終幕 1
将来の夢、というものがある――筈だ。
青年は、異形の姿をもって生まれた、この世界では普通の人達に説いた。
「君等は何のために剣を振るい血を浴びるんだ? 勝利のためか? 生きるためか?」
多くの者達からは、そんな事考えたこともない、というような表情が浮かんでくる。当然だ。人はどうして生きるのか――人生の命題にも似た問いに、即答できる者は少ない。
「勝てなかったから不幸なのか、生きているから幸運なのか、人それぞれ価値観が違うように、君たちが何を目指して生きているかもわからない。僕だってそうだ。この人の作った武器が、ただ指先に圧をかけるだけで人を殺してしまう。それを使って、自分の意志で相手を殺す。なぜ? 仕事だから。どうしてそんな仕事をしているのか? 生きるためだ。そうしてまで生きる理由は?」
知るか、そんなもの。
葛藤ですらない、幼児の「なんで?」に真面目に答えを返し続けるような厄介な問い。
だから青年は、正義を抱いた。
それがもろくも叩き潰された。
「力なき正義は悪なのか?」
行使できぬ意思はただの思想だ。思想は誰が何をもっても自由だが、持つだけだ。
「悪とはなんだ。自分に意に反するもの全てか?」
そのとおりだ。自分以外の全てを悪と断じていれば、生きていくことは随分と楽になる。生きていくということは、とてもヘタになるけれど。
怒涛となって地響きを打ち鳴らす軍団が、地平線を埋め尽くしている。それを眺めて、塹壕も壁もない荒野に立つ彼らは立ち尽くしていた。
十天族の内部抗争。部族間での戦闘だ。無数に派生する部族が力をつけ、他の部族を喰らい勢力を加え、最後に残った部族が十天族を牛耳る。誰が決めたわけでもないけれど、しかし一度始まった戦いは、そういったところにしか納めどころがなかった。
新島夕貴という男は、ここで責任職を押し付けられた。
部隊の現場指揮。
四千の軍勢の指揮をしなければならない。
大戦で下っ端で、それ以降は主に事務仕事くらいしかしたことのない男が、拉致られた先で二階級以上特進してしまった。
しかし独白で魂は燃えてきた。
不条理も糞も噛み締めて、屍も肥料も踏みしめてここに立っている。
生きているから幸運? 負けたから不幸?
知ったことか。
僕が正義だ!
「僕達が正義だ! 連中にドロの味を教えてやれ! 血反吐を吐く訓練が児戯に等しかったことを思い知らせろ! 連中の全てを、無駄にしてやれ!」
『うおおおおおおお!』
景気の良い言葉ならばなんでも盛り上がるような連中だ。血湧き肉踊る屈強たちを眺めて対照的に心が冷えていく新島は、誰よりも早く特攻して――姿を消した。
数時間後に敵の指揮官が生首の状態で発見される。
しかしどれだけ探しても、無数に散らばる死体の中に新島の姿はなかった。
❖ ❖ ❖
空気が張り詰める音がする。ピンと張ったピアノ線やワイヤーを、弾くような音だ。
その直後に爆音が轟いた。撃鉄が落ち砲弾が放たれる――それを全て省略し、何らかのエネルギー体が村の近くに叩きつけられる。大地が砕け、砂埃が水柱のように吹き上がった。
モチベーションが問題でジッテン族に処刑されそうになったのを思い出す。今になって、事の発端を再認識するハメになるのは情けないことだ。
逃げて逃げて、なんとか生き延びて小さな村に拾われた。いろんな種族が仲良く暮らす平凡な村だった。しかし、紛争地帯でもあった。
村にはゲリラ軍が潜んでいる。新島はつまり、彼らに拾われたことになる。
敵軍はジッテン族と合流し、戦力を大幅強化した。そのことについて、ゲリラからは未だになじられる。
小隊規模が村を囲うように展開する。ついに術による砲撃が、異音を弾きながら民家を吹き飛ばした。
「僕のせいでもあるんだけれど、だけれど未だに終わらせられなかった君たちの責任でもあるんだよ」
ケンタウロスと、そしてジッテン族から逃げ出したジッテン族の男が無線の先で息をつまらせる。無線、といっても、術によって無線のような役割をする道具だ。見た目は結晶体で、中には解読できない文字列が羅列され、揺れている。
近くにいる子どもたちが、怯えた目で新島を見る。
彼は優しく微笑みながら、親指を突き立てた。
これは僕達の世界で言う、勇気の証なんだよ、と教えていた。彼らは強い意思をもった顔で頷いてくれる。
「僕は戦いを終わらせるために、ない頭を一生懸命ひねらせた。彼らは今のところ、うまい具合に進んでくれている。大丈夫、うまくいく。うまくいくために、君たちも頑張ってくれ」
撃て、と新島が告げる。
はぐれジッテン族の男が、術を開放した。
怒涛となる輝きが、囲いの一点をぶち抜いた。ド派手で圧倒的過ぎる密度の爆発の術が、着弾と同時にけたたましい唸り声をあげる。
囲いに穴が開く。周囲の敵軍が穴を埋めるために怒涛となって流れ込む。
あたりの敵勢は、少しだけ壁を薄くする。
同じ位置を再び、新島が爆撃を命じる。同じように穴があき、反対方向の連中が村へと似たような術を放って攻撃してきた。
民家が破壊される。大地が震える。だけれど悲鳴一つあがらず、ゲリラ軍は一点だけを攻撃し続ける。
危険な行為だ。村を囮どころか、壁として使っている。人として最低の行為で、軍人としては考えられない命令だ。
だがゲリラ軍は従った。彼らとてこれしかないのを知っている。
「撃て、撃て、撃て」
伝導結晶に命令を叩きつける。新島は重い腰を上げて、近くに置いておいた軽機関銃を握り締める。ずっしりと重い銃は、随分と最前線から退いていた彼にとっては重すぎるものだった。
近くの子供達が、不安そうな顔で新島を見る。彼は柔和な笑みを浮かべて、見せた。
「この戦いは終わる。僕達が終わらせる。お願いだから、祈っていてくれ」
様々な色の瞳が、子供も大人も混ざり合った視線の数々が、青年の体に突き刺さる。それを払いながら、新島は地上に出た。
深さ五メートルほどの塹壕だ。天井には出来る限り鋼鉄を使用した板を張り巡らせている。ケンタウロスの提案で、一つの防護壁も張ってある。一定以上の衝撃で展開し、一定以上の衝撃でなければ破壊できないものだ。守れるのは、直径五メートル程度の正方形とひどく狭いが、塹壕という性質上では都合がいい。
キチガイだの狂人だのなじられるのは良い。だが――とても、信頼された目で見られるのは、とても気分が良いものではなかった。
僕は君たちを利用する。
ここに来てから、何度でも口にした言葉だ。
たぶん終わっても、生きていたら何度でも言うつもりだった。
大きく迂回するように壁際まで行って、入り口とは反対方向の塀まで走る。
やがて新島は村を守る鋼鉄のプレートで出来た塀を越えた。下部の一部が全て引き剥がされているそこを、くぐり抜けたのだ。引き剥がされた残骸は、塹壕を守る天井になっている。
撃て、撃て、撃て。口は声を紡がず言葉を放ち、心のなかで叫び続ける。
穴を広げろ。戦力を集中させろ。
たまらず逃げ込んだ間抜けたちが、真後ろまで回りこんでくるくらいに。
反射的に軽機関銃を構えた先には、予想外なほどに部隊が収束していた。いや、これは予想内だった。
伝導水晶の向こうで、男の声ががなりたてていた。
『攻撃が追いつかない! ニイジマ! 反対方向へ向かわれた!』
「問題ないよ。君たちは作戦通り、二班に分かれて挟み撃ちにするんだ。逃げた連中には構う必要はない」
告げる一方で、先頭に立ったジッテン族の男は驚いたような顔をしていた。ような、ではない。事実彼は驚いている。
土気色の体。独特の民族衣装。
ヒテンは巨大な剣を構えて、そして予想外の闖入者に驚いている。間抜けな顔だった。彼の意表をつかれた顔は、初めて見たと新島は思う。最後の最後で、期待を裏切ってやれたとも。
「言ったでしょう、僕が正義だ」
引き金を引き絞る。凄まじい衝撃が怒涛となって右肩を襲う。
それよりもずっと酷い勢いの銃弾が無数に、ヒテンの肉体に穴を穿っていた。数十の穴から血が噴き出て、言葉も無く男はどすんと音を立てて倒れた。
無限の射程を誇る刺突に等しい銃撃を、新島は薙ぎ払う。途中でマガジンを入れ替える。その間に、彼を狙った術が奔流となって溢れだした。
背後の塀が打ち抜かれる。爆発に似たエネルギーの破裂が、鋼鉄をぶち抜いたのだ。何らかの影響で大地が隆起する。人を串刺しにするように、横っ飛びした新島を追って数本が突き立った。紙一重の所でそれが終わる。規則性を知る。
敵の真正面から離れた所でふたたび立ち上がる。銃撃を開始する。既に近づいてきた五人が、タイミングをずらして倒れてくる。倒れる間際に投げてきた刀剣が、足元に刺さった。
五つ目となるマガジンを入れ替える。体に巻きつけているタクティカルベストが少し軽くなる。
手榴弾を抜いて投げつける。術式が発動し、頭上でそれが爆発した。
凄まじい勢いで空圧が変化し、鼓膜が破裂する。耳鳴りのような音がやかましく響いた。だがそれは敵も同じだ。
転げながら銃撃を続ける。体中が痛い。とても、アクションスターになった気分にはなれない。
爆発の術が、どんどん塀を引き剥がしていく。その破片が、ついに左脇に突き刺さった。傷は浅いので、それを力任せに投げ捨てる。
数はどんどん増えていく。伝導水晶から、『何が起こっている! 敵の反撃が薄い、指示を!』そう叫ぶ声が聞こえた。新島はただ「攻め続けてくれ」とだけ応える。
ゲリラの反応を見る限りでは、敵はどうやら新島に集中してきているらしいことが分かる。戦術的な意味で彼を重要と考えたのか、あるいは単に隊長であるヒテンの弔い合戦かわからない。
単細胞の筋肉馬鹿のジッテン族のことだ。後者であっても、不都合はないだろう。
間もなく、村の中から爆発音がした。現代兵器が作動したのだ。
つまりは、地雷に引っかかったのだ。
ジッテン族が、新島の為に用意した兵器たちだ。この軽機関銃も同じで、マガジンも与えられてから変わらず二十だけ存在する。地雷も五つだけ。あとは全部、ここの村人たちの術頼りだ。
爆発の刹那後に、防御壁が展開する。爆発の影響が、村の主要地域にまで及ばないよう配慮したためだし、単純に足止めの意味もある。
彼らは地雷をも凌駕する威力の攻撃を放つ。だがそれには、タメがある。タメには隙が出来るようで、その隙は致命傷を作る。
次のトラップが発動した。
爆発の影響で焼き切れた図太い縄が、つなぎとめていた大地を割る。真っ二つに割れた地面がそこに立っていた男を落とし穴に叩きこみ、一回転して穴をふさぐ。そこに落ちたのはおよそ六名。ちょうど爆発の後に駆け込んできた敵全員だ。
軽機関銃が火を噴き続ける。敵は学習し、物陰に隠れながら頭を引っ込めていた。
そろそろ潮時だな、と新島は思う。脇腹からの流血は、思ったよりずっと多く、なかなか止まらない。
「ニイジマ!」
男が叫んだ。ゲリラ軍の一人だった。
横合いから飛び込んできた軍勢に驚いて、敵軍は無防備に術を受けていた。派手に爆発し、肉片が吹き飛ぶ。
敵は集結したゲリラを見るに、またたくまに撤退を開始した。間抜けで、判断が遅すぎる選択に呆れたようにため息をつく。
大勢のゲリラが追撃の為に腕を構える。新島はその正面に急ぎ、背を向けたまま攻撃を制した。
ジッテン族の男が叫ぶ。
「なぜ止める!?」
「彼らはここで痛みを知った。舐め過ぎると痛手を負うと学習した。報告をさせよう」
「何を言っているんだ、再び報復にくるだろう!?」
「来ないよ」
新島は振り返る。演技ではない、純粋なほほ笑みを向けてみせる。
「そっちにはもう、手を打ってある」
「……それは、なんだ?」
「ニイジマ解放軍のみんなだよ」
恥ずかしげに、彼は言った。事実彼は顔を真赤にして告げていた。
その言葉の意味がわからず、ゲリラ軍の全員は首をかしげたままだった。
それでも新島の言葉を信頼したまま、彼らは村の復興に精を出す。それから数時間ほどして、白旗を持ってやってきたジッテン族を見たゲリラ軍は、ひどく間の抜けた顔で目を丸くしていた。
白旗のジッテン族は、ケンタウロスと、ダークエルフと、そして新島と同じ人間に囲まれて連れられていたからだ。




