3.会合
相手方の予定を調整するために、それから一週間の時間を置いてから、改めて話し合いの場を設けられた。
そこは寮の最寄り駅から二駅ほど離れた繁華街にある高級料亭だった。
なぜだか佐戸ではなく、見知らぬ男の局員に案内されるままに新島は部屋に通された。最近はやたら袖の通す事が多いスーツは、今ではすっかり着慣れたものだ。
板張りの廊下を歩く。縁側のような構造の廊下からは、風情のある中庭のような空間が伺える。吹き抜けになるそこからは、もうすっかり暗くなった夜空が顔を覗かせていた。
「ここだ」
サングラスの男が言った。個室の前で、彼は顎をしゃくって引き戸を示す。
「どうも」
無愛想にそう告げると、彼はそのまますれ違うように来た道を引き返していく。残された新島はなすすべもなく、ただこう言うしか無かった。
「新島夕貴です。失礼します」
静かに引き戸を開ける。高鳴る胸も、噴き出る冷や汗もない。血圧は平常より低めで、けれども意識は冴え冴えとしていた。
中は八畳ほどの畳敷きの空間で、中央にテーブルが置かれそれを挟むように座椅子がある以外は何の変哲もない部屋だった。料理はまだ運ばれておらず、向かいの席ではしゃっちょこばって腰を落とす二つの影があった。
左右、奥はふすまではなく土壁だ。逃走経路は、背後しかない。
「おお、来てくだすったようだ。わざわざすまないね」
ヘルメットを被ったかのような頭、土気色の顔。顔の作り自体は人のソレであるものの、民族衣装か少林寺か何かのように、片肩に布を引っ掛けて身体に巻き付けるような衣服が特徴的だった。左肩からあらわになる肢体は筋骨隆々で、薄い黄土色の肌など気にならぬほどに彫像的な美しい筋肉のつき方だった。
もう片方の女が会釈をする。男とは対照的に頭髪がある黄土色の肌を持つ女は、同じような衣装の下にチューブトップの下着を身に着けていた。
「わざわざご足労を感謝する。連絡を頂いて、暫く待ってもらったご迷惑もある。本日の代金は気にせず食事して頂きたい」
しわがれた、しかしどこか愛嬌と威厳のある声がそう告げる。
勧められるがままに男の正面に腰を落とすと、彼はにこやかな笑顔で新島を出迎えた。フレームの細いメガネをかけた女の方は星座のまま、膝の上に手を置いてもじもじとしている。
「ところで、我らが種族のことはご存知かな? ニイジマ殿」
男が試すように目を細めて口元を歪める。
新島は心中にて嘆息を漏らしながら、「ええ」と頷いた。あまりマイナーすぎる種族で無い限り把握している。これは管理局員としての務めでもある。
男の方の名前は確か『ヒテン』と呼んだが、女の方は新島にとってはイレギュラーだった。
ともあれ彼らは、ケンタウロスに継ぐ戦闘種族で――種族間で派生した部族をひとまとめにすれば、その物量で戦力としては異世界第一位とまで謳われる軍事国を誇る存在だ。
文化だって遅れているわけではない。少なくともこちらの世界と交流するようになって、大戦後の復興しはじめた日本程度の文化はあるのだ。
「十天族ですよね。大戦では、お世話になりました」
恐れを知らない突撃。一、二発の致命傷では怯まない豪傑。ある種、ケンタウロスよりも恐ろしい。ヘタに人型なものだから、狙いも難しい。
「ご存知のようで光栄ですな。それでは本題の前に、適当に腹ごしらえをしておこうか」
男の声に、女が冊子状のメニューをそれぞれ差し出す。
「すみません……えっと」
「ううむ、早々失礼をしたようだ。まだこちらは名乗っていなかったかな? ほれ」
ヒテンに小突かれて、彼女は小さく頷いた。
「遅くなって申し訳ございません。私はこのヒテンの娘、トテンで御座います。今回はこの場にお出でいただき、誠にありがとうございます。どうか私には構わず、お話のほうをおすすめください」
「どうも、僕は新島夕貴です。こちらこそ、今回はそちらから誘いを頂いて……ところで、どうして僕なんですかね」
メニューを睨むヒテンは、それでいて全く内容を頭に入れてなかったのだろう。
声に、まるでそのまま話に参加していたかのように顔を上げ、青年を睨んだ。
「君は、管理局の創設に大きな貢献をしたそうだ。記録上は抹消されていることだが、君が成し遂げた捕虜の脱走幇助というのは、我らを沸かせた唯一の出来事だった」
彼は続ける。
初陣にて唯一生き残り、かつその場で一体のケンタウロスをほぼゼロ距離で仕留めている。その後の戦果も、戦争の中で見れば微々たるものだが、十五の子供として見れば偉大な戦果だった。
たとえ身内が殺される結果だろと……含ませるように、ヒテンが笑う。
「君が身内になれば、それも帳消しというようなものだ。もとより、恨みつらみなどはないんだがね」
「はあ……しかし今のところですと、ご期待に応えることは難しいようです」
「わかっているさ。話し合いを一度で済ませるつもりもないし――結果問わず、私の愛娘を君に紹介したいと思っている」
「しかし……」
古臭い方法だ、と思う。
管理局から何か掴まされて、どこかで合法的に始末するつもりなのだろうが、どうにもまどろっこしくていけない。豪傑で豪快な印象だったが、しかし一国の主ということなのだろう。
「もっとも」
トテンが腰を上げる。しなやかなひざ下が視界に映る。それと共にテーブルを回りこんできて、彼女はすとん、と新島の隣に腰掛けた。
ああ、そうか。新島は思う。
こんな見てくればかり良い料亭を選んだは良いものの、食事などするつもりはなかったのだ。
トテンの手が新島の首筋に伸びる。反射的にその手を振り払おうとして、彼女のつめ先が手首に触れた。
裂けるような迸る熱い一閃。紙で指先を切るような感覚が、手首を襲う。
滲むように浮き出てくる赤い筋が、じわじわと鮮血をこぼし始めていた。そんな振り上げた左手に、液体がかかる。トテンの爪先から投げ飛ばされた、数滴の何かだ。
「君は今日ここで、我々の条件に二つ返事で受け入れた。その結果として、我らと共に来ることになった――すまないね、君には恨みはないのだが」
傷口から液体が吸い込まれていく。どくん、とやけに大きな鼓動とともに、視界がブレた。紛うなき毒なのだろう。
「私としても、背負うものがあるのだ。君よりも、遥かに大きなものが、な」
「申し訳ございません、ニイジマ様」
油断していたわけじゃない。色香にほだされたわけでもない。
むしろ警戒はしていた方なのだが、それだけだった。
向こうが何かをしてきても、何かをするつもりはなかったのかもしれない。
死んでたまるかクソッタレ――そう吠える一方で、現状に絶望し、諦めていた。
抗えない。あまりにも大きすぎる悪には、小さな正義だけでは、名も無き自称の正義では無謀なのだ。
彼女のさえずりのような声を最後に、新島は意識を手放す。
殺したければ殺せばいい。
もともと、死んだような腐った人生だったのだから。




