噴出する。炎のように揺らめくそれは炎とは真逆で暗く冷たく、見ているだけでどうしようもなく怖気を震った。
ニールが右手の人差し指を立てると、彼の纏う黒が応じて動いた。黒の一部が細く長く伸び、平たく鋭くなる。両刃の剣だ。剣を模した黒はその切っ先を波旬に向けた。
「――【初級闇黒魔法】」
黒剣が射出する。弾丸の速度で波旬を刺さんと空を貫く。それを、
「天魔兵装【火魔々羅】――」
波旬は文字通り正面から迎え撃った。
手に持った火縄銃で早撃ちを行う。火縄銃の先より出たのは鉛弾ではなく火の弾だ。火弾は黒剣と正面から激突し、粉砕した。代償に火の玉も砕け、相殺となる。
「炎使いか。余は火が嫌いなのだがな」
波旬の火弾を見たニールが嫌悪感を露に表情を歪める。
「正確に撃ち落とすとはやる。しかし、火縄銃か。マスケット銃は連射が利かない銃だという事くらいは知っているが……まさか本当に連射できん代物を今時持ち出してくる訳があるまい。何をしてくるやら……」
闇が動き、黒剣が生まれる。今度は七本もの刃がニールから突き出ていた。
「確かめさせて貰おう。――【初級闇黒魔法・黒剣弾雨】!」
七本の黒剣が一斉に発射する。一本一本が音に届く高速の刺突だ。波旬の肉体に無数の風穴を空けんと大気を掻っ切っていく。
「【変生・魔針銃】――」
波旬の銃が変質する。引き金を引くと銃口から火弾が連射した。展開した紅蓮の弾幕が黒剣を悉く遮り、撃ち落とす。
如何に音速といえども射出する角度と標的が分かってさえいれば、弾道を読むのは不可能ではない。不可能ではないが、だからといってここまで鎧袖一触とは恐れ入る。神ともなればこの程度の攻撃を捌くのは訳ないのか。
「ほほう、機関銃になるとはな。ならば、これはどうだ――【初級闇黒魔法・黒剣十指】!」
闇がニールの両手を包み、黒剣がそれぞれの指に備わる。指の動きと連動する刃はまさに爪だ。
獲物を狩る猟豹の如き俊敏さでニールが地を駆ける。一息の間に波旬に肉薄するニール。常人であれば一振りで八つ裂きになる大爪だ。それが鼻先にまで迫っておきながら波旬に焦りはない。
「【変生・処徒銃】――」
二度目、波旬の銃が変質する。響く二発の銃声。散弾と化した火弾がニールの右爪を、続いて左爪を撃つ。両手に受けた衝撃にたたらを踏み、一旦退くニール。
掌を散弾で撃たれるなど前腕から無くなってもおかしくないのだが、ニールの両手は無事だった。彼の全身を包む闇が攻撃だけでなく防御の役割も果たしているのだ。
「今度は散弾銃か! 成程、それが貴様の銃、それが【火魔々羅】の機能か。面攻撃にも線攻撃にも対応しているという訳だな。――ならば、点攻撃はどうだ?」
ニールが拍手をする。十の黒剣が重なり、一本の巨大な刃となる。
「【黒剣十指・光殺しの魔弾】――!」
射出される巨剣。一点に集中した威力は黒剣十本分よりもなお高い。これならば散弾銃では撃ち落とせないというニールの判断だ。この剣弾を前にさすがの波旬も顔色が変わる。汗が噴き、それでも依然、表情から笑みは消えていなかった。
「――【変生・雷降銃】!」
三度目の変質。火弾に旋転が与えられて発射し、ジャイロ効果を獲得する。自転運動をする事で弾丸は通常よりも遥かに高速で飛翔し、命中精度と衝撃力、貫通力が強くなる。火弾は巨剣の芯を正確に射抜き、四散させた。そのまま火弾は真っ直ぐに進み、ニールの頬を掠る。
「…………!」
ニールの顔が若干引きつる。今の一発は彼の闇をも貫通しかねない威力だった。もし急所に当たっていたら非常に危険な事になっていただろう。頬から血が線を引いて流れ落ちる。
「小手調べのつもりか、大物ぶりたいのかは知らねえが……」
そんなニールの表情を楽しみながら波旬が言った。
「出し惜しみはなしにしな、小僧。この第六天魔王信長波旬が相手をしてやっているんだぜ。全力で来い」




