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4.作戦開始

「なにこれ?」

 翌朝、ケンタウロスの女は食卓に並ぶ三本のニンジンを指さして確認した。

 侮辱ではなかろうか。上半身は、ものの見事に人であるのだから、ニンジンの生まれたままの姿はあまりにも、ひどすぎるではないか。

「三本でもニンジンですよ」

 頬がこけ、顔色はもはや青を通り越して真っ白になっている。

 それでも新島は、いつぞやよりも清々しい笑顔で料理を作っていた。

 次はカナの分。料理というか、生魚を皿に載せているだけなのだが。

 その奥に見える昆虫採集にでも使いそうな虫かごは、恐ろしすぎて目をそらしてしまうほどだ。

 機嫌が悪い――いや、逆だ。

 間逆なのだ。

 今の新島夕貴は、機嫌が良すぎる。

 一睡もしていない朝方のようなテンションで、彼は動いている。

 正気では無いのだ。

 だから、

「まあ、元気ならいいけどさ……」

 ちょっと、残念だった。

 ユリ・フォウリナーは少しくらい、自分に頼ってくれる彼をイメージしていた。ニンジンをかじりながら、横目で青年を見る。

 今の彼は、まるで助けなど要らぬほどハツラツとしている。何かが解決した、というよりは、解決に向かっているのだろう。パズルを楽しむ子供のようなその瞳は、ギラギラと恐ろしく輝いている。

「おはよーユリ」

 カサカサと音を立てて起きてきたのはアーニェだった。彼女は涎の跡を残したまま、寝ぼけているのかフロアライトを抱えたままだった。

 アレが出るのか、と思ってユリは腰を上げる。

「おはよ、アーニェ。悪いけど仕事があるから、あ、あたし先に行くわね」

「ん? うん、がんばってねー」

「ありがと、じゃね」

 彼女はそそくさと寮を後する。

 門の近くにまで轟く絶叫が耳につんざくのは、それから数秒後のことだった。


「ニージマさんひどい! なんの恨みがあって生きてる昆虫をっ!?」

「え、昆虫食べないんですか」

「調理された、佃煮とかは好きですけど……生というか、生きてるというか、命を実感する食べ物はダメですわ」

「人でも食べる人居ますけど」

「そりゃ好き好んで食べる人でしょう? 私、ただ佃煮が好きなだけで、昆虫はそこまで好きじゃありませんわよ。結果的に、共食いみたいなことにもなりますし」

 頬をふくらませて、アーニェはそのままテーブルで頬杖をつく。

 カナと琴乃が起きてきて朝食を食べている間もこの調子で、恐らく今日一日は機嫌が悪そうだな、と新島は覚悟する。

 覚悟しても、どのみち今日は寮を開けるのだ。

 今日だけではない。最低でも一週間、できる事なら一ヶ月、もし本気で相手を追い詰めるのならば、1年以上の時間が要る。

「それじゃあ、夕食はアーニェさんの好きなものにしておきますよ」

「む、虫は遠慮しますわ」

「オムライスですよ。好きでしたよね。バターをよく利かせたのが」

「ほ、ほんとですの?」

「それでアーニェさんが喜んでくれるなら、安いもんですよ」

 新島は微笑んでアーニェを見る。彼女の前で記していた帳簿も、先日の分は書き終わってしまった。特に収支がなかったから当然だ。

「ほんじゃ、行ってきますよ」

 重い腰を上げて、新島は椅子をテーブルにしまう。

 少し意外そうな顔をして、アーニェが訊いた。

「どこへお出かけ?」

「ちょっとお仕事です。なるべく早めに帰ってきますよ」


     ❖❖❖


 追い詰めているつもりなのだろう。

 丸一日、目標から付かず離れずの距離で監視している。二人組で、四ヶ所のポイントを確実に抑えて、行動を観察している。六時間に一度交代し、決して目が離れることはない。

 だからどうした、といったところだ。監視カメラと盗聴器をつけられていない良い証明となっていることともつゆ知らずに。

「無能晒してどうするつもりなんですかね」

「何か言ったか?」

 隣の黒服が、新島のぼやきを聞き咎めた。しっかりと耳に届いているだろうに聞き返してくるのは、暇に喘いで、理事長への悪態に乗っかろうという口なのだろう。

目標ターゲットですよ。ほとんど色欲で業務こなしてるみたいですよ」

「はは、らしいな。異人種に狂ってるって、この世界じゃ有名みたいだな。正直、人間で良かったと思ったのは今日ほど無いぜ」

 わざとらしく身を抱いて、身震いするように震えてみせた。

 新島は苦笑しながら、手にした双眼鏡を覗く。高い鉄柵から程近い公衆トイレの影。ベンチに腰掛けた二人は、作戦通りにジャスティン・バトラーの動向の監視をしていた。

 相方はノリノリの黒服だが、新島は黒のポロシャツに青いジーンズというラフな格好だ。

 スーツはかえって目立つぞと注意すれば、「なんか、すごいやる気がでるから」と男ははにかんで答えていた。

 ――この男の本来の相方は、たぶん今頃、思わぬ副収入で買い物にでも出かけていることだろう。日当五万で雇われているこの男たちは、全員下っ端の警察官である。警察であるのだが――誰一人として、新島に気づいていない。

 ソレばかりは、少しため息もつきたくなる。仲間が一人消えたこともそうだが、毎回問題ごとが起これば出向いているはずなのに。

「にしても、知ってます?」

「おう?」

 新島の意味深な問いかけに、男はここぞとばかりに食いついてくる。

「僕たち雇ってるトップですよ。なんだか、大変なことになってるそうで」

 どの業種にも、秘密厳守のルールはある。身内ではだいぶ緩くなるが、それでも生真面目な奴は口を閉ざす話題だ。

「ああ、聞いたことある。なんか、管理局にすげえ食い込んでるって話な――」


 お昼になり、人員が入れ替わる。

 新島は他のポイントに移動し、また一人と入れ替わった。警察官はどうやら本庁の人間ではなく、派出所などから派遣されている人間が多いらしい。

 そしてそれだけに、情報の取り扱いにも緩いのだ。

 口も緩い。頭も緩い。

 全体的に年齢層が低いので、話も弾む。

 気のせいレベルのうわさ話から、どこかに引っかかればモノになるのではないかというレベルのうわさ話まで、なんにせよ噂レベルから出られない情報だったが、この時点では充分なものだった。

「えーと、それで……後藤、だっけ?」

「ええ。なんです?」

「お前、どこの派出所から来てんの?」

「――駅前ですよ」

 ほんのすこしだけ緊張した。予定していた通りの答えを出して、短く息を吐く。

「へえ、でも後藤って、もう少しでっぷりした男だった筈じゃなかったかな。俺の記憶だと」

 男は試すような目つきで言った。

 新島は、それだけで理解する。

 今頃、適当な飲食店に居るだろう後藤には、口止めとして十万渡してある。ここで合流する前に後藤からちょっとした質問で相方の情報を聞き出していたが――少し、甘く見すぎていたようだ。

 男は白いシャツを少しまくり、ズボンのベルトに挟んだ自動拳銃を引きぬいた。

「誰だ、お前」

 ここで正体がバレるくらいなら、不審者として死んだほうがマシだった。

 新島は咄嗟に動く。

 突きつけられた銃口を掌底で撃ち上げ、一歩で距離を詰める。

 弾いた銃を相手の手ごと掴んで封じ、ポケットから拳銃を抜いて喉笛に突きつけた。

「今死にたいですか」

 かちり、と撃鉄を上げる。

 男は先ほどの鋭さを失い、惑う視線を新島の周囲に泳がせながら、小刻みに震え出す。

「黙っていれば、知らなければ良いということもたくさんある。あんたなりの正義感なんだろうが、そいつが仇になったようですね」

 男から拳銃を奪い取り、突き飛ばして距離をとる。

 マガジンを落として蹴り飛ばす。弧を描いて、どこかへと飛んでいった。

 残った拳銃を男の足元に投げ捨てて、ついでに懐から、夜間の監視の際に使う予定だった封筒を投げ捨てる。中身は十万で、これまでの男たち同様に口止め料として使用されてきたものだ。

「まったく、要らない出費で今日の仕事はこれでおしまいですよ。仕事が出来る人は、厄介だ」

「な、何者なんだ……お、お前は」

 踵を返した所で、彼の背に問いが投げられた。

 答えようか答えまいか数歩進んで考えた後、仕方なく立ち止まり、振り向いた。

「あんたは今日、後藤と一緒に他愛もない雑談をしながら仕事をした。この六時間の出来事は、これだけでいいんです。知りたがりは、寿命を縮めますよ」

 一つだけ心からの忠告。

 もし新島が本物のテロリストなら、先の肉薄で少なくとも無事で終わらせていない。

 言葉を失う男を尻目に、新島は寮を目指して歩き出す。

 一応は約束だ。アーニェにオムライスを作ってやって、今後はそれから考えよう。

 先の長い仇討ちは、まだ始まったばかりなのだから。

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