季節ハズレの新生活〜8〜
「…あー……ゴホンゴホン。そろそろ良いですかねぇ?」
頬を紅潮させて興奮する鶫を引き戻したのは、疑問形であるものの有無を言わさぬアンナの声。そこで漸く、タジタジになっているイララバに気付いたらしい。すみません、という謝罪の言葉と共に鶫は恥ずかしそうに顔を伏せてすとん、と椅子に座り直した。
「いえいえ。こちらこそ申し訳ありません。折角の時間に水を差してしまって。…けど、鶫さんには覚えて頂くことも多くありますので、積もる話は夜にでもお願いします。」
「は、はい!」
眉をハの字にして、本当に申し訳なさそうに言うアンナに、吃りながらも返事をする鶫。彼の返事を聞いたアンナは一瞬だけふわりと微笑み、そしてすぐに至極真面目な顔を見せる。
「イララバさんはある程度状況を把握していらっしゃるので先に説明してしまったのですが……。
鶫さん。とある事情により、誠に勝手ながら貴方とイララバさん、お二人をわたくし共『悪魔屋』が雇わせて頂きました。」
スッ…と表情を変えたアンナに釣られるように鶫はシャンと背筋を伸ばし……―――その言葉に己の耳を疑った。
やとわせていただきました?ヤトワセテイタダキマシタ……?矢、問わせて頂きました?
余程、その言葉の意味を理解したくないのか、アンナの言葉は鶫の脳内で中々に無理のある漢字変換が行われた。無論、鶫が意図してやった訳ではない。ある種の防衛本能が働いた結果だと言っても過言ではないだろう。
「……やとわせ…?」
「はい。…とは言っても、お二人はアルバイトみたいなものですね。あ。勿論、場合によっては正規雇用もありますよ?……まあ私たち、公務員なんですけど。」
「あるばいと……?こうむいん……?」
へらり。アンナが笑って言うと、鶫はその単語を始めて聞いたと言わんばかりにおうむ返しにする。ぽかんと口を開けておうむ返しの鶫を不審に思ったアンナがコテっと首を傾げて見る。
「大丈夫ですか、鶫さん?」
「だいじょうぶ……じゃないです!待ってください!!アルバイトって…それってあの雇用契約書の話ですか?それなら凄く勝手なことは分かってますけど…お断りしたじゃないですか!!そりゃ、ちゃんと読まずにサインした僕も悪いですけど……」
「落ち着いてください。あの書類は半分、私の悪ふざけであって、今回の雇用には何の関係もありません。」
半ば放心状態だった鶫はその言葉の意味を理解するなり声を荒げる。鶫にとって、それだけ聞き捨てならないことだったのだ。けれど、慌てふためく鶫を前にしてもアンナは相変わらず冷静に返す。
「本人の確認もとらずに事後報告になってしまったのは謝ります。ですが、一刻を争う事態でしたので……いや、言い訳ですね。すみません。」
「一刻を争うって、どういうことですか……?」
深々と頭を下げ、謝罪するアンナに鶫は目を丸くし驚く。…が、そのアンナの放った言葉の中にあった不穏な単語を聞き流すほど阿呆でもない。不安に駆られながらもすぐさま、その言葉の真意を問う。
「…鶫さん。あなたの…いや、あなた方の存在は異例中の異例。本来なら有り得ない、イレギュラーなんです。」
「……は?それ、は……僕が半魔だからってことでふ……ですか?」
突然、己の存在をイレギュラー扱いされ、鶫は不快感を露わにしながらも戸惑う。結果、妙な噛み方をしてしまったのだが。
しかし、アンナはそんなことは気にせず、ゆっくりと首を左右に振る。
「いいえ。確かに半魔は珍しい存在です…伝説扱いされるくらいには。でも、珍しいだけでイレギュラーではないんです。
…けれど、あなた方は違う。あなた方は半魔でありながら人間であり、悪魔である…半魔ではない、『何か』。」
「半魔なのに、半魔じゃない……?」
「ええ。…半魔というのは死にかけ、または死んだ直後の人間の肉体に悪魔が魔力を移し替えることで発生する、というのは既に教えましたよね?その際、半魔には元になった人間と悪魔、双方の記憶のみが受け継がれます。
つまり、今回の場合ですと『菊地鶫という人間』の記憶と『イララバ・ダンドールという悪魔』の記憶を、知識として持った別人がここにいる筈なんです。
……そして同時に、菊地鶫という存在とイララバ・ダンドールという存在は、いない筈なんです。」
アンナの口から出た突拍子もない話に、鶫は目を白黒させ、慌てて隣のイララバを見る。が、イララバは目を閉じ、ただ黙ってその話を聞いていた。
自分たちがいる筈のない存在。
訳の分からない話でも、それだけは理解できた。すると同時に疑問もムクムクと湧き上がってくる。
ならば、自分は一体何なのだ、と―――。
まるで哲学のようなことを考え出し、答えのない問いに対する正答を考え出す鶫。自問自答を繰り返す彼にアンナは表情が抜け落ちた、能面を貼り付けたような無表情で鶫を見る。
「突然、こんなことを言ってすみません。信じられないでしょうし、混乱すると思います。けど、事実なんです。事実だからこそ、あなた方はイレギュラーなんです。」




