2.夜襲
『貴君は貧弱なのだよ』
そういった電話をほとんど反射的に切った後、
『怪我? 休みたい? ふざけるな、病欠が出来る仕事だと思っているのか? なんのためにわざわざ、局から人員を割いてそこに送っていると思っているんだ』
佐戸への有給休暇をお願いするメールが、電話にて一蹴された。
エルクの見立てでは全治二週間の傷だ。もっとも、一日も寝ていればほとんど気にならない程度の痛みにはなったが。
「無理すれば傷口が開くわよ」
わざわざ離れにある管理人室にまで来て心配してくれる褐色の女は、片手に弁当箱を引っさげていた。
「さっき夕食済ませましたよね? 足りなかったんですか?」
「もう十年以上前に訓練期間は終わったわよね。今更鍛錬ですか?」
エルクは嫌味っぽく口元を歪ませていった。
上半身の衣服を脱いで天井の梁に捕まっていた新島は、短く息を吐きながらようやく床に立った。
「鍛錬に終わりもなにも無いさ」
湿ったシャツで汗を拭いながら新島が言う。
まゆをしかめながら、エルクはぶすっとベッドに腰掛けた。
管理人室は十畳のワンルームだ。コンテナハウスなので、特に飾りっけもないし、トイレも風呂もない。唯一電気が通っているので、冷蔵庫には飲料水がこれでもかと言うほどに保管されていた。
「僕はまだ未熟だ。久しぶりに動いてみれば、簡単に動きを読まれて追い込まれる始末だ。ジャスティン……理事長が居なければ、もっと重傷だったかもしれない」
「死んでいたってことは考えないの?」
「連中に殺されるほどヤワだとも思っているわけでね」
「自信過剰よ」
「自信がなさすぎるよりよっぽどいいさ」
エルクは肩を落とすように息を吐いて、新島の後ろにある壁際に追いやられたベッドに腰掛ける。足を放り出すように伸ばした。
「あんたに自信ってもんがあるの?」
ベッドの前にはソファ、ローテーブルがありノートパソコンが乗る。ソファの後ろにはぎっしりと書類が収まったファイルがスチール棚に押し込まれている。
相変わらずの部屋だ、と彼女は思う。久しぶりに訪れたし、最後に来た時にはもう少し色気を出してみるようアドバイスをしたつもりなのだが、何も変わっていない。
いっそ清々しいくらいだ。もしコンテナがひっくり返っても、まったく同じように戻してしまうことだろう。
「何が言いたいんだよ」
「全部お仕事で、やって当然できて当然って感じじゃないのよ。自信以前ってカンジ」
「仕事だからね」
「もっと人間的な部分を見たいもんだわ。あんた、異人種よりもズレてるところあるわよ。常識と良識でつじつま合わせしてるけど、自分自身納得行かないながらにやってることって、多いでしょ」
またお説教か、と新島は辟易した。ミネラルウォーターのボトルを開けて一息で飲み干すと、タンスから適当なポロシャツを出して着る。
生返事をしながらソファに腰を落とす。悲鳴を上げた腰骨が軋み、肉の奥がナイフに刺されたかのような鋭い痛みが走る。
「ほら、そーゆー弱味のこと。どんな身内だって、絶対弱いところ見せないでしょ」
「嬉しい?」
「は、はあっ? な、なんでよっ!」
「いや、特に意味とか理由はないけど」
ばっ、と立ち上がり新島を睨む。冷めた表情で彼女を見れば、徐々に耳を赤くしながらベッドに座り直す。
「ともかく、本題一」
エルクは言いながら弁当箱を新島に投げつけた。
彼は一もニもなく包みを解いて蓋を開ける。
「うわお……質素だね」
色味のないアルミの弁当箱にはご飯が敷き詰められており、そこに妙な色味のふりかけがかかっている。それだけだった。
いかにも肉々しいおかずや油の匂いが染み付いたおかずも何もない。
「ん……?」
こん、とどこからか音がした。それを聞き咎めたエルクは窓の方へと顔を向けようとして、
「おお、意外と味がまともだ!」
一気にごはんを頬張った新島に驚き、目を丸くした。
「そ、そんな食欲を駆り立てるようなモンだったわけ?」
「そんなモンを自信満々に持ってきたわけですか」
「いちおう、傷に良く効く薬草を配合したものでね。炭水化物と一緒にとることで吸収率が高くなるわけよ」
「へー」
もぐもぐと話を聞き流しながら僅か一、二分で弁当箱を空にした。
つい二時間ほど前に夕食を終えたばかりだ。これだけで、いくら成人男性と言えども胃の容量の限界を超えかねない。
「うぷ……ちょっと、腹ごなしに外出てくるね」
「食べてすぐは体に良くないわ」
そう言われながらも、新島は言葉を無視して立ち上がる。その瞬間に、視界が揺らいだ。平衡感覚が狂い、身体が大きく傾いて尻がソファに沈み込む。
「なにやってんの、食べてすぐ横になると牛さんになるわよー?」
「ね、寝ないさ……それに、今日、お客さんがくる予定なんだ……寝て、なんか――」
言葉は弱々しく、後押しとばかりにまぶたを落としてやると、新島はそのまま呆気無く眠りに落ちた。
彼女が薬草に混ぜた、劇薬レベルの睡眠導入剤の効果である。異世界由来の、違法薬物にも使われる薬草だ。わずか一グラムで、成人男性を一分足らずで眠らせる。効果はおよそ半日続き、ヘタすれば数日間は寝たきりだ。
傷に良く効く――いくら仕事であれ、傷を癒すには休むのが一番の薬だ。彼女が企んだのはそれが一つで、
「お客の相手は、あたしがしてやんわよ」
こいつばかりに負担させられないという心配が、もう一つだった。
「くく、なかなか出て来ませんなあ?」
寮の門前で、異形の影が抑えられぬ笑いを漏らしながら言う。
「はん、ビビってんだろ。なにせ手負いの上、寮を人質に取られたとあっちゃあ」
腕を翼にする男が上ずる声で漏らす。
その鳥目でさえ、次の瞬間を捉えていた。
突如として鉄門の上から飛び出してくる影。それは頭上の満月に大きなシルエットを残して、背後に着地した。どさり、と大袈裟な音を立てて現れる。
「おい、何してんの? あんたらは」
月光に照らされる褐色の肌。きつく締め付けたボンデージの上からでもわかる細い線。だというのにその存在を主張する豊満な胸。
屈強な筋肉など決して無い――筈なのだが、その女は獲物を片手で構えていた。
およそ規格というものを無視した長大なる刀。彼女の数倍はあろうかという刀身に、その半分はあろうかという柄。
重量にしてゆうに三○○キロには及ぶだろう鉄塊は、月明かりに刃を照らし、見ただけで背筋を凍らせるほどの冴えを見せた。
「な……ん、誰だ、お前は!」
「お前らかよ、あいつを怪我させたのは」
「……っ、ちょ、調子に乗るなよ! お、おれたちの仲間は、すでに寮の中で寮生を人質に――」
言葉のさなかに、エルクはひょいっと後ろに飛び退く。着地と同時に何かを踏んで、蹴り飛ばした。
鈍く聞こえる喘ぎ。ノイズのような喘鳴。近づけば香る鮮血。
顔の穴という穴から血を垂れ流す鳥人は、その金髪を赤く染めて地面に這いつくばっていた。
「同じ事を二度も言わせるなよ」
刃よりも尚鋭い視線が、瞬間、男たちの眉間を射抜いた。
恐怖を、肌よりも先に脳に刻み込む。男たちは泡を食い、関節を失ったかのようなぎこちない動きで後ろへ引いていく。
「人間が手を出せば問題だろうが……あたしらの喧嘩じゃ、警察すら動かねーわよ」
「け、警察は」
背中の筋肉が唸る。ぷちぷちと力を込めた腕の筋肉が膨れ上がる。
尋常でない膂力で一刀の鉄塊が咆哮を上げる。甲高い異音が虚空に弾け、凄まじい炸裂音が空間を揺らした。
大地に破壊の線条が迸る。
エルクの足元の地面が爆ぜ、コンクリートの地面に長い亀裂が一直線に伸びる。
破壊の衝撃が、暴風となって鳥人たちに襲いかかった。二人は瞬間的な破壊の残滓に飲み込まれて吹き飛び、その身を鉄門にたたきつける。砕けた地面の礫が全身を打ち、皮膚が裂け、肉が断裂する。
「二度とこの街を歩かせない」
「ヒィッ!」
刀の切っ先が敵を捉えるよりも早く、二人は、重傷の一人を抱えて空高く飛び去っていく。さながら夕焼けに飛んでいくウミネコのようなシルエットは、決して穏やかなものではなかったが。
「あのバカ……どんな恨み、買ってんのよ」
短く息を吐きながら刀を手放す。捨てられたそれはそのまま地面に吸い込まれるように落ち、叩きつけられる瞬間に開いた穴の中へと消えていった。
疲れ一つ、傷一つないエルクはまた門をひとっ飛びで飛び越えて寮へと戻っていく。
あとは新島を布団に寝かせてやって、今夜は彼のために寝ずの番をしなければならないだろう。
「まったく、一人の仕事量じゃないでしょ、これ」
今まで、どうやって仕事をこなしていたのだろう。
いくら新島とはいえ、不可能なのに。
信頼や親愛よりも、この街での仕事ぶりを知れば知るほどに謎が深まっていく。寮内でも一番長いつもりなのだが。
彼女はどこか呆れたように嘆息して、コンテナハウスへと戻っていく。
絶対に仕事をこなしてやる。そう強く、胸の中で抱きながら。




