第3話.ショタコンの警備システム
白花咲き乱れる青の池。その水面ぎりぎりに足を置くようにしてふわふわと立っていたのは、黒紫水晶の長髪を風に揺らす闇の精霊ノワールであった。
「君、本当に人間か? 葉の影に隠れていたのに、何故分かったんだ……」
「社交界に身を置いていると、視線だけでなく聞き耳をたてる気配にも敏くなるのよ」
「ははは、それはすごい」
じっとノワールを見て彼の質問に答えたジェラルディーン。苦笑したノワールがすいーっと水上を滑るようにして近づいてくる。
「……まだこの学園にいたの」
「いるとも。君を見守るのが俺の仕事だからな」
「図書館は?」
「勿論続けているぞ。偉いだろう、褒めてくれ」
私が座る席の斜め後ろまで回ってきて欄干に両肘を付き、ふよふよと浮いたまま会話を始めたノワール。
褒めるわけないだろ、と顔を思いっきり顰めて見せると「つれないなぁ」と苦笑される。
「いやぁ、その節に関しては、俺もつい口を滑らせた。悪かったな、アイリーン」
「…………」
「なに、君が拐われたと聞いて、無事は確信していたがやはり少し不安だったようでな。ただ、俺はそこまで核心に触れる話はしていないぜ? そこの二人が聡すぎるんだ」
私の髪の一房を救い上げ、くるくると指に絡めて遊びながら、ノワールは溜め息を吐いた。黄金色の瞳が、甘ったるく見つめてくるので「やめろやい」と少し席をずれる。
するりと指から逃れた銀髪に、つまらなそうな声を漏らしたノワールへ、レオンハルトが厳しい声を発した。
「何をしに来た」
「ん? ああ、迂闊に情報を漏らしたことについての謝罪と……勿論アイリーンへ、だぞ? それと、夏期休暇中の警護について提案をしに来た」
「ほう? 流石、あの夜、近くにいながらアイリーンを邪神信徒どもに拐われた奴が言うと重みが違うな」
「それとこれとは別さ。精霊にもこっちなりの理由があるんだ。人間たちの基準で話されても困るね」
「その理由とやらは相当に大層な理由なんだろうな?」
警戒心バリバリの翠玉の瞳と、からかう様な笑みを湛えた黄金色の瞳が視線をぶつけ合う。
「警護についての提案、とは?」
そこへ、未だ私の手を握ったままのラタフィアが静かに訊ねた。レオンハルトとノワール、お互いに持つ“不信感”のせいで有益かもしれない話を逃すのは嫌だったらしい。
私にとっては「ノワールの提案」という時点で有益無益関係なく「待って」な案件なんだけどね。
凪いだ水面の如し双眸に見つめられたノワールは、ラタフィアをじっと見て、それから面白いものを見つけた様な顔でニヤリと笑んだ。
「夏期休暇の間、俺がアイリーンのそばにいる」
「えっ、やだ」
自信満々に言われたが、私は信じられないものを見る目で彼を見つつ即答した。レオンハルトが「ははん」と小馬鹿にしたように笑い、ジェラルディーンが少し肩を震わせる。
「で、でもな、君、奴等は間違いなく、休暇中に君を狙うぞ?」
「それでも嫌。貴方が四六時中そばにいるなんて駄目。リオの教育に悪い」
「な、なら、姿を消して隠れているが……」
「それも嫌。私のプライバシーはどうなるのさ」
「ぷ、ぷらいばしぃ、って何だ?」
「私生活について他人に侵害、干渉されない権利のことだよ!!」
「そんなこと言ってたら君、襲われたときはどうするんだ!!」
「何とかするよ! 創立祭の夜は何だか記憶が曖昧だからきっと変な術にでもかかってたんだ、普段なら簡単にはやられないはずだから!!」
「自分を過信するなよ!!」
「過信はしてないよ、師匠もいるし!!」
「それとな、あのときは君、滅茶滅茶に酔っぱらってたんだぞ!!」
「誰の話だそれ!!」
「君の話だ!!」
やいやい言い合っていたら、突然、耐えきれなくなったようにラタフィアが少し噴き出した。
ハッとして三人の方を見ると、レオンハルトは最高に珍妙なものを見た様な顔をしており、ジェラルディーンは顔を背けて肩を震わせ、ラタフィアは「ごめんなさい、耐えきれなくて」と目尻の涙を指先で拭ってクスクス笑っているではないか。
えっ、笑うとこ?!
「随分と、仲が良くていらっしゃいますのね」
「「仲良くないから!/ああ、そうだな」」
ラタフィアの言葉に必死に否定の声を上げたが、それにノワールが肯定で乗っかってきて、ジェラルディーンの肩が揺れた。
「けれど、以前のことがありますから、アイリーンに常に張り付いていることは許しがたいですわね」
「ぐっ、だが、しかし、どうしろと」
やっと笑いが収まってきたらしいラタフィアが目を細めて言うことに、ノワールは顔を顰めて言葉に詰まっている。
“以前のこと”って、不法侵入事件のことかな、犯人がノワールだってラタフィアに言ったっけ? あ、言ったな、がっつり言ったわ。
確かにそんな奴に――たとえ本人が「人間的アプローチに切り換えた」とか言っていても――友達が警護されるのは心配だよねぇ。
「……アイリーン、貴方一人で本当に対抗できるのかしら? 相手が、何人で来るかも分からないのよ」
話している間にジェラルディーンが復活した。レオンハルトは未だ“私とノワールが遠慮なく口論する”という状況を呑み込みきれないらしく、宇宙ネコチャンな顔をしている。
「でも……」
「ええ、この精霊が危険な相手なのは分かっているわ。だから、きちんと利は得て、危険の少ない方法を選びましょう」
「そんなの、あるの?」
ノワールが「危険とは何だ!」とぷんすか言っているが、ジェラルディーンはそれをさらりと無視し、彼に対して「能力だけは高いのだから、アイリーンのために正しく使いなさい」と言った。
「あの夜、道案内をした蝶を、改良するくらい簡単にできるのではなくて?」
ぐっ、と呻いたノワールは悔しげにしつつもこくりと頷いたのであった。
――――……
ふわふわと舞う黒蝶。その翅は黒紫水晶から削り出したかの様な妖艶な色をしており、散らす鱗粉すら艶然たる紫色を纏っていた。
「……これを、いつも側に放っている」
「えっ、何それ。聞いてないんだけど」
「言ってなかったからな。言ったら片っ端から消されそうだし」
「たまーに、すんごく綺麗な蝶々を見かけると思ったら……そう言えば、蝶々に擬態してたりしたよね……」
「便利だからな、蝶の姿は」
私にプライバシーは無かったのだ、と項垂れる私を他所に、ラタフィアとジェラルディーンは黒蝶を興味深そうに観察していた。
「これは……蝶の姿をしているだけで、純粋な魔力の塊ね」
「どのような機能が?」
「……視界の共有。それから、邪神信徒どもの気配を察知すると俺に知らせるようにしている」
それを聞いて、ラタフィアが「常日頃から視界を共有しているわけではありませんよね?」と圧のある微笑みで訊ねた。
ノワールは「残念ながらな」と肩を竦める。意識しないとできないらしい。私はラタフィアと共に「それは良かった」と全力で安堵した。
それ、通常モードで視界共有だったら覗きし放題だもんね? 視界共有が意識しないとできないもので本当に良かった。
「では夏期休暇中、これをアイリーンの周囲に放つということにしましょう。万が一のために貴方も、村の近くくらいには、いて良し、としましょうか?」
「はぁ……できることなら常に隣にいたいんだがな」
「そんなことをしてみろ、貴様の頭に雷を落とすぞ」
「ああ殿下、やっと回復なさいましたか」
宇宙ネコチャン状態から帰ってきたレオンハルト。第一声が脅しとは、なかなかになかなかである。
それにしても。
ノワールが村の近くにいると思うと少し落ち着かないけれど、リオや父母が巻き込まれる事態を想定したら、確かにいてもらった方がいいのかもしれないなぁ、と納得する。
なので、私は深呼吸をしてから、不満顔のノワールに向き直った。
「ノワール、面倒かけてごめん。よろしくね」
一応、だからね? はぁ、やっぱりもっと強くならなきゃ。邪神ファンなんて何人来ても一撃で吹き飛ばせるチーターにならなきゃ……
そう決意した私の前で、ノワールがぱちくりと見開いた目を何度か瞬いた。そしてそのままぽつりと呟く。
「……ふふ、やはり俺の愛し子は可愛いなぁ」
「はっ?!」
何をどう解釈したらそうなるよ?!
人として、精霊だけど他人の一ヶ月半を拘束するのは申し訳ないから「よろしく」と言っただけなのに!
これに対し、レオンハルトが「アイリーンから離れろ!」と怒り、ノワールはひらひらと手を振って去っていった。
そんなこんなで、私の夏期休暇中の警護はノワールの蝶々で決定、レオンハルトの訪問も後日お手紙で、と予定が固まった。
ラタフィアとジェラルディーンは社交の場が落ち着いたら迎えの馬車を遣るので遊びに来てほしい、と言ってくれた。ザハード公爵のお屋敷かぁ……でかそう。
次の日、私は荷物を纏め、ラタフィアやジェラルディーンに「ばいばーい」と手を振り、北方行きの辻馬車に意気揚々と乗り込んで、久々の故郷ジゼット村への帰路についたのであった。




