ジャスティン・バトラーの面接 新島夕貴の場合
七月中旬。三人は各々の貯金を潰しながら、ホテル暮らしで日々を凌いでいた。
だがそれもそう長く続くわけもなく、また続けるつもりもなかった。
午前十時――先日のジャスティン・バトラーのメールから一週間が経ったその日の朝。二日前に、応募したPMCから面接行う旨のメールが来た。
指定時刻は午前十一時。履歴書も職務経歴書も不要で、私服で結構といった内容。不審に思ってみていれば、面接会場はモン・ステア学園理事長室だという。
「イヤな予感がするわね」
と告げたのはエルクだった。
長い白銀の髪を後ろで一つに束ねた彼女は、それが慣れないように何度も後頭部の結び目を弄っている。あるいは単純に、これからの不安に対して心が落ち着かないのかもしれない。
学園の自動改札ゲートまで到着して立ち止まり、個人用に持っていたカード式のチップでそれを通過する。エルクもこの世界に常駐する際に作成したチップで後を追った。が、佐戸はそれに続かず、戸惑ったように改札前で立ち止まっていた。
「どうしたの?」
「……俺は管理局を抜けてから、ここを通れる身分証がない。すっかり忘れていたが」
たはは、と無精髭を撫でるように笑う。やれやれ、と肩を竦める新島が常駐している警備員に訳を説明に行こうとした時、その不審さをいち早く察知した彼らは、既に佐戸の元へと駆け寄っていた。
「どうなされましたか……あ、もしや佐戸輝彰様ですね?」
「あ、ああ……知っているのか?」
制服をびしっと着こなした中年の警備員は、にこやかに笑ってポケットからゲスト用の通行証を取り出した。
「理事長から伺っております。面接に来る方の一人が不自由するだろうから、とご準備をさせて頂いておりました」
「ああ、助かる。すまない……だが、もし俺がまったく人違いで、とんでもない悪人だったらどうするつもりだったんだ?」
Guest、と書かれたネックストラップ付きのカードケースと、認証カードを受け取った佐戸は、不敵に微笑みながらそう返す。さながら極悪人のような顔立ちだから、あまり冗談に聞こえないな、と新島は思った。
「佐戸さん、あなたが良く知ってるように管理局はそこまでずさんじゃないですよ?」
「まあ、それもそうだな。それじゃあ有難く受け取っておこう」
ゲートの向こうから新島が言うと、それもそうだな、と苦笑してゲスト用の認証カードで改札を通る。
改札を抜けて、暫く歩く。
自然公園を抜けた先には、さながら城を彷彿とさせる巨大な建築物がある。数百メートル手前から見ても視界に収まらないそれは、この街に唯一存在する教育機関であるモン・ステア学園だ。大学、高校、そして中学から幼稚園まで全てが付属する一貫校だ。
人間と、異人種の割合はおよそ半々。そして概ね大学より下の学年はそれぞれが分けられているのだが、教員に限ってはそれがない。慢性的な教員不足に加え、人に異人種を慣れさせる為に彼らを教員として採用しているのだ。
大げさなほどに大きい鉄門を抜けた先には、レンガ調の地面が広く、長く校舎まで伸びる。木々が生い茂る並木道に、人の姿はない。
――正面のエントランスともなるホールをそのまま真っ直ぐ進めば、全校共有としている広大な校庭にでる。小等部から高等部までは主に、この校庭から各校舎へ向かうような作りになっていて、
「あ、ユリだ。久しぶりに見るわね」
エルクがそう言ったように、校庭の中心にはジャージ姿のユリが数十人の学生を前に何かを指導している。
声をかけるつもりもなく、その外周に沿うように理事長室のある高等部へ足を向けると、生徒たちが何やら三人を見てザワザワし始める。それに気づいたようにユリが不意に振り返り、新島と目があった。
「――ッ!? ユウ!」
ひどく驚いたように、その大きな目をさらに大きくひん剥いて、ユリはそう叫んだ。
新島はなんだかとてつもなく居心地が悪くなって小走りになるが、ケンタウロスの速度に敵う筈もない。彼女の疾走は瞬く間に距離を詰め、一息の内に新島の前に回り込む。
「ちょっとユウ! どういうことなのよ? あの後いきなり姿を消すし、メールも返信してこないし……生きてて、まだこの街に居て……」
良かった。と言いかける所で、その後ろの二人に気がつく。ばつが悪そうに、また恥ずかしそうにきゅっと口をすぼめると、誤魔化し半分に新島の胸を拳で小突いた。
「ばか」
新島に聞こえる程度の小さい声でそう言うと、短く息を吐いてから言葉を継いだ。
「何の用なの? 理事長?」
「うん、まあ……そんなトコかな」
「とにかく、生きてたんなら近いうちに寮に顔出しなさいよ。アーニェも、琴乃も、カナも心配してるんだから」
「わかった、ごめん。ただ、ユリさんも元気そうで良かったよ、改めて今度礼をするけど、この前の事もありがとう。君と、エルクと佐戸さんのお陰で僕は生きてるようなものだし」
「う、うん……じゅ、授業あるから。それじゃ、ね」
新島の素直な言葉に、ユリは少し驚いたように戸惑う。そして言葉がゆっくりと染み込んできたのか、にわかに頬に朱が差し始めた。
それを恥じるように顔をそむけると、背中越しに手を上げて生徒たちの元へ戻っていく。
彼女が改めて学生の前に立ち直ると、学生たちはまるで持て囃すように歓声をあげていた。それに対して一喝する姿を眺めていると、
「ほら、遅刻するわよ」
エルクは言葉とともに、新島の尻を強かに蹴り上げた。
「ったぁっ! 痛い、痛いじゃないかエルク。どういうわけだよ、僕が人工肛門になっても構わないのか」
「知ったこっちゃないわよ。馬鹿、人の目の前でイチャイチャして」
「イチャイチャって……別に、普段通りだよ。ユリさんは優しいから、素直に心配してくれてるだけでしょ」
「普段から!? あんたの目は節穴?」
「――まあまあ二人共、んな揉めてるとマジで遅刻するぞ。もう十分前だ」
「マジすか、急がないと」
間に割って入る佐戸にいなされ、新島はほっとする。即座に話を切り替え、三人は理事長室へ急いだ。
両開きの扉には、一枚の紙が張り出されていた。
『十一時を過ぎ次第、新島夕貴来室されたし。以降はエルク、佐戸輝彰の順で面接を執り行う。』と記されていて、扉の横には簡素な椅子が三脚並んでいる。
時刻はちょうど十一時の二分前。乱れた髪を整え、滲んだ額の汗を拭っていると、すぐに二分が過ぎた。
「じゃあ行ってくるよ」
二人に告げると、
「せいぜい頑張りなさいよ」
「ま、同意見だ。奴もクセが強いからな」
「ははっ、全くです」
言いながら、ノックを二度。返事はない。
扉を開け、「失礼します」と入室。
扉の先には、見慣れた来客用のソファと、その向こうに大きな書斎机。
金髪の貴公子は普段通りと言わんばかりに、双眼鏡を持って窓の向こう側を覗き見していた。
「理事長、新島夕貴が面接に参りましたよ」
「そんな事は知っている。そこに席があるだろう、座り給えよ」
新島の言葉に、振り返りもせずジャスティンが言った。これでもジャスティンと顔を合わせるのはユリ以上に久しい筈なのに、まるで昨日ぶりと言わんばかりの反応に新島は少し辟易する。
恐らく彼とは十年以上の時を置いて再会したとしても、全く同じように声を出し、言葉を紡ぐだろう。
ジャスティンと新島の間に、感動の再会はない。仮にあったとしたら、その両者のどちらかは偽物に違いない。
促されて、背もたれがあるだけの椅子に腰をかける。そのタイミングでジャスティンが振り返った。
「さて……まあ本当に私服で来るのが貴君らしいと言えばらしいが、貴君はここでバーベキューでもするつもりで来たのかね?」
気が狂ったような白。新島は貶されて、ジャスティンをそう評した。まるで新郎だと言うかのように白いスーツ一色の男に対して、新島は黒のシャツに白のチノパンだ。
「ともかく、面接を始める」
「ちょっと待って下さい。僕はあなたの進めるPMCに応募した……なのになぜあなたが面接官で、ここに呼び出されたんですか」
「……君はどうやら生まれてこの方、頭を使うのが苦手らしいな。なぜだと? 私がその傭兵組織の創設者であるから、というだけだが。私が外部の組織を懐まで潜り込ませるわけがないだろう」
「まあ、だとは思いましたが」
「ともかく、だ。これから私はジャスティン・バトラーではなく、一人の面接官として貴君にいくつか質問させて貰う。覚悟したまえよ」
「……承知しました」
ジャスティンは飽くまでマジメな表情を崩さずに言った。
両手を机の上で組み、一拍置いて口を開く。
「まず一つ。貴君の正義とはなんだ?」
「正義……」
――不意の言葉に、新島は言葉に詰まった。
正義。今まで散々己の中で掲げ、廃れ、腐ったものだ。己はこれの為に苦悩し、死にそうな目にもあってきた。そんな経験もあったくせに、まだ自分は正義を掲げている。
その正義とはなんだ、と訊かれたのだ。膝の上で握る拳が、汗で濡れてくる。
「言っておくが、抽象的な意見は控えて頂きたい。例えば悪に反抗するものだとか、正しい事を貫くだとかではなく、具体的に――圧政から民を解放するだとか、虐げられている弱者を救うだとかいう――貴君の正義を聞きたい」
「正義とは……ただの思想です。僕の考える正義が、誰かにとっての悪かもしれない。誰かの悪が、僕にとっての正義かもしれない。その中で僕が胸に抱いていた正義というのは、幼き日の夢、なのかもしれません」
「夢?」
「はい。幼く、愚かであった時の僕はただ漫然と、異世界から世界を侵す異物を排除することを正義にしていました。僕の正義とは、漫画やアニメに出てくるヒーロー像そのもので、僕はそれに憧れ、盲信していただけです。そして今でも、その胸の奥底にこびりついた思想は、未だ燻っています」
「つまり?」
「僕は変わらぬ平和を守りたい、と思っています。人々が幸福を感じ、笑顔で居られればそれでいい。正義も悪もない世界であれば、それに越したことはない」
「なるほど、良くわかった」
ジャスティンはそう言うと、短く息を吐いた。
自分で言って、少し心が落ち着いた。思考がまとまり始め、頭が冴え始める。
「だが私が経営しているのは傭兵だ。貴君は国内外問わずクライアントの要請を受けて人を殺すためだけに戦場に立つ。そこに人からの感謝などなく、喜びも、達成感もない。人を殺すだけ殺し、仲間の死を見ながら生き残れれば国に帰る。それだけの生活だ。およそ、貴君が十年前に荒んだ原因となる生活に逆戻りというわけだ」
どうやら貴君には適性はないようだ。
ジャスティンはそれだけ言って、大きく嘆息した。
「……残念ですが、そのようですね。失礼します」
新島は素直にそれだけ言って、腰を上げる。確かにジャスティンの言うとおりだ。
傭兵になればただ人を殺す生活に戻るだけ。開き直って正義だのなんだのと言い出したが、それもやがて擦り切れて精神が保たないかもしれない。
所詮、子供の頃の夢だけで今まで生きてこれただけの男だ。また現実を目の当たりにして、加えて実力もなく、センスもない人間がこの先生き残れるとも思えない。
「まあ待ち給えよ。質問はまだ終えていない」
立ち上がった新島を、ジャスティンは制止した。新島は立ったまま、口を開く。
「なんです? 結果は明らかじゃないですか」
「私は幾つか質問する、と言った筈だ。そして貴君はそれを了解した。貴君は数も数えられないのか?」
「……好きにしたらいい」
あからさまに不服そうなしかめっ面で、新島は改めて席についた。足を組み、膝の上で手を組む。およそ応募者の態度ではないが、この際それに対して苦言を呈するような男でもあるまい。
「貴君の経歴は聞いている。どうやら寮長の経験があるようだが」
「白々しい……それがなんだと言うんです」
「現在、この学園の第三女子寮に問題が発生していてな。元々寮長を務めていた男が失踪し、最近入寮した女子生徒に全権を渡したそうだ。私としては彼女の意思次第でそれを認めても構わないのだが――未成年が寮長を務めるとなると、トラブルが生じた際に責任を取り切れない。異人種が多く生活している寮だから私としてもいささか不安ではあるのだが」
「……つまり?」
新島は、にわかに己の胸が高鳴っているのを感じていた。
なぜかは、わからない。寮長としての仕事はそこまで好きではなかったが――それは管理局から与えられた立場が嫌であっただけで、仕事はそこまで嫌ではなかったのかもしれない。
確かにユリやアーニェが心配してくれていたのは嬉しい。そして同時に、自分も彼女らが心配ではある。
自分の知る限り、あの寮は己の思い描く平和そのものが詰め込まれている。もし、戻れるのなら……。
「私としても、ここまで来てくれた貴君をむざむざ不採用で帰すのも心苦しい。そこでもう一つ、最後の質問……まあこれは提案だが」
「……なんです」
「その正義を、まず初めに身の回りに振るって見るのはどうだ?」
「どういう、事ですか?」
「君をこの学園の職員として採用し、講師としてではなく、寮長として第三女子寮の管理を委託したい。また管理局員であった側面を見て、この街になんらかの問題が発生した場合にはそれへの対処を依頼する事もあるかもしれないが……どうかな」
「まあ……適材適所、という観点に置いては確かにその提案は僕にとって良い話かもしれませんね」
「貴君にアーニェちゃんの世話を依頼するのは非常に心苦しく許しがたい話なのだがね。現在の仮寮長を始めとして、寮生からの抗議も激しいのは私としては少しうんざりしている」
「それはさすがのあなたでも苦労するでしょうね」
言って、新島はアーニェや琴乃が電話やメールでジャスティンへ抗議しているのをイメージして、微笑ましそうに笑う。
「その提案、お受け致しましょう」
「貴君ならそう言ってくれると思ったよ。手続きは後日行うが、寮に関しては一刻を争う状況になる。荷物は既に、君が滞在しているホテルから寮長室へ配送済みだから、帰るのなら寮に帰ってくれ給えよ」
「は!? 何を勝手に……僕が断ったらどうするつもりなんですか!」
「残念ながら、私にその想定はないな。そしてその選択をしたのならば、貴君はもはやこの街に居る資格はないし、私の記憶ごと貴君の存在を抹消する」
「なっ……相変わらず、メチャクチャだな、あんた!」
「見給えよ!」
ジャスティンは半ば叫ぶように立ち上がると、流麗な動作で指を鳴らした。
澄んだ音が空間に響いたその刹那、先程まで確かにそこに居た姿が、突如として消える。同時に、すぐ後ろから猛烈な人の気配を覚えた。
椅子を蹴り飛ばすようにして立ち上がり、振り返る。椅子の真後ろで、いつの間にか握っていた拳銃で、新島の額を照準するジャスティンの姿があった。
「ただの人間である貴君など、取るに足らぬ」
「……あんたは、どんどん人間を辞めていっているな」
「何を言う。人はこれを進化と呼ぶのだ。人間と異人種の共存の果て、その先の理想だ」
「まあ良いです、今日は別にあんたと口論しに来たわけじゃない」
「なんと……!」
新島の台詞に、ジャスティンは心底驚いたように彼を見ていた。珍しい事もあるな、と思いながら新島は言葉を返す。
「なんですか」
「まさか貴君と意見があう事があろうとは」
「一生に一度ですね。これから死ぬまであんたと意思疎通できる気がしない」
「まあいい、話はこれで終わりだ。次はエルクを呼び給え」
「はいはい。それじゃ、失礼です」
肩をすくめ退室する新島を見送ることもなく、またジャスティンは自分の席へ瞬間移動して座る。
とりあえず問題事は一つ解決。全くもってこの私が他人の尻を拭いてやるなど、丸くなったものだ――そんな事を考えていると、間もなく、ノックが次の来訪者を知らせていた。




