5.異質の一幕
アーニェを迎えに行ったのは、ちょうど混むお昼時を少し過ぎた頃だった。
彼女は空になったパフェの容器を前に本を読んでいて、その正面に腰掛けた新島に気づかぬまましばらくそうしていた。
彼は携帯電話を取り、メールを確認する。仕事用の端末にはジャスティンからさっそくメールが届いており、
『貴君もそろそろ装備を新調したほうが良いのではないかね?』
との心配事が書かれていた。
ついさっきの出来事があったのに、大したものだ、と思う。
『定期的にメンテしてるんで問題はないです。やっぱり、同じものでも、使い慣れた物の方が良いんで』
新島も、この後に返信してくるだろうふざけた態度を予想しながらも、大人になってそう返した。
そしてまた、事実でもある。
狙撃銃、散弾銃、自動小銃、短機関銃……あらゆる装備を使う機会があるが、一週間の内にそれらをしっかり点検する機会を設けている。あまり種類が多いとは言えないものばかりだが、昔から使っているものだ。軍からくすねたものもある。
「ん……」
私用の携帯に、メールが届いていた。
珍しいことだ。
私用は連絡先を交換している相手が極めて少ないのだ。その中で、メールを寄越してくる相手など。
「琴乃……?」
読んでみると、なんだか要領を得ない、遠回しすぎる上に言い訳がましい文章の羅列が画面をうめつくし、内容が全く頭に入ってこない。
苦労して要約すると、
『昨日の今日で申し訳ないのですが、今日遊びに行っても大丈夫でしょうか?』
ということだった。
『こっちは気にしないで、好きに遊んで来ても大丈夫だよ。ただ遅くなる時に一報くれれば、わざわざ許可を貰わなくてもいいんだけどね』
簡単にそう送信して、短く息を吐く。
ひとまず今日の仕事は終わりだ。あの書類を理事長が適切に管理さえしてくれれば問題はない。
「はあ」
大きくため息をつく。
びくっ! と肩を弾ませたアーニェが慌てて本を閉じて顔を上げる。ようやく新島の姿を見つけたものの、いつもとは違う雰囲気の彼に戸惑って、きょろきょろと辺りを見渡した。
「今日は疲れましたよ、アーニェさん」
いつものことながら、だが。いつものことだから堪えられるというわけではない。
つまらないわけではない。楽しい時もある。だが最終的に疲れるのだ。
なぜ自分が、だとか、どうしてこんな目に、だなんてことは思わない。自分が選んできた道だが――なんでアイツ何だ、とは思う。これもめぐり合わせか。狭い選択肢の結果か。
「お疲れ様、新島さん」
「最近はアレイさん、出ないですね」
「平和ゆえにですわ」
「良いことですね」
ええ、とうなずき、アーニェはお冷を一口含む。こくり、と喉が鳴り、すぼめた口から色っぽく息を吐いた。
「これが正しい世界なのか。順当な輪廻の末にたどり着く過程で、まだこの先に何かがあるのか。正しいって、なんですか。僕は……」
「ごビョーキですか」
「いつものことです」
疲れた顔で微笑んでみる。表情筋がひきつって、頬がぴくぴくと痙攣した。
何か、逃した気がする。いつもなら無い何かを、見落としてしまったはずがする。気がつくべき何かを一瞥し、そのまま忘れてしまった気がする。
いつもならば疑問にすら思わない些細な何か。
学園のことか、街のことか、己のことか、わからない――そんな自分が、管理局員としてまともに仕事が出来るのだろうか。
わからない。わからないなりに、頑張るしか無い。
頑張って、その結果は出るだろうか。
理事長の地位には立てず、ジャスティンの戦闘能力には至れない。
佐戸の居る支部勤務になることは、恐らく無いだろう。
レナードのように希望の仕事に就くことも、多分無い。
自分はおそらく、これから飽きるほどこの街の防衛のために尽力することになる。
戦力としては微々たるもので、いずれ抑止力としての意義も薄れてくる。
自分を駆動させることもままならず、年甲斐もなく悩みを重ねて、知らぬふりで過ごしていくのだろう。
わからない。何もわからない。
自分が何にけつまずき、何に悩んでいるのかもわからない。
何かが引っかかっている――それだけが、釈然としない。
もう一度理事長室へ戻るべきか、一先ず帰って杞憂だと笑うべきか。
「新島さん、帰らないの?」
既に席から立ち上がって真横に立つアーニェが、新島の袖を引っ張る。
「ああ……そうですね」
何かがあっても、少なくともここには理事長が居る。
なんでも防犯システムは、特殊部隊ですら侵入することが出来ない強力なものなのだそうだ。
街の方には警察がいる。いざとなれば新島の一言で自衛隊に準ずる対テロ部隊が動き出す。
気のせいだ。新島は笑い、腰を上げる。
「アーニェさん、今夜は何か食べたいものでもありますか?」
仕事が終われば、また次の仕事だ。悩む暇など、ありはしない。
そうして彼ら、彼女らの日常はどこまでも地続きで伸びていく。
悩まず、笑って過ごせば世は事もなし。
この世界は、そういう風に出来始めている。




