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2.決断

 佐戸は皮肉げな笑みを浮かべて、相手方を見た。

 黒いシルエットだけが立ち並ぶ。画面の向こうは、発言の度にそのシルエットが移り変わっていた。

 上層部のオンライン会議。佐戸はその場に呼ばれていた。

『彼にはしっかりと伝えたのだろうな?』

 パソコンで勝手に翻訳された言葉が、恐らくそのまま厭味ったらしいイントネーションをトレースして、日本語で発声される。

「仕事はこなします。どんな仕事でも」

『それでいい。君は必要なことだけをしていればいいのだ』

「戦争にほっぽりだされたのは自業自得だが、あんたらはいつも――」

 あのガキにも、この己にも、一体何を教え何を望んできた?

 しかし実際、後にも先にも口答えしたのはそれだけだった。

 言葉が悪かったと思ったのと、あまりに考えなしだったのと――息を継いだタイミングが悪かった。言葉が止まった隙を両手でこじ開けるような必死な声が、反乱因子を叩き潰していた。

『貴様の首は、いつでも刎ねることができるのだぞ』

 できるだけ強い言葉だった。それは社会的に、物理的にも同じ意味を持つのだろう。恐らく今この瞬間にも、己の部下を介してまるで映画のように奇跡的で小奇麗なヘッドショットをぶち込んでくることができる。

 たかがガキ一人に、ここまでするのだ。

 力もない、異人種ですら無い、今や左遷されてケチな女子寮の寮長として腐っている一人のガキを相手に。

 みんな笑顔で、手と手を繋いで――そんな平和など無理だ。

(お前が居るその組織が、そいつを望んでいないんだ)

 通信は一方的に切られた。恐らく、近日中に己の首は社会的に切られるのだろう。

「はっ、この俺が夜逃げの準備たあ……ったく、これで無職か」

 武器、弾薬の供給も出来なくなるだろう。必要にならなければ良いのだが――端末も新調し、念の為に衣服も新しいものを用意しよう。仮の名義、身分も自分で用意しなければならない。休暇を取れば怪しまれるから、仕事と平行して動かなければ。

 今の時点から監視されていると見てまず間違いない――このまま生きていくつもりならば、それらが必要だ。

 だが無用だろう。

 新島夕貴が選択するのは、遅くても明日の夕方だ。

 短くとも一週間。それだけの時間、仮初でも自由に動ければ充分なのだ。

 佐戸という男に付き纏う欲は、我儘と言えるほど無茶な願望を抱かせた。


     ❖❖❖


 ちょうどまったく同じ時間に、新島は瀬戸際に立たされていた。

 食料を買い忘れた朝を迎えたのだ。先日は色々あってアーニェたちに軟禁されてたし、その前の日には日持ちのしなさそうなものばかりだったので、いっそのこと全てを使って調理してしまった。

 あるとすればインスタントだが、それも人数分あるわけではない。いわば新島のおやつのようなものだ。それが二日分だから、つまりカップ麺は二つしかない。

 空腹に堪えかねた異人種たちは今や胃袋の大号令と共に欲望を満たすためだけの反乱を――。

「するわけないでしょ、なにぶつくさ言ってんの?」

 自分がただの馬鹿なのかと思うほど常識的なまでに買い足してきたカップ麺を啜る面々を見て、新島はにわかな安堵をした。

 誰よりも美味しそうにヌードルを食べるアーニェを見て何よりも安堵する。あの小さな口が耳の下ほどまで引き裂けて針ほど細い無数の牙がぐちゃぐちゃと誰かの頭部を咀嚼するイメージは、未だに払拭されないけれど。

 つい数分前まで指定の番号にダイヤルしかけていた手はポケットに突っ込まれて、その一、二分後に用意し忘れた朝食のことは頭からすっかり消えていて、突如としてその考えすらふっ飛ばすほど軍隊アリみたいにぞろぞろとやってきた約五名の寮生の食事風景に、新島夕貴は目を丸くする他なかったのだ。

 まるで心を読まれている。

 そう思った。

 佐戸から話を持ちかけられてもう一週間が経とうとする。律儀な青年にとって、話を受けてから返事を長引かせるのは苦痛以外の何物でもなかったし、まず話を聞かねば何も始まらないのはわかっているのに――しかしその分、自分がそれほど大切に思われていることを嬉しく思う。

 あのエルクでさえ、文句ひとつ言わずにヌードルを吸っているのだ。不器用な吸い方で、辺りに汁を飛び散らしている。その度に身をよじって悲鳴を上げるカナを、面白そうな顔でアーニェが眺めている。

 その桜色の肌が徐々に赤くなっていく。琴乃は心配そうな顔で、また驚愕に似た表情が恐怖に変わっていくような気配がある。せっかく慣れた異人種の変化に「警戒せよ」との本能が抑えきれないのだろう。

 一人だけさっさと食べ終えて片付けを済ませたユリは、ぱっからぱっから馬蹄を鳴らしてキッチンへと潜入する。

「おはよう」

「おはようございます、今日は皆さん早いんですね。日曜なのに」

「まあね。たまにはそんな日くらいあるわよ」

「たまのそんな日が、こんな日っていうのもなんですね」

 まったく要領の得ない返しだが、ニュアンスさえ伝われば幸いだ。

 改めて新島は携帯端末で番号をダイヤルする。

 止めもしないユリを伺いながら、端末を耳に押し当てた。

 辺りを見る。彼女らはヌードルを啜りながら、ユリに注目していた。

 電話の向こうから呼び出し音が聞こえてくる。

 ユリの固く締めた唇が、ゆっくりと開いた。

「一つだけ。あなたの決定を否定するつもりはないけれど、だけれど、あなたが得たものは何なのか……良く考えてほしいわ」

 言い終えた直後に、通信が繋がる音がした。

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