第34話.ショタコンの完璧な味方
翌日、覚悟を決めて図書室へ向かうことに決めた。私は勿論、あの本をもう一度確かめるためにで、ついてきてくれるリオは借りてきた本を返しに行くと言う。
正直、未だにあの本は怖い。
触るのも見るのも嫌なくらいだ。
でもそうは言っていられない。自分のためにも、周りの人を守るためにも。確かめて、できれば他人の魔力の残滓等が残っていないか調べるのだ。
ジェフさんに一言声をかけ、本を持ったリオと並んで図書室へ向かう。リオが何も言わずに手を差し出してきたので、私も何も言わずにその手を握った。
―――――………
「どうして……」
本は無かった。
机の上に置き去りにしたからかもしれないが、近くの棚に戻った様子もない。
必死になって手当たり次第に本棚を確認していく。でも、やっぱりない。
本がないという事実に心の一部が安堵して、そのことに理性が慌てる。
調べなきゃならないのだ。どうにかして本を見つけるしかない。あの、おぞましい真実を記した本を。
現在公爵邸に滞在している人たちは頼ることができない。誰が本当の顔を隠した邪神信徒か分からず、どうしても全員を疑わなければならない状況だからだ。
つまり私にできることは二つ。リオと二人きりで本を探すこと。もう一つは……――確実に邪神信徒ではない完璧な協力者の手を借りること。
「…………仕方ない、か」
絞り出すように言った私をリオが不思議そうに見上げた。
個人的にかなり苦渋の決断だ。何故ならリオの教育に非常に良くないと思うからである。
でも、この広すぎる図書室で、どこへ行ったとも分からない一冊の本を探すのは二人では絶対に無理だ。
だからどんな奴でも使えるものは使う。
この図書室のどこかにある本を見つけ出すのだ。そして「その本がもう図書室にはない」場合も「ない」という事実を確かめなければならない。
「……リオ、よく聞いてね」
「うん」
「これから……絶対に、私の心臓を狙わない“ひと”を呼ぶから、驚かないで」
「そんな人が、いるの……?」
「……うん」
ぐぅぅぅ……仕方がない、こんな状況だもの。近い将来何かあってもリオを確実に守ってくれるかもしれない相手だ。リオのためにも顔をあわせておいた方がいい……と思う……たとえ教育に悪くても。
深呼吸を一つ。
落ち着けなかったので何度か繰り返す。
どうせ近くでこの話を聞いてにやにやしているだろう“奴”の名前を呼ぶのだ。
「……来て、ノワール」
邪神に絶対に敵対する存在の一人。
「くく、君の信頼は心地がいいなぁ」
闇の精霊が空気の揺らぎの中からふわりと姿を現した。
―――――………
温室で植物を観察していたメルキオールは、淑やかに歩み寄ってくる気配に気づいて溜め息を吐いた。
「用があるなら手短にしてくれる?」
「ええ、すぐ済みますわ」
彼が振り返れば、そこには内心の読めないうっすりとした微笑を浮かべたラタフィアが立っていた。
鮮烈な青風信子石の双眸が見極めようとしているのは一体何だろうか、とメルキオールは紅玉の瞳を細める。
恐らくは彼が偽物ではないか、その他怪しい点がないか、といった辺りのことだろう。この侯爵令嬢は兄とよく似て非常に慎重で、確信を得てから行動するタイプだ。
メルキオールが個人的に彼女の友人と接触する前に自分の目で見極めておこうというのだろう。
「はぁ……僕はあの子との思い出についてでも話せばいいわけ?」
「いいえ。一つだけ、質問に答えてくださればそれで」
「……ふぅん」
「何故貴方様はここにいるのですか?」
腕を組んで観察するように目を細めた彼にラタフィアはそう訊ねた。
途端、心底うんざりした、とでも言いたげな半眼になったメルキオールは大きく溜め息を吐いた。
「めんどくさいけど、アーノルド殿下に頼まれたら断れないよね。別にあの子のことを気にして来たとかじゃないから誤解しないで」
肩をすくめてそう答えた彼にラタフィアは満足げに笑みを深めた。
「ふふ、分かりましたわ。お時間をくださりありがとうございました」
「ねえ。これさ、殿下とエドにも訊いたわけ?」
あの二人の答えが少し気になったメルキオールは軽く礼をしてふわりと身を翻したラタフィアの背にそう声をかけた。
足を止めた彼女は薄い微笑みを浮かべたままメルキオールを振り返る。
「いいえ、お二人のところへはこれから伺います」
「……何で僕のところに一番に来たの? 僕なら最初はエドのところへ行くけどな」
隙あらば手合わせ、そんな男なので、個人的接触はエドワードが一番早そうだと思う。
メルキオールの言葉にラタフィアは「ふふふ」と鈴を転がすように笑った。
「危険度が一番高いのは貴方様ですもの」
そう言って彼に背を向け、今度こそ歩き去ったラタフィア。温室に残されたメルキオールは驚いたように目を丸くしていたがすぐに肩を落として溜め息を吐いた。
「ほんと、ギルと同じで読めないな……」
味方ならば心強いが、今のような状況に置かれると非常にこちらの肝を冷やしてくる存在である。
恐らく自分は彼女の審査をクリアしたので、気持ちを切り替えて公爵家が育てている珍しい植物をよく観察しよう。
そう決めた彼はもう一度溜め息を吐いて温室の中を歩き始めた。
「何故? それは愚問だな! 愛する者に危険が迫っている状況で駆けつけない男はいるまい!」
「貴方様はいつも真っ直ぐでおられますわね」
「愚直さが取り柄でな!」
「彼女は人として好ましいからね。それに王族としても『精霊の愛し子』は死なせたくない。彼女の事情を知っている者は少ないから、必然的に二人を呼ぶことになったよ」
「そうですか、分かりましたわ」
「君は本当にギルバートとそっくりだ」
「ふふ、兄妹ですもの」
三人全員の様子と返答を確かめ、ラタフィアは静かに自室へ戻った。一先ず心配はなさそうである。
(こんなことしかできませんが……)
自身の持てる力を全て用いて、少しでもアイリーンに迫る危険を減らしたい。
(こうする自分も、誰かに操られていることを想定して疑い続けなければなりませんわね)
恐らく邪神信徒の持ち物であろう件の書物。あれがこの邸宅の図書室へ持ち込まれたのは恐らく最近だ。
ならば、敵は近くに潜んでいるに違いない。忌まわしい色に染まった、欲に濡れる邪悪な目をして。
(きっと、ジェリーもこうでしょうね……)
公爵邸を父から任された彼女も、本のことは知らなくてもやって来た三人を、邸宅の中にいる全ての人間を、そして自分自身を疑っていることだろう。
「……少しばかり、疲れますわね」
けれど、自分は全力を尽くしてそうしなければならない。
愛する友のために。
―――――………
現れたノワールを見上げ、目を丸くしたリオは「ちょうちょのお兄さん!!」と叫んだ。
「えっ、あっ、まさか!!」
夜に蝶々さんに会った、とリオが嬉しそうに報告してくれた日があった。その時にリオはノワールとも会っていたのでは?!
キッと見上げると、彼は慌てた様子で首を横に振りまくった。
「誤解だアイリーン! 俺は自ら進んで接触したりしていないぞ!! 誓って、本当にたまたまだったんだ!!」
「本当に?」
「ああ、本当だ!」
「…………」
仕方ない、こんな状況だし、変に喧嘩して唯一の完璧な味方を失いたくないから信じてやることにする。
ただし、必ずいつかはハッキリさせるからな! ショタコンの執念舐めんなよ!
「分かった、信じる」
「……良かった」
安堵したように息を吐くノワールと合わせるように深呼吸をして「あのね、探してほしいものがあるの」と告げた。
「本、だか何だか、そんな話をしていたがそれか?」
「うん。多分、邪神ファンが書いたやつ」
それを聞いて、ノワールの黄金色の目が剣呑に細められる。ピリッと空気がひりついて、図書室内の影がざわりと揺れた。
「ほう……そんなものが」
「一昨日、ここにあったんだけど、今日来たら無くなってた。その本に残る気配を辿れば、もしかしたらそれを持ち込んだ人が見つかるかも知れない」
「……なるほどな。分かった」
それを黙って聞いていたリオが「でも、どうやって探すの?」と私たちに声をかける。
私としてはもうしらみ潰ししかないかなぁと思うんだけど、どうやらノワールは違うみたいだ。
「ふむ、そうだな……アイリーン、手を出してくれ。その本に触ったんだろう?」
「えっ、でも、それから何回も手、洗ったよ?」
ばっちいからね。
「問題ない」
「わ、わかった」
そっと右手を差し出す。するりとその手を優しく握ったノワールは目を閉じた。
しばらくその場でじっとされてしまったので、私は少し困ってリオと顔を見合わせる。しかしリオは興味があるみたいで、きらきらと菫色の瞳を輝かせて私たちの手を見つめていた。
「……ん、よし」
「分かるの……?」
「ああ、任せてくれ」
「うん、よろしくね」
ノワールは頷き、そして直後瞬きの間にふわりと黒蝶の群に変身した。紫の鱗粉を散らしながら方々へ散っていく蝶たち。
「わぁ……ちょうちょのお兄さんは、ちょうちょさんなんだね……」
「あはは……そうだね……」
かなり心強い味方であることに変わりはないので、今は彼を信じつつ、自分でも本を捜索しよう。
「リオ、私たちも探そうか。絶対私のそばにいてね」
「うん、分かったよ」
「よし、頑張ろうか」
早く本を見つけて、できれば犯人も見つけて、心の平穏を取り戻したい。全てを疑わなきゃいけないのは、とっても苦しいからね。




