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2.事件発生

 大戦から時間が経過した今となっても、仕事以外の理由でこちらの世界に来る未成年者は、宇宙飛行士並みに選抜された人たちだったりする。もちろん、その基準が緩い国もあるし、基本的に問題が無い限り、この世界も入国を許可するのだが。

 そのため――世界人口は、人間七○億に対し、異人種五○万の事態になっていたりする。

 大戦終結してからおよそ十年……コンピュータよりずっと早い速度で、世界は新たな変化を寛容に受け入れているのだ。

 寛容に受け入れたのは、この上下市くらいなのだが。

 異人種の世界人口五○万――内、この上下市には十万が生活している。

 残りの十万ほどは軍や管理局などを含めるので、純粋な留学生や会社員として滞在しているのは三○万程度となる。

 だから彼らの犯罪など毛ほどもない。些細ないさかいはともかく、死傷者が出るレベルは世界的にも大問題にもなる。

 いくら浸透しかけているとは言え、大戦からは十年程度しか経過していないのだ。

「……本当、ですか」

『ああ』

 だから新島は、自分の耳を疑った。

 管理局はザルじゃない。異人者がゲートを通過してこの世界に来るにあたって、健康体でありこの地球上で確認されていないウィルスや菌が発見された場合は、通過できないセキュリティを設けている。

 その関係上、この世界で未確認の異人種も数多く居るわけだ。

「よりにもよって、この街に?」

『一応警察が網張ってるが、実際に手を下せるのは管理局のお前だけだ』

 犯罪者が紛れ込んだ。

 その犯罪者は、どうにも異人種らしい。

 ゲートから入国の際に着用を義務付けられるIDチップ入りのブレスレットの反応も無い。だから追うこともできない。

 最後に確認されたのは、検問を無視して逃げた暴走車に乗っていたと思われる姿だけだ。ちなみにその暴走車は検問付近のコンビニで盗まれたものであり、そこから十八キロほど離れたデパートの立体駐車場で乗り捨てられていた。

 車に轢かれた被害者も居る。幸い命に別状のない軽傷だが、大きな脅威となりつつある。

 この国では犯罪をしても捕まらない――そう思わせては、ダメなのだ。

 基本的に異人種は、人間よりも知能、身体能力の面から極めて優位に立っていると言っていい。

 その認識が対等な関係を崩し、力の関係を思わせ始めたら、また大戦が起こる。

 今度は互いを知り合う戦いではない。

 己の優劣を押し付け、相手を取り込むための殺し合いだ。

「自衛隊は動いてないんですか」

『あまり派手に動かせない。そいつを刺激することになるかもしれん』

「そう、ですか……」

『一応、学園からは結構離れているから生徒たちに問題は無いと願いたいが……気をつけておけ』

「了解です。わざわざすみません」

『気にするな。負担ばかりをかけて済まないな。できるだけ早く、上下市には人員を補充しておく』

「ありがとう御座います。佐戸さんも、健康にはお気をつけて」

『はん、お前に身体を心配されるとはな。……またな』

「ええ」

 そこで通話が切れ、新島は大きく息を吐いて俯いた。

 また厄介な事になりそうだ。

 警察が積極的に動いている以上、いくら異人種とは言え大きな事件は起こせないだろう。

 異人種に寛容なこの市街。いずれその特色を利用されるだろうとは思っていたが、まさかこんなタイミングだとは。

「とほほ」

 いい加減、血生臭いことは嫌なんだけどな。

 新島は困ったように頭を掻いてから、出かける支度を整えた。

 何にせよ、食料の買い出しにはいかなければならないのだ。


 異人種は、戦闘種族にもなると比喩なしで一騎当千の戦闘能力を誇る。

 いくら大戦に参加していたとはいえ、十年前。しかも四捨五入で三十の男だ。

 機動力には、スーパーカブを利用するほかない。

 しばらく走った先の交差点で赤信号に捕まる。ニ車線道路には人影はなく、車すら走らない。

 青になるのを確認して、アクセルを捻る。

 ゆっくりと動き出したカブの前に、飛び出してきた影を認めた。

「っ!」

 力いっぱいブレーキを引く。対して加速していない車体は勢い良く弾むように停止し――飛び出して来た影は、地面を蹴り飛ばして空高く跳躍した。

 自由を抱きしめるみたいに翼を広げ、大きくはためかせる。気流を作り出し、そしてその影は風に乗った。

 淡い緑色の翼を持った異人種「ハーピー」は、

「ごめんなさーい」

 遥か上空からそれだけ言って飛び去っていく。

 心臓が飛び出しそうだ。

 ただでさえ管理局の人間が人身事故なんて洒落にならないのに、相手が異人種となった時には……どうなるのだろう。

「いやいや」

 考えないことにしよう。

 新島は背筋に走る悪寒を気にしないように、さっさと近くのデパートへとカブを走らせた。


 両手から提げるエコバッグが重い。指が千切れそうになる。

 原付できたからついつい買いすぎてしまった。いつもより遠くのデパートに来てしまったこともある。

 どちらにしろ、琴乃が来てから何もしてやれていないこともある。どうせなら、ちょっと豪勢な夕食で歓待でもしてやろうか、と思った。

 思った所で、それまで考えていたこと全てが吹き飛んだ。

 ――このデパートは五階建てで、生鮮食品から家具、小物雑貨までなんでも揃う。そのため駐車場も、立駐を入れて五○○台は収まる大型駐車場を完備している。

 その一階、入り口前の駐輪場に置いてあったカブが、無い。

 新島は、その隣にある駐輪場に向かう。

 そこにもカブの影はない。どうやら駐輪場を間違えた様子はない。

 荷物を地面において、ポケットをまさぐる。指先に鍵の感触。出してみれば、しっかりカブの鍵はあった。

「……っかしいな」

 もともと置いた筈の駐輪場に戻る。駐輪場といっても、屋根があるだけの吹きさらしだ。原付と自転車合わせて二○台が停まって精々の広さ。

 そこにカブがない。

 どこにもない。

 幼少期――知らない場所で、迷子になった時のことを思い出す。

 それほどの孤独さがあった。

 カブがない。

 駐輪場の前で立ち尽くしていると、隣に誰かがやってきた。

「どうしたんですか?」

 顔を上げると、紺色の警備服に身を包んだ長身があった。

 ぎょろりとした琥珀の瞳。ひびが走る肌は濃い緑色。トカゲのような顔をした男は、新島より一回り大きな体躯だった。

 しっかりと帽子をかぶり、右肩あたりには無線機が収まっている。

「ああ……なんだか、ここに置いといた原チャが無くなったみたいで……」

 この警備員は、リザードマンだ。あまり知能の高い種族とはいえないが、その従順な性質と、類を見ない身体能力の高さから、警備や運搬などの肉体労働に重宝されている。

「本当ですか? 車種やナンバーは覚えていますか?」

 低い声だが、丁寧な対応。その手はホルダーから無線を抜いており、通信の準備は万端といったところだ。

「スーパーカブで、ナンバーは……」

 告げると、復唱するように無線の向こうへと報告していく。

 男は「お願いします」と最後に告げると、改めて新島へと向き直った。

「警察へ連絡しておくように頼みました。もし続報があったら、警察からそちらへ連絡が行くと思いますので」

「ああ、ありがとうございます。わざわざすんません」

 そこまで言ってから、リザードマンは改めて新島を見る。

 ボサボサの短髪に、うっすらと反射する黒縁のメガネ。ボタンが全て開いたポロシャツに、暗い緑色のカーゴパンツ。腿にはホルスターが巻かれており、そこに自動拳銃が収まっていた。

 法治国家日本である。一般人に、拳銃の所持はおろか携行は許されていない。

「あ!」

 ようやく気がついたように、男は慌てて背筋を伸ばして敬礼をした。

「か、管理局の方、でしたか」

「ええ、まあ……一応、内密に」

 苦笑しながら、口の前に指を立ててみせる。

 錆びついたブリキ人形のようにカクカクと頷きながら、警備員はきびすを返してその場から退場していく。

 片道十キロ。行軍よりマシだと思えば、少しは気が紛れ……るわけもない。

 新島はひそかに窃盗犯が事故ることを祈りながら、仕方なしに帰路へとついた。

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