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5.解決

 次の日は、モン・ステア学園の中等部へ侵入した。

 性犯罪が目的なわけじゃないし、偏った性癖があるわけでもない。

 お題目は『モン・ステア学園の習熟度の確認』というものだ。突然来たのも、普段の授業を見学したいという要望でなんとか通った。

 いつぞやのスーツを身につけ、新島夕貴は適当な書類を片手に校舎内を歩く。

 退屈な半日が過ぎて、午後は異人種クラス。

 最後の授業を見学するのは一年ニ組で、担任教諭とは既に話が通じている。

 新島はクラスの後ろで、腕を組みながら授業内容を見学した。

 馬の、牛の、植物の、鳥の、天使の、軟体生物の――それらが人と、半分交じり合った形で姿を成す。無数の、と反射的に言ってしまいそうな大勢の幼い異人種が背を向け、授業に取り組んでいる。

 どことなくぎこちない様子は、緊張しているからなのだろう。

 本能的に、大勢が敵対すれば『何体』くらい斃せるだろうか……そういった算段をしかけて、小さく嘆息した。

 伊達眼鏡を押し上げて、理性を取り戻す。

 こんなトコロでバカな行動をすれば、自分の仇討ちもクソもなくなるだろう。

「それではこの問題を……ハルさん、できますか?」

「あっ……はい!」

 ホワイトボードの問題をノートに写していた鳥人の少女が、指名されて驚いたように背筋を伸ばす。

 鮮やかなライトグリーンの羽毛を持つ少女。髪は暗めの藍色で、ひょこひょこと歩いて教壇へ向かう。器用にペンを持ち、さらさらと数式を解いていく。

「はい、正解です。途中式がこれだと長くなってしまうので、公式を当てはめたほうが簡単ですよ。試験範囲ではないですが、みなさんも覚えておいたほうが良いですね」

「は、はい」

 彼女はたどたどしく頷いて、そのまま席に戻る。

 ハル・ハーピ。オーテ・ハーピ――今回の問題となっている男の愛娘だ。

 そうして授業が進み、授業の終わりを告げる鐘が鳴る。

 クラス担任と教科担当の教諭が入れ替わり、簡単な連絡事項の後、学生は忙しなく下校の準備をする。部活やクラブ、帰宅などに向かう者達の中、新島はハルへとにこやかな笑みを浮かべながら近づいた。


     ❖❖❖


 管理局に用意させたホテルに滞在して早くも一ヶ月が経過する。

 暗い藍色の髪をかきむしりながら、その室内を幾度も往復して、椅子に座り、また落ち着きなく立ち上がる。

 オーテ・ハーピはかれこれ三日近く眠れていない。その前の四日も、殆ど睡眠という睡眠はとれていなかった。

 食事も喉を通らない。

 理事長も、あまりに異変がなさすぎる。そのせいで現場の空気も緩み、勝手に抜け出す者が増えてきた。

 新島夕貴の問題提訴も動きが芳しく無いため、弱味に付け入るタイミングを逃したまま進展が無かった。

 最近は特に血尿と血便が目立っている。

 動くには、早すぎたのだろうか。

 何よりも――。

 オーテは携帯端末で、側近に連絡を取る。コール音がやんで通話状態になった途端に、叫ぶように問いかけた。

「ハルはまだ見つからないのかッ!」

 琥珀の瞳が充血して真っ赤になっている。

 かれこれ一週間、音信不通で消息不明だ。学校にも登校しておらず、学校側もそれを認識していても、問題として取り上げない。

 某国の王族であるオーテが直々に出向いても、まともに取り合ってくれない。

 わけがわからない。

 バカにされているのか。大げさな、ドッキリにでもかかっているのか。

 羽毛の先で無精髭を撫でながら、脂ぎった頭髪をなでつけるように掻き上げる。

 電話の向こうの男は、困ったような声で言った。

『申し訳ございません。通信機も何も、全てが遮断されているようで……目撃情報も、何も』

「この状況で誘拐事件などありえん! ジャスティンか、ニイジマを洗ったのか!」

『両者とも、不審な動きは見られておりません……ですが、そもそもニイジマに至っては事件直前まで目をつけておりませんでしたから、あるいは』

「ならば寮に特攻しろ!」

『ご無茶を……我々はまだゲストなので、管理局に過干渉する権利は』

「ふざけるな! まだ幼い身内が、この世界で、行方不明なのだぞ!」

 いきりたって怒鳴りつける。スピーカーが割れ、ノイズが走るのが自分でも聞こえる。

 それでもどうしようもない。胃に、穴が開きそうで――。

 ピンポン、と来客を告げる呼び鈴が鳴った。

 思わず、一瞬だけ心臓が停止した。

 オーテは反射的に息を止め、玄関を睨む。

 限りなく音を消すために通話を終えて様子を伺うと、再び呼び鈴が鳴った。

『おとうさん?』

 玄関の向こうから、聞き覚えのある声。

 床を蹴り飛ばし、脊髄反射で玄関までの距離を詰める。鍵を開け、扉を開ける。

 まず目に飛び込んだのは、スーツ姿の男だった。

 胡散臭い黒縁のメガネをかけた、ボサボサ頭の男。生真面目に表情を引き締めて――新島夕貴は、そこに居た。

「ただいま、お父さん。それと、ごめんなさい」

 今にも泣きそうな声で、可哀想なくらい縮こまっているハルは、地べたにつきそうなくらい頭を深くさげていた。

「すみません、オーテさん。私が寮へ遊びに誘ったのです。少し長居しすぎたようで」

「な、長居って……い、一週間、だぞ」

 愛娘が毒牙にかかった。

 銃口を突きつけた筈の敵が、気がつけば己の懐をナイフで刺していた。感覚的にはほとんどそんなもので、オーテにはこれを現実だと認識できない。

「わたしのせいなの。楽しいから、ずっと遊びたくて。最近はおとうさん、忙しそうだったし……」

 一歩間違えば非行に走るだろうと、新島は思った。

 いくらなんでも簡単に引っかかりすぎる。家庭環境の問題だとは思うが、もし相手が新島でなければ人生は終わっていたかもしれない。

「いえ、私が無理にでも帰していれば、ご迷惑をおかけしなかったでしょう」

「な、なぜ連絡の一つもよこさなかった……?」

「彼女の携帯端末の規格にあった充電器を持ち合わせていなかったのです」

「が、学園は……?」

「利発な娘さんですから、高等部の勉強を体験させてあげていたのです。良い刺激となればよかったのですが」

 新島はそれだけいうと、ニッと笑う。

「さぞかし大切に育てられたご息女でしょう。この世界もできるだけ安全を心がけていますが、それでも危険というものは身近にあります。どうか、お気をつけて」

「じゃあね、ニイジマさん。ありがとう、すごい楽しかったよ!」

「それは良かった。今度はお父さんと、一緒に遊びに来てね」

「うん!」

 ハルは満面の笑みでうなずき、オーテの後ろに回りこんで新島に手を振る。

「それでは」

 彼はハルに手を振り返しながら、会釈をして玄関を閉じた。

 それからしばらくして、オーテの端末に知らないアドレスからのメールが届く。

 題名も内容もなく、画像が一枚だけ添付されていた。

 恐る恐る開いてみると、そこには椅子に両手両足を縛られ、目隠し、猿ぐつわをされた愛娘の姿があり――。


     ❖❖❖


「オーテ・ハーピらが撤退したらしい」

 佐戸はこれでもかと砂糖を入れたコーヒーを啜りながら言った。

 その隣で、ふんふんと腕を組みながら、エルクが興味深げに頷く。

「何故だろうか」

 事情を知らない彼女は、不思議だ、と首を傾げる。オーテ・ハーピとは、エルクが言うにかつては特殊な政治体制を敷いて世界から注目されていた一国の主だそうだ。

「さあ、自分の国が忙しくなったんじゃないですか」

 すっかり溜飲の下がった新島は、ココアシガレットを齧りながら言う。

「ともあれ、これで僕の不祥事も取り下げってわけですかね」

 佐戸はそれでも、眉を寄せたまま、しかめっ面で新島を見る。

「お前のえげつない手腕はさておいて、という話があるんだが……俺が、その程度の報告でわざわざ出向くと思っているのか?」

「えげつない? 何をしたのよ?」

「まあまあ、それは一先ず置いときましょう」

 自分の紅茶をエルクへと差し出して話をそらす。彼女は腑に落ちないような表情ながらも、しっかりと紅茶を口に運んだ。

 そもそも向こうが下手を打ったのだ。

 打算的以上に、襲撃がまずかった。向こうの世界ではどうかわからないが、法治国家の抜け穴ですら無い。その先に網が張ってあるのも知らずに、突っ込んだのだ。

 新島が出なければ、いずれ国際的に裁かれていた可能性さえある。

 そう考えれば、ちょっとした制裁で済んだのは新島のおかげと言えるだろう。

「お前に、会いたいというのが居るらしい」

 佐戸は言いにくげにそう告げた。

「十年前の大戦の、お前の戦歴を見たことがきっかけだ」

「……勘弁、してくださいよ」

 思わず新島は、真面目な声で返していた。

 大戦――異人種と人間とが殺しあい、酷い被害を及ぼした完全に無益の戦争。

 十年前に終えた大戦は、その尾を引かせる暇も見せずに勢い良く異人種が世界に浸透していった。

「お前の夢を、叶えられるかもしれない」

 佐戸は言った。

「お前は、ここで終わるつもりなのか?」

 低い声色に、新島はそこに返す言葉を失う。

 かつての夢――自分さえも忘れていた、願望。

「ともかく、都合が良い日を連絡してくれ。お前がその気なら、いつでも良いと言っている」

 じゃあな、と佐戸は席を立って、見送りもなく寮を後にした。

 新島はしばらく、そこから動けないまま虚空を見ていた。

 エルクが声を掛けても、手を振っても反応も無い。

 男は虚空を見ていたが、その瞳は、記憶の残滓を追いかけていた。

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