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Aパート

 気が付くと、僕はほの暗い部屋の中にいた。

 うちっぱなしのコンクリの壁に、窓から差し込む光が映っている。縦ストライプが入ったそれを見て、僕は、はて、なぜこんな所にいるのだろうかと疑問に思った。


 その疑問に応えてくれる存在はない。


 そうだ、僕はいったい何をしていたんだっけか。

 確か、焔さんたちと一緒に、ワルプルギスの夜をやり過ごすために集まって、そこに突然警察からのガサ入れが入ったんだ。


 三木の奴の発案で、木を隠すなら森の中、全裸を隠すなら人の中ということになって。

 それで、山手線に全裸のままで逃げ込んで、それから、焔さんがなんか一人でいろいろ無双して――。


 うっ、頭が。


 ダメだ、そこから先をどうしても、思い出すことが出来ない。

 ただ、何か壮絶な、自分の生きている意味を考えなおさせられるような、そんな強烈な出来事があった。そのような実感だけは確かにあった。


 ふと、もう一度よく周りを見てみる。

 うちっぱなしのコンクリの壁。剥き出しのトイレ。今寝ている、壁から生えているような不潔なベッドに、前面には鉄格子。光が差し込んでいる窓にも、同じく鉄格子。


 あ、これ、なんか見たことありますわ。

 ドラマとか漫画とかでよく見る奴ですわ。


「おっ、目を覚ましたか、要友久」


 濃紺の制服を着た男が僕の前に現れて言った。まったく、手間をかけさせてくれやがってと言わんばかりの、なんだか横柄なその態度に、思わずむっとしてしまった。

 だが、それを態度に表す――剥れ面になることに意味があるようには、どうしても僕には思えなかった。


 これ以上、国家権力に叛逆の物語を続けてどうするというのだろう。


 全て、すべてもう理解した。


「全裸で山手線を走り回るとか。いい度胸してるよなぁ。しかも、留置所内でもたびたび全裸になるし。なんていうか、信じられない気分だよ、こっちとしても」


「今は、今は、いったい何時なんですか。いや、何月何日なんですか?」


「五月三日午後八時さ。ちょうどまるっと三日間になるかね。君が山手線の中でぶっ倒れて、我々に捕まってから」


 そうか。僕は警察に捕まってしまったのか。

 逃げること叶わず、虜囚の身となってしまったのか。


 勘弁してくれよ、と、猛烈に頭が痛んだ。

 こうならないためにもと、焔さんの別荘に集まったというのに、僕は、いったいなんてことをしているのだろう。


 深い深い絶望が僕の心を蝕んでいく。

 結局、僕はワルプルギスの夜に打ち勝つことができなかったのだ。


 そういえば、X兵衛。

 彼はいったいどうしたのだろうか。

 後から必ず行くと、そう言って、焔さんの屋敷に残った彼は――。


 いや、今はそれよりも。


「あの、すみません」


「うん、なんだい」


「留置所に入るのって初めてのことなので。どうやったら、こういうのって出られるんでしょうか?」


 まずはここを出なくては。

 世は既にゴールデンウィークの只中である。それを、こんな寒くて辛い、そして、世知辛い場所で過ごすなんてとんでもない。


 僕には帰るべき場所がある。

 妻が、息子が、そして円香が、僕の帰りをきっと待ってくれているはずなんだ。

 そして、一緒に山手線を全裸で駆けていた仲間たちが。


 あぁ、それねぇ、と、なんだか言いづらそうに、濃紺の制服を着た男が、帽子を目深に被った。なんだか言葉を濁すようなその素振りに、僕は、背筋に冷たいモノを感じて、思わず黙り込んでしまった。


「その、ねぇ、ご家族さんが迎えに来てくれると、話は早いんだけれどねぇ」


「なるほど、では、すぐに連絡をしますので電話を貸していただけませんか?」


「……いや、こっちからも連絡はしているんだけれど」


「はい?」


 奥さんからね、と、呟いて、気の毒そうな顔をこちらに男が向ける。

 妻がいったいなんだというのか。


 まさか、そんな――。


「そのような人は知りません。金輪際、かけて来ないでくださいって。相当大きく報道されちゃったからね。アンタらの事件、結構堪えてるみたいだよ」


「そんな!!」


「離婚しますって、最後に言ったっきり電話にも出てくれない。いや、本当言うと、さっさとアンタ引き取ってもらって、こっちとしてもここ空けたいんだよ。けど、家族がそう言うんだからさぁ、仕方ないよね」


 それって、つまり、こういうことか。

 僕は妻に捨てられてしまった。

 家族から切り離されてしまったということなのか。


 何故だ。

 

 どうしてこうなる。


 僕はただ純粋に、家族のことを守ろうと。


 そう思って、一生懸命これまでやって来ただけなのに。

 なのに、なのに、その守ろうとした家族に、こんな風に手ひどく裏切られてしまうなんて。あんまりじゃないか。


 こんなのってないよ。あんまりだよ。


「親御さんの方もさ、連絡とってみたんだけど、アンタみたいな息子を産んだ覚えはないって一点張りでさ」


「ホボァ!!!!」


「……そういうわけで、略式起訴が終わるまで、留置所で待機だ。安心しろ、ここには家族はいないが、仲間はたくさんいるからさ」


 何が安心しろだよこのすっとこどっこい。

 僕は無実だ、別に、好き好んで全裸で山手線を疾走していた訳じゃない。

 魔法少女の呪いという、止むを得ない事情があったからこそ、あぁいう次第になってしまっただけであって、断じて全裸で走り回るのを性癖とする変態じゃない。


 なのに、こんな場所に閉じ込めるなんて。


「無実!! 無実なんだ!! 僕はやむを得ない事情があって!!」


「まぁ、ここに来る奴は、たいていそう言うよね。けど、事実だから。全裸で倒れてるアンタを、捕まえてここにぶち込んだ一部始終は、ネット上のSNSなんかで拡散されているから」


「ハボァ!!!!」


「再生数凄いよ。日本でもこんなドッキリ映像あるんだなって、海外でも紹介されてるらしい。下手なユーチューバーより、よっぽど数字稼いでるって話だ」


 怖い時代になったものだ。

 たった一度の過ちを、そんな風に晒しものにして楽しむなんて、どうかしている。ネットに対するモラルが不足しているから、そんなことになってしまうのだろうか。


 なんにしても、人をおもちゃにして遊ぶのはやめてくれ。

 罪を犯したからって、おもちゃにしていいのか。


 それがこの国の正義なのか。

 僕は、僕はそんな歪んだ正義、断じて認めないぞ。認めないからな。


 と、檻の中に入れられて、叫んでみたところで時すでにお寿司。


「どうしてこんなことになったんだ!! 助けて、X兵衛!! X兵衛ぇええええ!!」


 僕は、こういう困った時には、何が何でも呼べばすっ飛んできて助けてくれる、頼りになる宇宙侍の名前を呼んだ。

 しかし、どうしてか、今日はその叫びは、部屋の中に虚しく響くだけだった。


 何故だX兵衛。

 僕を守ってくれるんじゃなかったのか、X兵衛。

 お前まで、僕を裏切るというのか、X兵衛。


 こんなのって、こんなのって。


「こんなのって、ないよ……」


 ◇ ◇ ◇ ◇


 看守さんから聞いた話だと。僕が寝ている間に、色々なことがあったそうだ。

 まずは、焔さん。彼は強制わいせつの罪に加えて、諸々の余罪で既に実刑判決が出ており、既に刑務所へと送られてしまったらしい。

 お勤めご苦労様という奴である。


 あぁいう稼業をしていれば、いつかはそうなるのがまともな世の中というもの。

 だが、同じ魔法少女の父親たちを守ろうと、先陣を切って進んでくれたのには間違いない。彼がその辺りの情緒酌量もなく、高い塀の中へとぶち込まれてしまったのは、なんだか世の中の冷たさを感じずにはいられなかった。


 次、巴さんと、三木の二人だ。

 この二人はなんというか、本当に汚かった。

 金にモノを言わせて捕まったその日に即釈放、初犯ということで、罰金刑で終わらすというスピード解決を図ったのだ。流石は企業の社長と、その社長の入り婿(予定)である。やることが汚い。あぁもう、ほんと汚い。


 ついでに、焔さんとの関係についても、否定しているらしいから始末に負えない。

 焚きつけるだけ焚きつけて、あんなことをさせておいたというのに、今更、全部の罪を彼にひっちゃぶらせようって、そういう魂胆なのである。


 けど、その冷たさも仕方ないよね。

 所詮人間なんて、自分が一番可愛いのだから。


 僕だって、もし、妻や円香たちが迎えに来てくれた、そんな風に焔さんのことを切り捨てていたかもしれない。

 そう思うと、何も言えなかった。


 最後にマイケルさん。

 彼はもうなんというか、外国人なので治外法権だ、なんだ、と、本国の人がなんか煩く言ってきて、それで、不起訴処分ということになった。他にも、彼が所属している宗教団体から、いろいろと圧力がかかったとも言っていた。

 なんにしても、羨ましい話である。そうして守ってくれる人たちがいるのだから。


「僕一人だけが、こうして留置所に取り残されてしまったということか……」


 家族も来ない、X兵衛も来ない。

 そんな絶望の只中で、僕は薄い布団をかぶって暗闇の中で震える。


 早すぎる就寝時間。

 聞こえてくる他の人たちの息遣い。

 あきらかにいっちゃってる感じのあるい吐息に、それが、柵に隔てられて、こちらに入ってくることがないと分かっていても、不安な気分になってしまう。


 つい先日までは、自分がこんな所に入ることになるなんて、思ってもみなかった。

 本当に、どうしてこんなことになってしまったのだろう。


 それもこれも、思い返せば数週間前――。


「円香が。円香が魔法少女の契約なんてしなければ、こんなことにはならなかったというのに」


 どうして娘は、そんな訳の分からないものになる、契約をしてしまったのか。

 ノリノリで、魔法少女なんてやってしまったのか。


 しかも、今でも時々服が破れるので、僕が捕まったことなぞ我関せずという感じに、魔法少女道を満喫しているみたいだ。


 憎い。

 自分の娘だけれど、彼女のしたことがとてもじゃないが許せない。

 いつの間にか恐怖ではなく怒りに体が震えていた。


 憎い、憎い。

 自分の娘が憎い。

 僕を裏切り、自分はのほほんと、日常生活を送っている。

 そんな娘が、許せなかった。どうしても、許すことができなかった。


 こんなことを思ってしまう僕は、人として間違っているのだろうか。

 血を分けた実の娘に対して、次会ったら、どんな汚い言葉を浴びせかけてやろうか。そんなことを考えて、頭の中が沸騰してくる。


 円香。

 円香、円香。

 円香、円香、円香。


「よくもぉ、よくも俺の人生を無茶苦茶にしてくれたなぁ!! 円香ぁ!! 覚えていろよ、ここを出たら、まず真っ先に復讐してやるからなぁ!!」


 看守に聞こえないように、布団に包まって叫んだその時だった。


「いい感じに煮詰まってるじゃないか。流石は期待のお父さんだ――要友久」


「な、に?」


 どこからともなく声がする。

 布団の中から這い出して、その声が聞こえて来た方向、その主を探してみると、それはすんなりと、思いのほか拍子抜けするくらい簡単に見つかった。


 どうして、どうやって、そして、何故そこにいるのか。

 ちょんまげ頭にピンク色をした道着姿。僕より少し背が低いだろうか、紅顔の美青年が、牢の中に立っているではないか。


 X兵衛ではない。

 だが、宇宙侍であることには、間違いなさそうだ。


 にっこりと、彼は僕に向かって甘ったるい微笑みを向ける。


「こうして君と会うのは初めてだね。けど、君の娘さんには本当にお世話になっているよ。なかなか、あんなにラジカルな女の子、今どきそういないからね」


「まさか、お前は」


 そう、僕が九兵衛さ。

 そう言ってピンク色をした侍は、僕の背筋を凍らせるような邪悪な微笑みをこちらに見せたのだった。

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