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3.男三人よればやかしましい

 どんどん! と早朝六時からコンテナハウスのドアを叩く姿があった。

 目を覚ましたのは新島で、なぜだかソファで眠りこけているエルクに首を傾げてから、ぼさぼさの頭のまま来客に応えた。

「はい、どちら様……ぁ?」

「どういうつもりなんだ?」

 ドアを開けた瞬間に、新島夕貴を構成する筋肉という筋肉が余すことなく硬直した。視線が目の前の男を捉え、理解と同時に感情が驚愕の一点へと収束する。

「さ、佐戸さんっ!?」

 細身のスーツ姿。清潔な短髪で揃え、無精髭を蓄える中年男性。顔つきは濃く、古い時代劇に出る俳優のような造形で、物腰は極めて無駄なく鋭かった。

「こ、こんな朝早くから、どうして……」

「知らんとは言わせん」

 ずいっと身を乗り出して、深く一歩踏み出した。足は容易くコンテナハウスへと侵入し、革靴の踵を鳴らしながら、どかっとベッドに腰を落とした。ソファのエルクに興味の一つも示さずに、追ってくるように来た新島を睨んだ。

「イヤ、ホント、まったくこれっぽっちも自覚と心当たりが無いんですが」

「一を聞いて十を知る新島のセリフとは思えんな」

「始めて言われましたよ。……まあ十中八九、昨夜のお客さんのことですかね」

 鳥人ハルピュイア――腕に翼を宿した異人種であり、飛行能力に特化した存在だ。最大飛行速度はマッハ五にまで至り、それに伴う戦闘能力は厄介の一言に尽きる。

「モン・ステア付属学園での問題は俺がなんとかした。お陰でジャスティンの首も皮一枚といったところだがな」

「ええ」

「だが昨夜、さっそく連絡が来たわけだ。『協働について直接連絡をとろうとしたところ、不遜を極めた態度にて半殺しの目にあった。ユウキ・ニイジマ管理局員について、真摯な対応を頂きたい』……七時間前の話だ」

 ほほう、と新島は唸る。仕事の早い連中だ。

「王族でしたっけ?」

「異世界の某国のな。自由に世界を飛び回り見聞を広めている王子様だとか」

「悪人より自由人バカが厄介な世界ですか」

「手前のものさしで考えるなってことだな――ともかく、だ。この問題は既に日本支部で会議が催されるほど大きくなっている。ソレが終わってすぐに来た訳だが……」

 きつく引き締めた表情を緩めて、目を薄く、口を歪めて嘆息した。

「お前が雇っているのか、この小娘は」

 顎でしゃくってエルクを示す。新島は頬を緩めて、照れるように笑った。

「いい娘ですよ。素直ですし、強いですし」

「どこで拾ってきたんだ?」

「ひどい! まるで良し悪しもしらない、ただの同情心だけでなんでも拾っちゃうような子供みたいに……」

「局員でないが、それに準じた行動に目をつけられている。目をつけているのは俺だけだがな」

「僕のこと、佐戸さんしか見てくれてないってことですかね」

「今では注目の的だ。一方的な制裁に気をつけろよ」

「皮肉なもんですなあ」

 苦笑して、エルクの肩を横に倒す。わずかに開いた隙間に身体をねじ込んで、新島はようやく腰を落ち着かせた。

「ま、だからって特別、普段なにかしてるわけでもないんですけどね」

「よく言う」

 佐戸は強面をくしゃくしゃにして笑う。ポケットからタバコの箱を取り出して、何かに気づいたようにまたポケットに戻した。

「吸わないんですか」

「灰皿、無いだろう」

「まあ、吸わないですしね」

 結局タバコに火をつけて、空になったタバコの箱のなかに灰を落とす。

 むせるような紫煙が、うすく室内にもやをかける。まるで作業的に紙巻を吸いながら、佐戸は言った。

「お前の立場は危うい」

「まあ、やっちまったみたいですからねえ」

「最初からだ」

「だから左遷されたんすかねえ……」

 胸いっぱいに吸い込んだ紫煙を、ゆっくりと口から吐き出す。くゆる煙が溶けこむようにして空気の中に消えていくのを、二人はぼんやりと見ていた。

「五年前のことが決定的だったのは確実でしょうが」

 五年前――言ってしまえば短く簡単なことだったが、その時ばかりは、地獄の日々だった。

 非難、冷遇、処断、緘口。様々な規制と誤った判断が事態を大きくし、あらゆる法的措置から逃れた結果、新島夕貴はこの街にたどり着いた。

 管理局という首輪は、その保護下でしか効力を示さない。新島夕貴管理局員として動けるのは、すなわちこの上下市だけなのだ。

 冷たい刑務所の中で過ごす事にならなかったのは、ひとえに佐戸のおかげであるのだが、しかしその引き金とも言える事態を招いたのも佐戸だった。

 真面目な男なのだ。今更、新島がそこを非難するつもりも何もない。

「どーしたんですか、そんな顔して。タバコ、嫌いならやめればいいじゃないですか」

「お前は底意地の悪いやつだな」

「いい年して、若輩者の一言で傷つかんでください」

「なら、古傷をナイフで抉るようなクセはやめろ」

「気心知れた仲じゃないですか」

「だから恐ろしいんだ」

 頬肉をひきつらせながら佐戸が言った。一度でも油断し付け入られれば、そのままじわじわと食い殺される。良くも悪くも、佐戸にとって新島のイメージはそういうものだった。

 タチが悪い。自分の手を噛んだ飼い犬が、狂犬病だったかのような気分だ。

「まあいつまでこんなこと言ってたって時間喰うだけです。佐戸さんにも仕事があるでしょうし」

「今日は休みだから来たんだが」

「……はあ?」

 しれっと告げる佐戸に、新島は顎を外したかのような大口を開いて間の抜けた声を上げる。

「休み? あるんですか?」

「九時五時で土日休み」

「今日土曜ですか?」

「水曜だ。有給をとった」

「僕、つい先日、休みのことで佐戸さんに怒られたばかりですが」

 あー、と気まずげに声を零し、

「所属と環境の違いだな。たとえば工場は年がら年中フル稼働しなければならないが、かといって本社の人間が休みなく働く必要もない。そういうことだ」

「何を量産すればいいんですか? 不祥事? 汚職?」

「いいから話を戻せ。だからお前とは、面突合せて話すのが嫌なんだ」

「……わかりましたよ」

 新島はうんざりしたように肩をすくめて、背もたれに寄りかかる。腕を伸ばせば、自然とエルクの肩を抱くようになった。それに気づいて、手を組み、腹の上に置き直す。

「それで、最悪どうなるんです?」

 あっけらかんと問う新島に、どこか頭痛を覚えるかのようにこめかみを抑えた。わかっているだろうに訊いてくるこの男は、せめてどこから本気なのか教えて欲しかった。

「処刑だ。死人は出ていないが、先日の傷害事件でボディーガードの一人が全治半年の大怪我を負った。張本人は一週間程度の打ち身だが、傍若無人な対応が悪かったな」

「そーすか。で? 向こうの訴えは?」

「出来レースの裁判沙汰。つまり最悪のケース一直線だ。今回のことが上手くいけば、やっこさんはこれからも管理局にでかい顔して入ってくるだろう。この仕事は、金と人が大きく動くからな」

「まあ、そんなトコでしょうな。学園に忍び込んだ理由も概ね想像がつくってもんです」

 連中はもとより大きな権力を有しているが、この世界では弱小国にも等しい知名度だ。異世界とこの世界はつながったことによって、つまり延長となって世界が広がったようなものになる。

 小国と言えども王族ならば軽く扱えるわけもなく、またその大袈裟なVIP待遇に味をしめてここまで来たというわけだ。

 学園に忍び込んだのは、そもそも今回のようなことを誘発させるため。

 それでダメだったから、今度は寮へとやってきたのだ。

 そこで下手をうった。

「誰が、とは言えん状況よなあ……」

 顔の筋肉全てを脱力させて、新島は隣のエルクを一瞥する。

 鬼畜戦士とは思えぬ穏やかな寝顔。静かな寝息は、時計の針が時を刻む音しかない空間に、良く目立っていた。

「やはり、そいつか」

「なにがです?」

 すっとぼけた顔で問う。

 苦虫を噛み潰したような苦渋の表情で、佐戸は彼を睨んだ。

「よくこの状況でそれが言えるなッ! ただの雇われ警備員の仕事にすれば、状況はまだ良い方向へ変わるんだぞ!?」

「矢面に立ったこいつに、抵抗する手段なんぞありませんよ」

「今のお前に、だったら、一体なにがあるんだ」

「モン・ステア学園の敷地に入るには、特定のIDでなければいけません。教員、生徒、そしてその他にスルーできる権力のある者」

 逆を言えば、その条件を満たしていれば自由にそこを出入りすることが出来る。

 先日の不法侵入の際、警報もセントリーガンも発動しなかったということは、正式な入場処理が行われたということだ。

 もっとも、学園の電源装置を遠隔的に破壊するくらいだから、それも欺瞞で済ましているのかもしれないが。

「学園の管理者が、不法侵入を照明出来ればいい。ただそれだけのことですよ」

 当事者であったジャスティンが証言すればいいのだ。

 いくら監視カメラもセンサもスルーしたからと言って、その目で見られればおしまいだ。新島の怪我とて、その証明となる。

「俺はこう見えても、お前の上司だ。この仕事に就いている限り、なんでも相談にのるぞ」

「助かります。それじゃさっそく、一緒に学園へ行ってもらえますか?」


「なんのことだ?」

 黒革のソファにふんぞり返った美形の男が、差別的なまでの見下した笑みを浮かべながらそう言った。

「しかしニイジマ、メガネが無いほうがスッキリしているな」

「いくらです」

 正面のソファに座った新島は、上肢を倒して膝に肘をつく。隣の佐戸は景気よく紫煙を吐き出し、コーヒーの空き缶に灰を落とした。

「私を買収しようと言うのかね。まさか、君が? 月収十八万円の、苦学生よろしく喘いでいるユウキ・ニイジマ局員が?」

「馬鹿言ってんじゃあないですよ。買収されたのは、どこの理事長サマですか」

 ふん、と男は鼻を鳴らす。

 優雅に足を組み直して、言った。

「私はな、ニイジマ」

「なんです」

 眉間にシワを寄せ、腿のホルスターに手を伸ばす新島は、定点カメラのようにジャスティンを捉えて離さない。もし次馬鹿げたことを言えば、容赦なく照準した眉間を、訓練用のゴム弾で撃ちぬくつもりだった。

「この身一つで、この街に住むモン・ステアの学生を守りぬく自信はない。戦闘能力に自負と自信はあるが、およそニ○○キロ平方メートルの土地の中の数千人を、たったひとりで、何の事件にも巻き込まずに済ませる算段はないのだよ」

 新島に合わせた視線を、ローテーブルに落とす。新島が寄越したミネラルウォーターのボトルが、結露を垂らして下を濡らしている。

 紫煙の匂い。

 独特の静寂。

 外からは、元気な学生の歓声。ブーイング。

「お陰で、といった所か」

 ふと、佐戸が言葉を漏らした。

 その一言で察したように、ジャスティンが頷く。

「現状、連中のニイジマへの過小評価は酷い。身内は絶大な怒りを買ってしまったようだが、今やノーマークと同然らしい」

「大将は動けないけれど、一度屠った雑魚は眼中にない……そういうわけですか」

「動きやすいだろう?」

「どう動けばいいんですか」

 嘆くように新島が言った。

 組んでいた足を解き、両足で床を踏みしめる。

 佐戸はフィルター近くまで灰になったタバコを空き缶に捨てて、それをローテーブルに置く。

「同じ事をしてやれよ」

 痩躯の男が言った。佐戸はタバコの香る吐息を新島に向けながら、静かに続けた。

「娘でも恋人でも、親でも親友でもいい。物理的に叩けないなら、精神的に追い詰めればいい」

「犯罪じゃないですか」

「何を言っているんだ、貴君は?」

 すました顔で、気品溢れる優雅な所作で頬を掻く。

 佐戸は口元を覆うようにして、笑みを隠した。

「先に手を出したのは、向こうだろうが」

 何気ない事実、決定的な真実、揺るぎない正当性。

 ひょんな一言が、暖まっていた新島の魂にいよいよ火を灯した。

「ああ……」

 そういえば、そうだった。

 打算的な考えが、悲劇を招くのだ。

 王族? 権力者? 立場が食われる?

 知ったことか。

 連中は知っていて――猛犬注意の看板を無視して、門を乗り越えたのだから。

「不肖、新島夕貴。恥ずかしながら、本気を出させて頂きます」

 第三女子寮の調停者が、本来の仕事を勤めようと動き出した。

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