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ユリの目論見

「へえ、そうなんですか?」

 リビングのテーブルで帳簿を書いていると、おつむがご機嫌なアーニェがお話にやってきた。

「そうなのですよ! ま、私にかかればガッコなど行かなくとも勉学はよゆーなのですわっ!」

 なんでも学園から送られてきた期末テストをユリ監視のもと解いてみれば、平均八○点台だったという自慢話だ。学年的には高等部の三年生。それで学園に通わず、特にこれといった勉強もせずに八○点だというのなら確かに優秀だ。

 何かご褒美でもねだってきそうな爛々と輝く瞳から目をそらして、帳簿へ視線を落とす。だが、かといって特にこれといって記すものも無い。今日の出費はゼロだからだ。

 ふむ、と短く息を吐いて顔を上げる。

 アーニェに付き添うようにしてついてきたユリは、なんだか妙にぼーっとしたように頬杖をついている。その目はじーっと新島を眺めているものの、目を合わせているはずなのに一切の揺らぎもない。心ここにあらず、と言った具合だ。

「彼女はいったいどうしたんです?」

「ふえ?」

 ろくに話も聞かない新島にむくれっ面のアーニェは、不意な問いかけに間抜けな声を上げる。

 それから改めてユリを一瞥して、さあ? と首を傾げた。

「疲れてる……というほど仕事量もなかったと思うのですけれど。何か悩みでも聞いてさしあげたら? 私の話はつまらないみたいですし」

 そう嫌味を言ってから、立ち上がりざまに頬を膨らませてみせる。眉根をしかめて睨む彼女の顔を見て、新島は微笑みながら取り繕った。

「アーニェさん、平均八○点はご立派ですよ」

「もう遅いですわっ」

 肩をいからせて背を向け去っていく彼女の後ろ姿を眺めながら、新島は嘆息をして帳簿を閉じる。

 ――午後にユリが帰ってきてテストを受けてから、夕食を終えてしばらく経った今で五度目になる自慢だ。いくらなんでも返事の語彙もなくなってくるというものだ。

 ユリもそれに疲れているのだろう、と思って休むことを促すように声を掛けようとした時、

「ねえ、ユウ?」

「なんですか?」

 まるでそれを待っていたかのように、ユリが口を開いた。

「明日はどこか行くの?」

「いや……特にこれといった予定はないですけど……」

「そう」

 それだけ言うと、ふう、とまた短く息を吐いた。

 気のせいか、頬が上気したように朱に染まっているようだ。目が潤んでいるし、頭も冴えていないように見える。

「ちょっと、大丈夫ですか?」

 新島は立ち上がって、テーブルの向こうに置かれているユリの手を掴む。少し驚いたようにびくっと跳ねるが、特に抵抗もなくそれを受け入れた。

 手首を掴み、指で脈を測る。少しだけ早いが、特に気にするようなものでもなさそうだ。

 それより。

「手、結構冷えてますね。風邪引かないように温かいものでも淹れましょうか……そうだ、ホットミルクいれますよ」

 氷のように冷えた手を離して、まだ少しぼーっとしているユリを置いてキッチンへ動き出す。

 棚からユリの白いマグカップを取り出し、冷蔵庫から出した冷たい牛乳を注ぐ。ユリは甘すぎるくらいが好きだから、スプーンで二杯ばかりの砂糖を入れ、ラップをしてレンジへ。

 ぬるめより少し温かい程度の温度が好みだったな、と思いながら時間を指定してレンジを動かした時、ふと後を着いてきていたユリがその入口で立ち止まったのを見た。

「ユリさん、せっかくの土日なのに風邪引いちゃいますよ。もう夏だからって油断しないでくださいね?」

「――これ、職場の人から貰ったんだけど……」

 そんな新島の声が届いていないように、ポケットから二つ折りにされた封筒を取り出した。中から出すのは二枚のチケット。

 ゆっくりと歩み寄り、彼女はそれを青年に手渡した。

「……ステアランドの入場無料券? それも二枚」

 ユリは頭のなかで言葉を繰り返す。大丈夫、間違えるな――明日ヒマなら、二人で遊びに行ってみない?

「うん。あの……良かったら、行かない?」

 違う、そうじゃない。でも、ただそう誘っただけなのに、鼓動が早くなって仕方がない。

 目が合うだけで、見つめられるだけでドキドキする。今までそんな事はなかったのに――ジャスティンに吹っかけられ、意識してしまったから。気にしないでいたのに、認めてしまったから。

「あー、そう……ですねぇ? んん……」

 受け取った新島は、腕を組んで首を傾げて考える。しばらく考えて、レンジが音楽を鳴らして温め終了の合図を知らせた時に、彼は顔を上げた。

「そうですね、思い出を作りましょうか――みんなで」

 言いながら、レンジからマグカップを取り出して差し出す。それを受け取りながら、ユリは弛緩しかけた表情を一瞬にして引き締めた。

「……みんな?」

「ええ。せっかくなのでこの寮の全員と、カナや琴乃たちも友人を呼んでもらって、大所帯で行きましょう! ちょっとしたイベントみたいで、楽しそうじゃないですかね?」

「え、ちょっと。あれ、え、えぇ……?」

 なんだかだんだん勝手に盛り上がってきたように、新島はぶつぶつと何かを呟きながらリビングへ戻っていく。

 何かがおかしい。たとえ言葉が足らなかったとしても、新島ならば状況から判断して明らかにそういった誘いではなかったと勘づく筈なのに――。

「よし、そうと決まれば予定を詰めなきゃ。まず全員に連絡して……」

 バタバタと駆け足で階段を上り、部屋に戻っている寮生のもとへ向かっていく新島。

 それを力なく眺めながら、ユリは大きくため息を吐き出した。手の中に残ったマグカップに口をつけて、啜る。熱くもなく、ぬるくもない。それにとっても甘い。

「……おいし」

 呟きは誰に拾われる事もなく、まあ一人だけ抜け駆けした罰か、なんて思いながらユリはトボトボと自室に戻ることにした。

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