第88話『変態』
周囲の生徒達に押し潰されそうになりながらも、何とか軍服に着替えた私はライアン達と共に島をグルッと一周し、無事一日目を終えた。
軍用のテントで一夜を明かした私は朝日と共に目覚め、ゴシゴシと目を擦る。寝袋で寝たせいか、体の節々が少し痛んだ。
幼体で野営はさすがにキツいな……。試験合格を狙う訳ではないし、このまま二度寝してしまおうか。
『ふわぁ……』と欠伸を漏らす私は寝袋の中でモゾモゾと動き、体の向きを変える。
そして、何の気なしに左側へ顔を向ければ────カッと目を開くアンナとバッチリ目が合った。
一睡もしていないのか、目の下には隈が出来ており、少し不気味だ。
ま、まさかこいつ……私の隣になったせいで寝れなかったのか?それでずっと私の寝顔を見て……って、いやいや!気持ち悪過ぎるだろ!幼女趣味の変態もここまで来ると、色々アウトだぞ!?こんな奴が士官学校の生徒でいいのか!?
「おはよう、エリンちゃん!いい朝だね!今日もとっても可愛いよ!」
「あ、ありがとうございましゅ……」
寝不足のせいで無駄にテンションが高いアンナに、私は思わず頬を引き攣らせる。
一週間もこんな朝が続くのかと思うと、目眩がした。
『頼むから、ちゃんと寝てくれ……』と切実に願っていると、ブーとサイレンのような音が鳴り響き、私達に起床を促す。
アンナに見つかった以上、ここで二度寝すると不自然になるため、私は仕方なく身を起こした。
やっぱり、こいつは私の天敵だな……。
『はぁ……』と心の中で溜め息を漏らす私は寝袋から這い出て、軍服へと手を伸ばす。
そして、小さな手でパジャマのボタンを外していき、バサッと服を脱ぎ捨てた。
「はぶぁ……!!エリンちゃんの生着替え……!!これは目に焼き付けておかなくちゃ……!!夏季試験、最高……!!」
ダラダラと鼻血を流しながら、目を輝かせるアンナはグッと親指を立てた。『なんだ、こいつは……』と他の女子生徒が頬を引き攣らせる中、私は軍服に腕を通す
朝っぱらからうるさい変態を他所に、私はテキパキと寝袋を折り畳んだ。
結局、朝の支度を完璧にこなしてしまったな。これでは不合格は難しい……いや、落ち込むのはまだ早い!これから、失敗して行けばいいだけの話なのだから!
グッと拳を握り締める私はよく分からない闘志を燃やし、引きこもり生活を夢見る。
そして、アンナと共にテントから出ると、昨日の砂浜へと向かった。
そこには既に生徒や軍人の姿があり、みんなクラスごとに整列している。
さりげなくSクラスの列に加わった私達はライアンの隣に並んだ。
「おはようございましゅ!ライアンお兄しゃま!」
「……ああ、おはよう」
「ライアンくん、めちゃくちゃ眠そうですね!大丈夫ですか?」
「……そういうお前はどうなんだ?目の下に隈が出来ているが……まさか、一睡もしていないのか?」
『アホなのか?』とでも言うように眉を顰めるライアンは徹夜明けでも元気なアンナに呆れ返る。
でも、当の本人はどこ吹く風と言った様子で……全く気にしていなかった。それどころか、自信満々に胸を反らし、意味不明な主張を始める。
「エリンちゃんの寝顔を拝むためなら、睡眠時間なんて幾らでも削れます!私はエリンちゃんと旅行するためにここへ来たんですから!」
ポンッと自身の胸を叩くアンナは何故か得意げな顔をする。
どうだと言わんばかりの態度に、私は思わず目頭を押さえた。
強制退学するために来た私が言うのもなんだが、お前は夏季試験を一体何だと思っているんだ……?大体、これは旅行じゃなくて試験だぞ。お前にとっての旅行はこんなに激しいものなのか?なら、今すぐ認識を改めて来い。こんな旅行、あってたまるか!
全然これっぽっちも楽しくない夏季試験に苛立ちを募らせながら、私は小さく息を吐いた。
なんとも言えない空気がこの場に広がる中、ライアンは深い溜め息を零す。
「……お前、もう帰れ」
「えぇ!?何でですか!?」
「エリンに悪影響を及ぼしそうだからだ」
「ちょっ……!酷くないですか!?別に何もしませんよ!エリンちゃんの寝顔や生着替えを拝めるくらいです!」
「……今すぐ土に還れ、この変態が」
『帰れ』から『還れ』にグレードアップしたライアンは蔑むような目でアンナを見下ろす。
完全に危険人物認定されたアンナは『変態は変態でも、私は安全な変態です!』と、よく分からない主張を口にした。
『変態ということは認めるのか……』と内心苦笑する中────列の前方に一人の軍人が現れる。
長い金髪を風に靡かせる彼は凛とした面持ちで、私達の前に立った。
その瞬間────この場は一気に静まり返り、私達は事前に打ち合わせでもしたかのように、息の揃った敬礼を披露する。誰もが気を引き締める中、夏季試験の総監督であるウィリアムは一歩前へ出た。
「フラーヴィスクールの生徒諸君、おはよう」
「「「おはようございます!!」」」
寝起きだと言うのに頑張って声を張り上げる生徒達はピンッと背筋を伸ばす。
『軍人として在るべき姿を貫け』というウィリアムのアドバイス通り、彼らは本物の軍人のように振る舞った。
「今日から本格的に試験を始めていく訳だが、諸君らにはまず────体操をしてもらう。その後、朝食を済ませ、訓練開始だ。尚、食事については班ごとに分かれて作ってもらうから、そのつもりで居てくれ」
「「「!?」」」
細かいスケジュールを説明された私達は、昨日の説明になかった追加項目に、目を剥く。
朝の準備体操はさておき、調理に関しては全くの想定外だった。
フラーヴィスクールの生徒は貴族が多い……小さい頃から、優遇されて育った彼らに調理経験など皆無だろう。
だが、軍人にとって調理スキルはある程度必要なものだ。戦時中の配給や野営の際に、軍人が料理をすることは珍しくないから……場合によっては、狩りで捕らえた鹿やウサギを捌かなくてはならない。そう考えると、これも必要な訓練なのかもしれんな……まあ、面倒臭いことに変わりはないが。
戦姫時代に何度か料理をしたことがある私は『切って焼くだけでも一苦労だ』と肩を竦める。
食料の調達自体は比較的簡単だったが、どうにも調理は苦手だった。まあ、面倒臭いというだけで不得意ではなかったが……。
「それでは、体操を始める。各自、周りとの間隔を開けてくれ」
混乱する生徒達を置いて、ウィリアムはさっさと後ろへ下がる。
おずおずといった様子で前後左右へ広がっていく私達は代表者の掛け声と共に体操を始めた。
今日の試験はちょっと……いや、かなり荒れそうだな。




