4.反省の一幕
「やーっとお昼だよー」
授業終了のチャイムが鳴り、教師が退散して、ようやく全身から力を抜いて机に突っ伏した。桜田琴乃はそのまま手を垂らして、机脇に引っ掛けておいたバッグから財布を取り出す。
「コトノー、一緒に食堂いこーよ」
二人の友人が彼女の机まで集まってきて誘いをかける。活発そうな明るい髪の少女と、おっとりした長い黒髪が艶やかな少女だ。
「うん。今日は何を食べよっかなあ?」
そんな、学園だけはうきうき気分で、彼女は何も知らずに食堂へ向かった。
「げえッ!?」
だからそんな声を上げる羽目になった。
食堂は異人種も人間も共用のスペースとなっている。そのため、そこいらの繁華街にある店よりも遥かに広く、どちらかといえばフードコートのような場所になっている。いくつもの机が並び、そこに各自がお盆を持って腰を掛ける。
料理は各々が食券を購入し、それをカウンターに出すことで食堂のおばちゃんが料理を提供してくれる仕組みになっている。行儀よく、誰でもしっかりと列を成す。行儀がよいものだ、と琴乃はいつも感心しているのだが。
今回ばかりは、そこに意識がいかない。
窓際から、テラス席に出ることが出来る。その手前、ガラス際の席に目立つ姿を見た。
特大のパフェを満面の笑顔で食べているアーニェの姿だ。どこから湧いたか、その正面にはカナの姿もある。
いや、どちらかと言えばアーニェの方だ。不登校のくせに、なぜ堂々と学園の食堂でパフェを食べられるのだ。
というかパフェなんてあったんだ。
「どうしたの?」
「え? あ、いや……べ、別に?」
白々しいまでの態度だが、それゆえに深く踏み込んでくることはない。二人は顔を見合わせて首をかしげながら、長蛇の列へと並んでいった。琴乃もそれに続き、思わず握りしめてぐしゃぐしゃになったカツ丼の食券を丁寧に伸ばす。
「あ、あのさ」
「んー?」
ペットボトルに口をつけた明るい髪の少女が振り返る。
「い、異人さんって、どう思う?」
「えー、今更その質問? 入学して二年目でしょ?」
「だ、だってえ」
「まあ、コトちゃんって苦手ちゃんだもんねえ」
と言うのは、黒髪の少女だ。いたずらっぽく、手で口元を隠して半眼で彼女を見ている。
「なに? 気になる人がいるの?」
「そ、そーゆーワケじゃないの。ただ、最近身近に同性の異人さんが居てね? 向こうはすごく好意的に接してくれるのに、どうしてもなんていうか、反射的に怖がっちゃって」
「それは失礼だね。悪いとかそういうのはアレだけど、あからさまにそういう態度はダメだよ」
おっとりした少女は、毅然とした態度で注意した。
まあまあ、ともう一人がそんな彼女を抑えながら、「んー」と食券の角を唇に当てながら考える。
「別に悪い人じゃないんだよね? 見た目が苦手なだけで」
まさか同じ寮に住んでいるとは言えず、曖昧な返事でこっくりと頷く。
もっとも親しい友人の二人だが、施設を抜けだして寮に拾われたことを言っていない。そもそも施設住まいであったことも言っていない。アルバイトをしていることは言っていたが、今ではバックれてもう続いていないことも、言っていない。
それなのに、なんて図々しいのだろうか、と改めて思う。
「じゃあ、コトノも頑張らなきゃ」
言いながら、琴乃のツーサイドアップを掴んでぐっと引っ張る。
「ちょ、痛いよぉ」
「もう同じ世界で過ごしてる同じ人たちなんだから、コトノも頑張ろ? ね?」
「う、うん……」
「それじゃー今日ガッコ終わったら、繁華街の方に遊びにいかない?」
「いいねえ」
乗っかる少女に、琴乃はたじろいだ。最近は確かにあまり遊んでいなかったが、昨日の今日でまさか管理人手伝いの肩書きを素知らぬフリして遊んで帰ることなど出来ない。
「用があるかもしれないから、家に連絡してみるね」
「オッケ」
程なくして三人の食事が手元に渡り、出口に程近い席に落ち着く。
神の恩恵か、なんとかアーニェらに気づかれること無く、琴乃は昼休みを終えることに成功した。
「……セントリーガンを追加で十門?」
新島の言葉に、壁を背に逆立ちをしていたジャスティンがぴくりと反応する。大きく腕を曲げて床を弾く。そのまま弧を描くようにして、綺麗な着地を見せた。
「必要だと思うのだがね」
呼吸一つ乱さないジャスティンが言った。
「いや、私のためではないよ。私はつい最近ようやく異人種たちが持つ術について理解し、身に付けることに成功したし」
「あなたはくだらないジョークを言う性格ではないと思っていましたが」
「これをジョークとはナンセンスだね、君。君ナンセンスだね?」
びし! と手のひらを見せるように構える。もう片手は、腰際まで引き、指先までピンと伸ばされていた。
「ケンポーのようですね」
「手からこう、ずばん! と衝撃が放つことができるのだよ」
狂ってる。
そう思いながら、セントリーガンの追加注文の書類をぐしゃぐしゃに丸めて投げ捨てる。
いくらすると思っているのだろう。弾薬、消費電力、それに伴う様々なセンサ類などの設備、点検、部品の交換など――維持費だけで、今のが限界だというのに。
次は特殊部隊についての書類が数枚。これについては黙認するほかない。正直無駄だとは思うが、事件が起こってからでは遅いのだ。それから有用性を見る他無いのが、悲しき事実である。
「いくぞ伍長、見ていたまえ」
言いながら、僅かの腰を落として構えていた右腕を引く。要領としては正拳突きのソレだった。
後ろに引いた足で地面を蹴り、その衝撃、体重移動を流麗なまでに前へと移動させる。腰を捻り、右腕が突き出され、虚空に掌底を穿つ。
瞬間、空間の空気の流れが突如として変わった。轟と唸る大気が、ジャスティンの掌底が穿った先へと奔流を作った。
瀑布となった空気の流れが机をひっくり返し、その向こう側の窓ガラスを粉々に砕いていった。
「……な、ん」
新島は目を丸くした。
部屋の中に散乱した書類など、もはやどうでもよくなってくる。
「なにを、したんです」
「ちょっとした術さ。力を抜いたが、撃流と呼ばれる技だ。一般的な術式とは異なり、体内で生成するエネルギーを体外へ放出させる、いわゆる気功の一種と見てもらってもいい」
頭からっぽの方があらゆるものを詰め込めるのだろう。
「ひどく疲れるのが難点だ」
「どれくらいです?」
「とても重いものを持った時のようだな」
いっそ純粋過ぎるバカのほうが、こういった戯言も本気になってまっすぐに頑張れて、その末に冗談を真実にしてしまう力を持つのかもしれない。
「貴君はあのケンタウロスに聞かなかったのかい」
「ケンタウロスって、ユリさん、ですか?」
重くなった腰を上げ、大きく息を吐く。
ジャスティンは新島より先に書類を拾い始めながら、言葉を続けた。
「正しい知識と清純な理解があれば、誰でも術は使えるのさ。ま、貴君には、そして現世代の人類には無理なことだろうがね。あまりにも常識的すぎるからさ」
「既知の範囲外に居る方の説明はいつでも難解です」
「私がキチ○イだと?」
「自覚があるならそうなんでしょう」
拾い上げた書類の枚数を数えながら、テーブルに載せる。ジャスティンが下手に几帳面な性格だったおかげで、揃えやすくなっている。ページの下に、しっかりとページ数が記されているからだ。
「ともあれ、どうやら貴君は未だにケンタウロスに苦手意識を抱いているらしい」
「そんなわけないでしょう」
「彼女らは希少であるが故に数少なく、そして強力な種族だ。あの大戦に参加していれば、誰でも否応なしにトラウマになる。最前線――およそ最強とまで言わしめたユニットが、私の、貴君の、上官を、部下を、同僚を」
「くだらない」
新島は吐き捨てる。
粉々になったガラスを窓の向こうに蹴り掃いて、ベランダにまで落ちた書類を拾う。
部屋に戻り、ソファに座る。ジャスティンは彼と同じ量を拾い、順番通りに揃え始めていた。
いつでも、一歩だけ先にいる。
やっぱりこの男は、嫌いだ。
「終わった話を蒸し返して楽しい事なんてありませんよ」
「だからいつまでも気持ちにケリをつけられない。嫌だから振り返らず、振り返らないから清算が出来ない。俗物特有の愚かさかね」
「あんたにはわかった話じゃないでしょう」
苛立つように告げる。もう終わりにしろ、と言外に意味を込めたのだが、
「ならば何故、私がここにいるのだと思う?」
このバカには、通じないようだ。
書類をまとめて、新島に突き返す。彼もようやくまとめ終えて、それを上に重ねた。
「これでも腐れ縁程度の関係はあるのだと思うがね」
怒鳴りつけてやろう。そう思って顔を上げると、じっと彼の顔を見つめているジャスティンがあった。純粋過ぎる少年のような、老獪な男のような、酸いも甘いも噛み分け吐き捨てたグレーの瞳。新島には、その意図に触れられない。
「それとも軍曹に愚痴るかね? レナード・オースティン軍曹へ」
「あの人には、迷惑はかけられない」
「ならば私には大丈夫だ、と?」
「あんたはまともじゃない」
「お言葉だが、そいつは貴君も該当するのではないかね」
あくまで穏やかに、決して怒りの真髄に達すること無くジャスティンが返す。
新島は視線を落とし、書類へと目を向ける。紙をめくり、問題がないか文書を読み進める。気になった箇所に赤ペンでチェックを入れ、まとめる。次の書類は問題なく、さっきの書類とは別にしてまとめる。
「正味なところ、壁になって立ちはだかる問題ほど、解決しなくてもいいものだと私は思うのだよ」
胸からペンを抜き、赤ペンでなぞられた部分を書き換える。それを書類の山に戻した。
「特に貴君のような器用な男はな。正しい対処と、正しい理解がある。壁も隔てもなく、悩みも影もなく清々しく生きていられる人間など居ない。もう三十近い男が、そんな葛藤など女々しいにも程があるしな」
「まだ二五ですよ」
「奇遇だな。私はニ七だ。明日の五月ニ八日は私の誕生日だが」
「だから呼んだんですか?」
「貴君からの祝いなど期待しておらんよ」
気取った言い方で、足を組み直す。
書き換えられた文章は、そもそもこちらが本来書かれているべきものだったのではないかと言うほどに正しかった。
新島は顔をしかめながら、書類をまとめる。
それから無言のまま一時間が経過して、ようやくその作業は終了した。訂正と質問、そして却下と反論の応酬は、思ったよりもずっと少なかった。
「特に問題はなさそうですね。防犯・防衛システムを異人種の教員に頼っている件ですが……」
「それについては概ね問題ない」
胸を張るようにジャスティンが答えた。
「それらを除いたシステムでも、私が待機させている特殊部隊すら突破することは難しかった。それに時間さえかければ、応援が来るだろう。確実ではないし、仮に何もなくても、私が居る。この血、肉、魂に賭けて、我が学園の生徒に指一本たりとも触れさせはせんよ」
「心強いことです」
新島は短く息を吐いて、そう言った。
立ち上がり、鈍痛が走る腰を撫でる。同時に、からっぽの胃が空腹を訴えるようにがなりたてた。
「理事長」
「なんだね」
座ったまま、顔を上げて新島を見る。
手には紙巻が摘まれていて、オイルライターは火が灯っていた。
「今夜、一緒に飯でもいかがですか」
「はん」
鼻を鳴らし、タバコを咥え、一気に煙を呷る。口からどす黒く見える紫煙を吐き出しながら、新島を半眼で見やった。
「何が楽しいのだね」
「だからあんたは嫌いなんだよ」
噛み締めた歯を剥いて、色男へと中指を突き立てる。
ジャスティンはまた鼻を鳴らし、のけぞった。ソファの背もたれに身体を預け、優雅に足まで組みなおしてみせる。細身には見余る活動的な性格、変態的な戦闘能力。ついに人外の領域にまで足を踏み入れた男は、横柄な態度で悪態をついた。
「私は食事がしたいのであって、嫌味が聞きたいわけではないのだがね」
「あんたが言わせるような態度をとるからだ」
「貴君は酷くひねくれている。性格の悪さを、常識と良識に上手く混ぜているからタチが悪い」
「だから友だちが少ないんですよ」
「貴君もだろう」
「……っ――何かあれば、また連絡を寄越してください。僕はこれで、失礼します」
もはや反論など出来ない。自分がどれほど幼稚であるかを、言葉が続けば続くほど認めさせられてしまう。
自分が出来た人間だとは思わないが、だからといってジャスティンに否定されることほどプライドの傷つくことはない。
新島は大股で出口へと向かう。どうせならラフな格好で来ればよかった、と今更になって考えた時、
「ニイジマ伍長、待ちたまえ」
後ろで立ち上がる気配とともに、声が掛かる。
振り向く前に、言葉が継いだ。
「アーニェちゃんは、まだ来ないのかね」
ドアを蹴り開けて、力任せに叩きつけるようにドアを締める。けたたましい音が響き、余韻が静寂を震わせた。
我ながらみっともない。そう思いながらも、理不尽なまでに湧き上がる嫌悪感と怒りを抑えることは出来なかった。




