48話 虫にも限度がありますよ
「キシャシャシャシャーーーーッッ!」
「……うひゃあああああああっっ!」
き、気持ち悪いっ! 最高に気持ち悪いのがきちゃったよぉぉぉぉっ!
虫は結構平気な方だと思ってたけど、これはさすがに守備範囲外だ。
気持ちの悪さが天井を突き破って天まで届くレベル!
わたしは夢中で、前にいたリズっちの肩を揺らす。
「む、虫、虫だよリズっち! 虫虫虫……リズっち?」
「ぶくぶくぶくぶく……」
ええぇ! リズっち魔族なのにこういうの駄目なの!?
泡まで吹いちゃってるし、ど、どうしよう……。
どうしたらいいかわからないまま振り返ると、フィラちゃんの青い顔が目に映る。
「こ、来ないで……来ないでよぉ……」
フィラちゃんも怯えた小動物みたいになっちゃってる。腰が抜けてしまったみたいだ。
ま、まさかこんな簡単にパーティーが崩壊するとは夢にも思わなかった。
あっという間に二人が戦闘不能になっちゃったし……これ、まずいかも?
「……やっぱりムリだ……」
焦りだしたわたしに、イヴの声が届く。
ちょっ、イヴもなの!? それはいくらなんでもまずいって――
「ボク、こんなにかわいい魔物を攻撃なんてできないよ……」
「あ、そっち!?」
この魔物がかわいすぎるの!?
イヴの感性って独特だね……って、そんなこと悠長に考えてる暇なんてないっ!
「キシャシャーッッ!」
「ひぇぇ……い、イヴはリズっちをお願い、わたしはフィラちゃんを逃がすから!」
幸いシアちゃんはわたしと同じくらいの怖がりかただ、自分で逃げられるだろう。
落ち着けば簡単に倒せる敵だけど、今はちょっと状況が悪すぎる。
ここは一時撤退が賢明!
「な、なら、わたくしが牽制しますわ。リューネさんとイヴさんは、その隙に少しでも遠くへ二人を避難させてくださいまし……!」
シアちゃんが覚悟を決めた顔で言った。
顔色は病人のように血の気が引いているが、それでもその目だけは闘志を備えている。
「ありがとう、シアちゃん!」
シアちゃんに背を向け、フィラちゃんに肩を貸す。
わたしがちっちゃいせいでちょっと不格好になっちゃってるけど、そのくらいは勘弁してよね!
後ろからは魔物とシアちゃんの戦闘の音が聞こえてくる。
「グゴリャア……グゴリキシャーーッッ!」
「ひぃぃぃ……! お、おそろしいですわ……」
「頑張ってシアちゃん! わたしたちもすぐに加勢するから!」
なんとか耐えて! 応援してるから!
……大丈夫かな、シアちゃん。
「ギャグラブロコッキシャーッ!」
「ひぃぃ……」
「ゴブラブロゴキャキシャシャシャーーッッッ!」
「うぅ……ぐすっ……」
あぁ、シアちゃんが泣いちゃう!
早く加勢しないと!
全力で急いだわたしは、すぐにシアちゃんの元に駆け寄る。
「シアちゃんっ!」
わたしが声をかけると、シアちゃんはわたしに抱き着いてきた。
「リューネさんっ! あの魔物、キシャーって……わたくしに向かってキシャーって……うぅ……」
「うん、うんっ。シアちゃんはすっごく頑張ったよ」
わたしはその背中を優しく撫で、シアちゃんに離れるように言う。
もうシアちゃんは限界だ、でも、その姿にわたしは勇気をもらった。
シアちゃんから受け継いだ使命、わたしが果たすんだ!
わたしは魔物と向かい合い、魔力を溜めはじめる。
「はぁぁあああっ!」
「ゴリュブシャキシャシャーーッッ!」
「ひぃぃいいいっ!」
だ、駄目だっ! 顔が怖すぎる!
脚の動きも速すぎるし、なんだか変な匂いがするし、もう全部が気持ち悪いっ!
わたしは懸命に魔法を放つが、的が外れて魔物に当たってくれない。
じりじりと距離を詰められ、わたしは恐怖でお漏らししそうになっていた。
こ、こわいよぉ……。誰か、誰か助けてぇぇ……。
「リューネ、あとはボクに任せて」
そう言って、イヴがわたしの前に立った。
白銀の髪が風に揺れ、イヴが一層凛々しく見える。
「い、イヴ……?」
「もう大丈夫だから」
イヴは魔物に腕を伸ばす。
しかし魔物も負けてはいない。
イヴに対して脚をぐちょぐちょと動かして攻撃してくる。
「ゴリクシャモヒシャーーッ!」
その迫りくる脚の一本一本に、イヴは氷魔法を狂いなく当てていった。
しかも、ただ当てただけじゃない。
脚の関節と関節の隙間の脆い部分をピンポイントで狙っている。
「キャシャシャー!?」
「ごめんね……。でもボクたちも、負けるわけにはいかないから」
イヴは前方に軽やかに飛び、その手に鋭い氷柱を形作る。
四方八方から狙う脚の動きを全て読み切り、躱し、イヴは魔物の脳天に氷魔法をお見舞いした。
イヴの活躍により、わたしたちはなんとか魔物を倒すことができた。
あれから十数分。今やっとリズっちとフィラちゃんの正気が戻ったところだ。
結構時間を使ってしまったけど、仕方ないよね。
「め、面目ないのじゃ……」
「ご、ごめんなさい皆。……それと、ありがとう」
感謝の言葉を聞けば、もうそれ以上を求める必要はないだろう。
わたしたちは友達、足りないところを補い合いうものだからね!
あ、忘れるところだった。わたしも二人に感謝の気持ちを伝えておかなきゃ!
「ありがとねイヴ、それにシアちゃん!」
「こ、怖かったですわぁ……」
結果的には、シアちゃんが一番心理的ダメージが大きい結果となってしまった。
あの魔物とそこそこ長い間一対一で対峙してたんだもん、無理もない。
わたしなんてすぐ漏らしちゃいそうになったのに、本当にすごいよ。
まだ少し手が震えているシアちゃんを、イヴが両腕で優しく包み込んだ。
そしてシアちゃんの金髪をくすぐるようになでる。
「良く頑張ったね、よしよし」
「て、照れますわね、これ……」
イヴに抱きしめられ、頭を撫でられ、顔を赤くするシアちゃん。
たしかに一番頑張ったのはシアちゃんだ。これくらいのご褒美はあってもいいと思う。
……でもね、わたしも頑張ったんだよ!
漏らしちゃいそうになったけど、漏らさなかったし!
わたしもイヴに褒めて欲しい、頭なでなでしてほしい!
「イヴ、イヴ!」
わたしはイヴに、自分の頭を差し出す。
どう? この頭、撫でてみる気はありませんか?
「なぁに、リューネ。……ああ、そゆこと?」
ぴんっ!
「いてっ! ちょっとイヴ、違うよっ! なんで髪の毛抜いてるのっ!」
「え、違ったの?」
どう考えても頭撫でて欲しいってことでしょ!
なんでわたしが自分からイヴに髪の毛を差し出さなきゃいけないのさ!
「えへへ、嬉しいなぁ……」
イヴは嬉しそうな顔でわたしの髪の毛を掴み、太陽にかざす。
むぅぅ……うん。一番活躍したのはイヴだし、今回だけは許してあげようかな。
こ、今回だけなんだからねっ!
イヴによるシアちゃんへのご褒美が終わるころには、フィラちゃんとリズっちもほぼ完璧な状態に戻っていた。
「ふぅ……」
ただ、その分シアちゃんが少し蕩けた顔をしてるけど……。
そんなに色っぽい顔されちゃうと、わたしの精神に支障がでてきちゃうよ?
押さえつけてきたぺろぺろ衝動が解放されちゃう……!
限界ぎりぎりのところで、イヴが話を始めた。
「ところで、そろそろ時間だよね」
ナイス、イヴ!
話の内容に集中することで、わたしはぺろぺろの衝動をかき消すことに成功する。これこそが秘儀、ぺろぺろキャンセルの術なり!
たしかにそろそろ集合時間だ。
この魔物以外とはほとんど戦っていないのに、相当時間を食っちゃったね。
完璧だと思っていたわたしたちのパーティーが見た目と動きだけで軽く半壊させられるなんて、やっぱり戦いは何が起こるかわからない。
わたしが魔物を見ると、イヴも同じように魔物を見た。
同じことを考えているのかと思ったが、どうやら違ったらしい。
「この魔物の食べられるところだけでも持って帰ろうか」
「……え、この魔物を食べるの?」
それは、さすがに……。
言外に否定するわたしに、イヴは言う。
「だってボクたち、他に採取とかしたっけ?」
「……してないです……」
たしかに、おかずなしよりはましかもしれない。
けど、でも、やっぱり気は進まないなぁ……。
「ねえ、これ本当に動かないわよね? 急にまた『キシャーッ!』とか言い出さないわよね?」
「おいやめるのじゃフィラリス! あまり怖いことを言うと、妾が泣くぞ!? いいのかえ!?」
わたしたちは眉間にしわを作りながら、震える手でおそるおそる魔物の部位をもぎりとり、集合場所まで持ち帰ったのだった。
「お前のそれ何だよ~!」
「これか? へへっ、これは偶然見つけたブーブーカウの肉だぜ! 美味そうだろ!」
ところかわって、食堂。
周りの皆がはしゃいでいる中、わたしたちのテーブルにはまるでお通夜みたいな空気が漂っていた。
「黒いのじゃ……。なんか、わちゃわちゃしてるのじゃ……」
「……これ、本当に食べられるのよね……?」
リズっちとフィラちゃんが箸でつんつんと魔物の脚をつつく。
カラッと揚がった魔物の脚は、今にも動き出しそうな不気味な雰囲気を醸し出している。
「先生に鑑定してもらったし、食べられるのは間違いないはずだよ」
「なんにせよ、食べてみましょう。わたくしはお腹がすきました」
シアちゃんがお腹を押さえる。その顔には目の前の脚に対する忌避感のようなものは何一つ感じ取れない。
もうあの光景を忘れてしまったのか、それとも食欲が尋常じゃないのか……なんとなく、後者な気がする。なんてったってシアちゃんといえば食欲、食欲といえばシアちゃんだからね。
なにはともあれ、シアちゃんが一番最初に魔物の脚の揚げ物に箸を付ける。
イヴ、わたし、そして遅れて残りのフィラちゃんとリズっちと続いた。
顔の近くに近づけてみると、より一層「脚」感が増す。
うぇぇ、やっぱり見た目は相当グロテスクだなぁ……。
……ええい、女は度胸!
わたしは一瞬の躊躇の後、目をギュッとつぶって脚を口の中へと入れた。
「はむっ! …………っ!」
もぎゅもぎゅと口を動かす。
これは……。
「……おい、しい。……美味しいっ!」
まさか美味しいなんて!
「……味って、見た目に寄らないのね」
「何言ってるのさ。あんなにかわいかったんだから美味しいに決まってるよ」
「お主の目には何が見えてるんじゃ……?」
「リズっち、多分シアちゃんのセンスは千年先を歩んでるんだよ」
「えー、かわいいのになぁー」
「はむはむ……はぁー、おいしいですわ! ご飯が進みます! おかわりを十五杯ほどいただくのですわ!」
こうしてわたしたちは、自給自足のお昼ごはんを美味しくいただいたのだった。




