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観念した私は壁にもたれかかって凌崔と二人で座り込んだ。私の手の上には凌崔の手が優しく重ねられている。
「……私には孫陽児っていう姉がいたの。お姉ちゃんは前妻の娘で、お姉ちゃんを産んで身体を壊して亡くなってしまった。その後しばらくしてお父さんはお母さんと再婚した。その娘が私」
「腹違いってことか」
「そう。歳も離れているし、私もお姉ちゃんも母親に似ているから顔も全然違う。この髪の色だけは一緒だけど」
私は空いている方の手で自分の髪の毛に触れた。
「珍しい髪色だよな」
「父の曾祖母が西洋の人らしくてね。髪色だけがしぶとく受け継がれているの」
今度は凌崔が空いた方の手で私の髪を撫でるように触れる。心地よくて、私は凌崔の肩に自分の頭を預けた。
「お姉ちゃんは私と違って大人っぽい顔立ちで、それは美しかったの。この髪色だというのもあって、とても目立つ人だった。意地悪もされたけれど、お姉ちゃんは負けるような人じゃなかった。相手を泣かせるまでやり返す。私はそんなお姉ちゃんが大好きだった」
目を閉じると姉の快活な笑顔が思い出される。姉は私にとって憧れで、そんな姉がいることが自慢だった。
「うちは奴婢だし貧しかったから、美人なお姉ちゃんは年頃になって後宮に入れられた。寂しかったけれど、仕方がなかったの。お姉ちゃんは止めたけれど、私は年頃になったら追いかけると言っていた。たくさん稼いで夏珠が後宮に入る必要がないようにする、なんて言ってくれていたけれど」
「仲のいい姉妹なんだな」
「そうね。だけど……」
これから言わなければならないことが辛い。凌崔はそれを察したように重ねた手をぎゅっと握ってくれた。
「お姉ちゃんは後宮で炊事の部署に配属されたみたいなんだけど、二年ほど経って陛下に見初められたみたい。お姉ちゃんのあの美貌だから驚きはしなかったけれど」
「お姉さんは陛下好みの顔立ちってことか」
「そう。私と違ってね」
「俺は夏珠を可愛いと思うけどな」
「それは……ありがとう」
こんなくっついている状態で謙遜するのも違う気がして照れながらもありがたくその言葉を受け入れる。そういえば姉もよく私のことを「可愛い」と言ってくれていたっけ。
「……とにかく、陛下に見初められたお姉ちゃんは晴れて貴人になった。陽貴人。聞いたことはある?」
「……ないな。俺も陛下のお側にいられるようになったのはここ最近のことで……すまない」
「ううん、いいの」
私は凌崔の温かさを感じながら続ける。
「時々くれる手紙の感じから、冷遇されていたわけではなさそうだった。陛下からの下賜品を夏珠にもあげたいとか、陛下にこんなことを言われたとか書いてあったから。手紙の中のお姉ちゃんは幸せそうに見えていた」
「お姉さんと仲が良かったんだな」
「歳が離れていたのもあって、仲のいい親子のような姉妹のような友達のような、そんな関係だったと思う」
私は姉のことが大好きだった。姉もまたそうだったと思う。
「妃嬪になったのだから夏珠は後宮に入らなくてもいい、って両親にもお姉ちゃんにも言われたけれど、お姉ちゃんは後宮から二度と出られなくなってしまった。私が後宮に入らないと会うこともままならない。そう言って説得したら、じゃあ私付きの女官にしてあげるってお姉ちゃんが言ってくれて、年期明けで必ず後宮を出る約束で後宮入りを許してくれたの。私が後宮に入るまであと一年、という時だった」
また姉と暮らせる。そのことが嬉しくて、私は後宮入りを指折り数えて楽しみにしていた。
──そんな時。
「後宮から連絡がきて……お姉ちゃんが後宮で自死した、と」
「……」
予感はしていたのだろう。凌崔は何も言わずに私の手を強く握った。
「お姉ちゃんが私が後宮に入ると知っていて自死するはずがない。お姉ちゃんの性格上、自ら死を選ぶなんてこと、ありえない。だから私はお姉ちゃんの死の真相を知るために後宮に入った。知って……犯人が必ずいるはずだから、その犯人に復讐するために」
「お姉さんを信じているんだな」
「ええ」
姉が自死するはずない。何者かが姉を殺したのだ。
「それが私が後宮に入った理由。抱えているものよ」
凌崔はしばらく何か考えるように景色を見てから口を開いた。
「夏珠は犯人が妃嬪であっても復讐するつもりなんだな?」
「うん」
一介の女官ができることは限られる。無謀なことを言っているのはわかっているつもりだ。
「どうやって復讐するつもりでいる? 夏珠も妃嬪になって陛下に頼むつもりか?」
「それは無理なことだってわかってる。私の顔立ちは陛下の好みではないし、それにお姉ちゃんが愛した人とどうこうなりたいとも思えないの」
「……お姉さんは陛下のことを」
「そうだったのだと思う」
女官に拒否権はないし、権力争いで勝つために陛下の寵愛を得たいと思う者もいるだろう。だけど、姉の手紙からはたしかに陛下への愛情が透けて見えていた。
「純粋に陛下を愛したお姉ちゃんが誰かにその気持ちを絶たれたかもしれないと思うだけで許せない」
「……そうだな」
「私はお姉ちゃんの死の真相を明らかにする。それを陛下にも知ってもらいたいと思う。それで陛下が然るべき罰を与えてくれたら……難しいことだとわかってはいるけれど」
そうなってくれたら姉の無念も少しは晴らされることだろう。
「わかった、協力しよう」
「……そんなに簡単に決めていいの?」
「話を聞こうと思った時から夏珠に協力すると決めていた。理由なんて……言わなくてもわかるだろ?」
凌崔は手を握る力を強め、私の頭に自分の頭を乗せた。
後宮の女官はすべて皇帝陛下の女だ。はっきり口にすることは憚られる。
「まだ出会ったばかりなのに……」
「時間なんて関係ないだろう」
「そう……かな」
たしかに私だってこうして凌崔にすべてを明かし、身も預けているのだから人のことは言えなかった。
「俺も機を見て陽貴人の情報を探ってみよう」
「……ありがとう」
凌崔を巻き込むことに躊躇いがないわけじゃない。引き返せるのなら巻き込まない道を選ぶかもしれない。
それでも本懐を遂げるためには一人の力ではあまりに無謀なことだということもわかっている。
「ありがとう」
私はもう一度お礼を言った。本当は謝りたいくらいだけれど、凌崔はそれを望まないだろう。
私の復讐という望みを何も言わずに受け入れてくれた。何度礼を言っても足りないくらいだ。
凌崔はしばらく何も言わずにいてくれた。無言の時間ですら心地がいい。
しばらくの後、凌崔は今までの話がなかったかのように普段の気さくな様子で口を開いた。
「また紅貴妃の宮殿で会うこともあるかもしれないな」
「昼間においでになるということ? 本当に仲がいいのね」
「憂慮すべきことがあるらしい」
凌崔が優しい瞳で私を見つめながら続ける。
「東方の州に隕石が堕ちたらしい」
「隕石が?」
隕石は凶星と言われていて、何か国に悪いことが起こる前兆と恐れられるものだ。
「藍嬪がご懐妊されているのは知っているか? 隕石が堕ちたことで藍嬪のお腹の皇子、もしくは皇女に凶星があるのではないかと懸念する声が上がっているらしい。特にそういうことを気にする皇太后様がな」
「産まれるお子様はどうなるの?」
「幽閉、もしくは産まれてすぐに廃されるか」
「そんな……」
「そのことで紅貴妃様に相談しているらしいぜ。皇后も皇太后の言うことには逆らわないし、頼れるのは貴妃様しかいないんだろう。陛下も自分の子を酷い目には遭わせたくないのさ」
「それはそうよね」
紅貴妃様も藍嬪のお子様を助けたいと思っているのだろうか。後宮は本当にいろんな思惑が渦巻く場所だ。
「何かあればすぐに伝える。夏珠も無理はするなよ」
「ありがとう」
(お姉ちゃん、見ていてね。きっと無念を晴らすから)
頼もしい仲間を得て、私はしっかりと前を向く。




