非日常の世界へ〜1〜
「え?あの、ご新規様って…あのっ!」
「靴はそこで脱げよ?スリッパはそこにあるから好きなの履いとけ。」
「あっハイ」
何が何だか分からず、ワタワタと慌てる少年をまるっきり無視して背の高い少年はスタスタと奥へと歩いて行ってしまう。そのあまりに自然すぎる流れに少年は慌てて返事をし、靴をスリッパに履き替える。
靴を揃え、パタパタとスリッパを鳴らして奥へと続くとそこはとても生活感の溢れる事務所のようだった。部屋の中央にはライトブラウンのローテーブルがあり、両脇に対面する形でベージュのソファが設置されており、その奥には畳まれたノートパソコンが置かれた事務机。事務机の奥にある大きな窓の脇にはファイルの詰まった大きなラック棚。所々に置かれた観葉植物らしきものが安心感を与え、路地裏にあるとは思えない明るい空間を作っている。
法律事務所のようにきっちりとした印象を与えるにもかかわらず、どこかアットホームなそこに少年はぽかんとしてしまう。
「おい、アンタ。コーヒーは飲めるか?」
「え?」
「オレは紅茶なんて気の利いたモン淹れらんねえから。紅茶が良いなら他のに伝えるけど。」
「い、いえ!大丈夫です!!飲めます、コーヒー!!」
少年の言葉に「あっそ」の一言だけを返した背の高い彼は部屋の入り口の右手に置かれた両開きの食器棚から二つ白いコーヒーカップを取り出し、隣接して置かれたローチェストの上に置いてあるコーヒーメーカーを使ってコーヒーを淹れ始める。背の高い少年はその外見とは裏腹に、コーヒーを淹れている間にソーサーを取り出し、ナプキンを敷く。頭が混乱している少年は何をどうすれば良いのかも分からずただひたすらぼんやりとその手元を眺めていた。その内にコーヒーは最後の一滴までドリップされ、コーヒーカップがソーサーと共にローテーブルに置かれる。
「何やってんだ?座れよ。」
自分の分であろうコーヒーカップを手に、怪訝な目を向けられた少年は慌ててお礼と共にソファに座り、コーヒーに口をつける。どこにでもあるようなコーヒーの味にもかかわらず、どこか異界の飲み物を飲んでいるような気分になりながらも少年はベージュのソファにゆったりと腰を沈める。
「んじゃあ、ちょっくらウチのリーダー呼んで来るから。待ってろ。」
それだけ言い残して背の高い少年はコーヒーカップ片手に部屋を出て行く。それを目で追いながらも少年は自分のポケットを探り、いつのまにか入れていた端末を取り出す。こんな所に悪魔なんて住んでる訳ないじゃないか、とため息を吐きもう一度コーヒーに口をつけると、少年が入って来たのとは別の扉から2人分の言い合いが聞こえ、少年は無意識のうちに背筋をしゃんと伸ばす。
「だからって徹夜明けのヤツ起こすかよ?」
「っせえな。ぶさくさ言ってんじゃねぇ。時間配分ミスったテメェの責任だろ。」
「そーだけどよぉ…」
先程出て行った少年のに言い負かされたのであろう声は女性にしては低く、男性にしては高い中性的なもの。
そう言えばリーダー呼んで来るって言ってたよね?リーダーってことは一番偉い人?と、少年はぐるぐると今日一番の速さで頭を回転させ、しっかりしなければと背筋を正す。そっとコーヒーカップを置けば自然と足は揃い、手は軽く握り拳を作って膝の上に置き、体に段々と力が入って行く。そうして緊張して待つこと数秒。コーヒーカップ片手に戻ってきた少年に続いて入って来た人物の格好に少年は口をあんぐりさせる。
「すいませんね、お待たせしました。」
間延びした声でゆっくりと入って来た人物は、少年と同じくらいであろう身長で、黒いダボダボのパーカーにジーンズという割とラフな格好。ここまでなら普通だが問題は首から上にある。その人物は何故か、顔がすっぽりと隠れてしまうような面を着けていたのだ。それも、どういう訳だか羊の頭蓋骨を模したのであろうものをだ。
「あ…悪魔だ…」
偶蹄類動物特有の面長にぐにゃりと歪んだ骨が生えているそれを見て、少年は思わず口を滑らせた。




