67 テオドールの誤解 1
「地形図の方はどうだった?」
テオドールは「はい」と応じつつ不思議な気持ちになる。
こういう問いに答えるのは、ジークリード辺境伯領ではままあったことだ。
でもすでに、リュシアンはかつての主になってしまった。
もうこんな光景を見ることはないと思っていたのだ。
本来なら、こういう話は領地の主とするべきで。
でも今の主であるシエラ・レーヴェンスは、軍のことには疎い人だ。
ただ、疎くても全て自分で把握したがったり、なんとか自分の考えを押し通したいと思う人間もいる。
でも新しい主のシエラは、そういう人ではない。
あっさりと知識がある人間にまるっと任せてしまう。
しかも門外漢なことについては、こちらの意見に素直に耳を傾けてくれる。
当初は女性貴族だと思って接しようとしたせいで、かなりびっくりさせられて混乱したけれど……。
慣れてきた今、これはこれでやりやすいのでは? と思えてきたところだ。
ただ、リュシアンと慣れ親しんだやり方での会話をすると、ほっとする部分もある。
それは時間も関係あるだろうか。
夕刻を過ぎて、窓の外はもう暗い。
一仕事終えた後だからこそ、懐かしい物に安心するのかもしれない。
もしくは、こうして先頭に立つことが初めてだからか。
あの頃、いつもテオドールの前にはリュシアンがいた。
メレス騎士家は、リュシアンを積極的に支援していたから、なおさらだった。
何をするにしても、メレス家の騎士はリュシアンの元にいた。
テオドールもその一人で……。
そもそもリュシアンはメレス家に預けられていた期間が長く、リュシアンが側にいることが、テオドールにとっての日常だったのだ。
「やはり兵が使っていた地図も、全て街道と、農地を把握できる程度の地図だけでした。古い地図にはある程度の地形が描かれていた物があったようで、そちらを家令のギベル氏から預かり、書き写させています」
テオドールは続けて報告する。
「同時に、城の周辺にある橋を確認してまいりました」
「どうだった?」
「西の辺境伯領に向かう街道には、閣下も通ったと存じますが、川を渡る橋があります。そちらは川幅があるものの、平坦なので渡河できてしまうでしょう」
「そうだね」
リュシアンはうなずく。
実際に見て知っているのに報告させたのは、テオドールがどれだけ把握して何をどう判断したかを確認したいからだ。
騎士としての訓練を積みながら、同時に魔術師になったリュシアン。
だからこそなのか、少し先代の辺境伯とはやり方が違う。
主要な司令塔になる人物が、どこまで把握し、何を考えているかを把握したうえで指示を出す。
そうしてリュシアンは、自分の思い描く戦況を作り出すのだ。
誰も突出しないよう、誰かが遅れないよう。
そして目端の利く者がきちんと、危機を見つけられるようにして、最大限自分達側の有利な状況にする。
「街道から派生したらしき道もいくつか見に行かせました。一つは行く先に谷があって、橋を落とせば防げるかと。もう一つは山道なので、越えられないように罠を張ることは可能かと思います」
「そうすると、あとは道なき道の方かな。やっぱり地形図は必須だね。西と北、南は抑える必要がある」
「……辺境伯閣下、やはりベルナード王国は早急に攻めてくる気配があったのでしょうか」
耐えきれずに尋ねる。
まずその前提がわからないと、テオドールの考え方も変わるからだ。
リュシアンが「ああ、それを言おうと思っていたのを忘れていたね」と微笑む。
「おそらく、ベルナード王国軍は来る」
「辺境伯閣下の予感通りになりますか……」
そもそもリュシアンが王都に行ったのは、シエラを迎えに行くためだけではない。
国王に警戒を呼び掛けるため。
あまりに早い西のルース王国の敗北を、リュシアンは「異常だ」と気にしていた。
そして国王や他の貴族にも警戒を呼び掛けようとしたのだ。
――南だけでは支えきれない。
リュシアンはそう判断していたのだ。
けれど国王の反応は悪かった。
まさかそんなことがあるものか、と。
だからリュシアンは西のルース王国まで、証拠をつかみに行ったのだ。
「西の辺境伯は、おそらく内部にベルナード王国の人間が入り込んでいる。そしてルース王国があっけなく陥落したのは、弱かったからだと思い込ませていたようだ」
「それは……」
西の辺境伯領が、ルース王国を下に見ている話はよく聞いていた。
鼓舞のために話していた言葉を、いつのまにか信じてしまったのだろう。
一度のたやすい勝ちがあったせいで。
「敵はルースではないのにね。ベルナード王国とは私たちはやり合ったことがないというのに……」
「そこまで入り込んでいるのは、間違いなくアルストリア王国を狙っているからですね」
「私もそう思うよ、テオドール」
リュシアンが推測を肯定してくれる。
「おそらくルース王国を侵略中から、こちらにも食指を延ばしている。勝算があるはずだ。そしてやるのなら、王都まで攻め上るだろう」
「では、ハルスタット領は捨てて逃げ……」
最後まで言えなかった。
シエラがぐっと何かをこらえるような表情でうつむく様子が、頭の中に浮かんだからだ。
可哀想な領主。
そう思ったのだけど、リュシアンが意外なことを言う。
「いや、逃げないそうだ」




