58話 相談は友達に
「むぅぅ……」
部屋に戻ったわたしは、浴槽に浸かりながら唸っていた。
「むぅぅ~……」
考えが纏まらない……。
バシャバシャと顔に水をかけ、頭をリフレッシュしようとする。
……駄目だ、こんなんじゃリフレッシュなんてできない!
わたしは湯船に頭を沈めた。
そして水中でブクブクと空気を吐き出す。
「ぷはっ!」
顔を手で拭い、改めて考えてみる。
しかし、答えは出ない。
「……むぅぅ~! どうしよ!」
もうお手上げだぁ~。
そう思っていると、扉を開けて人が入ってきた。
白銀の髪の、たおやかな少女――イヴだ。
「お邪魔しまーす。……で、何をむぅむぅ言ってるのさ。帰ってきてからのリューネ、ずっとそうだよ?」
どうやらイヴは心配してお風呂まで入ってきてくれたらしい。
お風呂場の外まで聞こえちゃってたみたいだ。
「いやー、受けるかどうか悩んでてさ」
「騎士団へのスカウトの話?」
「うん」
わたしは水面の境で口をブクブクさせながら答える。
レオナルドさんに出された条件は、率直に言って破格なものだった。
あの式の後、レオナルドさんは「リューネ、君を騎士団員として迎え入れたい。もし君が希望するなら俺の直属の部下になってもらうことも可能だし、給金もいくらでもだそう。もし少しでも興味があるのなら、一日だけで良いから体験しに来てくれないか」とわたしに告げたのだ。
一介の学園生が騎士団長の直属の部下なんて、普通はあり得ないことだ。
騎士団長というのは全ての騎士の憧れであり、目指すべき目標のような人だ。
そんな人が、わたしを直属の部下にしてもいいと言ってくれた。
つまりそれだけわたしを認めてくれているということで、それは嬉しく思う。
だけど……。
「騎士団に入ったら、皆と離れ離れになっちゃうんだよね……」
もちろん騎士団員にも自由時間はあるだろう。だけど、皆とこんな風に触れ合える時間は確実に減る。
息を全て吐き終え、わたしは顔を水面から出す。
イヴと目が合った。
「……リューネは覚えてるかな。入学してからすぐの頃のこと」
「うん、覚えてるよ」
リューネは入学した当初、魔法が使えない魔法使いだった。
病気の後遺症で魔力管が損傷していたからだ。それを知ったわたしが回復魔法でイヴの傷を治してあげてから、イヴは元通りに魔法を使えるようになった。
イヴは当時のことを思いだしているのか、イヴは身体を洗いながら懐かしげな顔をする。
「あの時、ボクはキミに救ってもらった。ボクはあの出来事を生涯忘れることはないよ。何もできなかった、過去の栄光に縋り付いていたボクを、キミは『今』に連れ戻してくれた。そして未来を見せてくれた。……それが本当に嬉しかったんだ」
「イヴ……」
ちょっとヤバい、急にそんなこと言われたら泣きそうだよ……。
不意打ちは卑怯なのにぃ。
「リューネはいつもわたしたちには思いつかないようなことを言ったりやったりで、周りはキミに振り回されることもある。でもボクはキミといると退屈しないし、キミといて苦痛だと思ったことは一回もない。リューネの周りには自然と人が集まって、しかも皆笑ってるんだ。それってとってもすごいことだとボクは思うよ」
「わ、わたしはいつも自分のしたいことをしてるだけだよ。そんな褒めるようなことじゃないって」
なんだか照れくさいしさ。
わたしが頬を掻くのを、イヴは微笑みながら見つめる。
「そうだね、キミはいつもそうだ。だから今回も、キミの心の赴くままに決断するのが一番だと思うよ」
心の赴くままに……かぁ。
そうだよね。自分の決断だもん、自分が決めなきゃ意味ないよね。
「イヴ……ありがとう、よくわかったよ」
自分の中で答えは出た。それはイヴのおかげだ。
わたしはイヴに感謝する。
「それならよかったや。ボクこういうの苦手だからさ、上手く気持ちを伝えられたかどうかわからないけど。でも、ボクはリューネが大切な友達だと思ってるから」
天使だ、天使がここにいる……!
悩みもすっきり消え失せたわたしの目に、イヴの全身が飛び込んできた。
曲線美を描く美しいくびれと四肢。何がとは言わないけれど、控え目な身体。
「お邪魔するね。おいしょっ、と」
そんな身体をしたイヴが、わたしと同じ浴槽に入ってくる。
向き合う体勢になったわたしたち。ふとした拍子に、互いの脚が軽く触れた。
それで、我慢の緒が切れる。
「……うへへ」
「……リューネ?」
「かわいいですねぇ……触ってもいいですかねぇ……?」
イヴへと手を伸ばす。
すると、イヴは素早い動作で身を引いた。
「ひぃっ!? ちょっ、怖いんだけど……!?」
普段はあまり女の子っぽいところを見せないイヴ。
しかしその怖がり方は紛れもなく女の子だ。かわいい。
「うへへ、ぐへへ、ぐひゃひゃひゃひゃ」
「こ、来ないで……お願いだよリューネ」
うるうると目を潤ませるイヴ。
その顔を見た瞬間、わたしの理性は崩壊し、猛獣が解き放たれた。
「かわいい……かわいい……かわいいかわいいかわいいかわいい!」
「ひぃぃっ……」
パッチリしてる目が恐怖に染まってるのかわいい!
ちょっと舌が見えるのかわいい!
その舌が桃色なのかわいい!
指が細いのかわいい!
身体が華奢なのかわいい!
ちょっと震えてるのかわいい!
怖いからって脚の間に手を置いてるのかわいい!
普段落ち着いてるのに今怖がってるのかわいい!
「かわいいかわいいかわいいかわいい――ぶっ!?」
わたしは鼻血をまき散らし、お風呂場の床に横たわる。
視界が赤に染まった。
血は周囲にも飛び散り、わたしの周りはまるで水たまりのようになっている。
これ、全部わたしの鼻血……?
わたしの煩悩すごすぎる……。
「ちょっ、ちょっとリューネ、大丈夫!?」
イヴがわたしに触れてくれた。
こんな下劣な品性しか持たないわたしを、イヴは本気で心配してくれている。
身体を支えてくれるもんだから、イヴのすべすべな肌は自然とわたしと密着することになる。
……天国はここにあったのだ。死ぬ前にそれに気づけて良かった。
「もう悔いはない。安らかに逝けるよ、ありがとう、イ……ヴ……」
「リューネ!? リューネぇぇぇっ!」
がくっと首を落とす。
わたしはイヴに感謝しながら、意識を手放した。
それから数時間後。
部屋で皆にうちわで扇いでもらうことによってようやく回復したわたしは、貧血気味の身体で立ち上がる。
「わたし、決めた! 一日体験入団に行ってくるよ!」
「そう」
「行ってらなのじゃ」
「頑張ってくださいまし」
「あれ!? 皆軽くない!?」
もっと惜しんでくれたり、もしくはもっと後押ししてくれたり、そんなのを想像してたよわたし!
目を見開くわたしに、フィラちゃんが言う。
「あんたの決めたことなら誰も文句言わないわよ。あたしたちはあんたの決断の邪魔はしないわ」
……っ!
イヴの方を見ると、イヴは「皆素直じゃないんだよ」とでも言う様にニコッと微笑んだ。
皆わたしのことは考えてくれてて、その上でわたしが気持ちを鈍らせないように余計なことは言わないでいてくれてるってことなの!?
あ~、やっぱり皆優しくて大好きだぁっ!
「全員わたしの胸に飛び込んできて! 身体の隅々まで舐め回してあげるからぁ!」
わたしは両手を開いて皆を歓迎する。
さあ、皆来て!
ぺろぺろしてあげるからっ!
……あれ?
「ほら、来ていいんだよ? 何で来ないの?」
「だって、邪な考えが表情に現れてますわ」
え! シアちゃんそれって……言葉攻めってこと!?
言葉責めしてくれるなんて予想外だよ! 嬉しい!
「いひひひ! もっと、もっと言葉で責めてきて!」
「さあ、寝ましょうか」
「放置プレイ! 今度は放置プレイとか、やりますなぁ! 皆わたしを喜ばせるために色々やってくれて、本当にありがとう!」
「お主が勝手に喜んでるだけじゃぞ」
「うへへへ」
そういう訳で、わたしは騎士団に一日お試し入団してみることを決めたのだった。




