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3.油断の一幕

「すげー何あれ」

「お、マジだ。セキュポじゃね」

「なにそれ」

「セキュリティポリス」

 一周ニ○○メートル程度のグラウンドを走りながら話す二人は、そのまま教員の前を通りかかり、

「あんたらさ、せめてセンセーの前では真面目ぶるとかしなさいよ。ほら私語やめて、ラスト一周行って来なさい」

 そう注意され、照れたように苦笑しながら走り去っていく。

 ユリ・フォウリナーは短く息を吐いて、改めて生徒たちが話題にしていた人影へと視線を移す。

「……なんつうか、すごい目立つわねえ」

 基本的に生徒は異人種と人間とで分けられるものの、慢性的な教員不足ゆえに教員に関しては余すこと無くそれぞれの教科を担当している者が行なっている。突発的な欠員には非常勤や大学の教授なども駆り出されることもある。

「や、お仕事頑張ってますね」

 相変わらずの伊達眼鏡に、伊達男然としたラインが入ったスーツ姿。かっちりとした肩幅に、ダブルの背広ということから、どこか只者ではない雰囲気があふれている。

 その隣には、彼と同じ程の身長の大蜘蛛。これほど目立つ組み合わせもないものだ。

 どちらかと言えば、まるでアーニェの方に本題があって来ているように見える。

「ええ……あんたは?」

「これから設備の点検と防犯システムの現状についてちょっとお話を。最近は、ここいらで物騒なことがあるみたいですから」

「……理事長の頭で足りるのかな、その話」

「いちおう専属の技師とエンジニアには先に話が終わってるんで、問題はないでしょう。後は理事長に許可もらったりするだけですし」

 それに、とニヤニヤしながらジャージ姿のユリを見る。馬の肢体にはショートパンツを履かせている。片手には書類を挟んだクリップファイルがあり、いかにもな教師の出で立ちである。

「ま、ユリさんが最大の防犯システムですけどね」

「下手すりゃ生徒より先に帰る防犯システムも大概だわね」

 腰に手を当てながら、やれやれと肩をすくめる。そんな彼女に苦笑しながら、新島は言った。

「そこが非常勤の辛いとこですね。でも、これほどのクラスなら毎日体育くらいあるんじゃないですか?」

「つったって、あたしが全部引き受けてるわけでもないしー。あっても精々一日二時間くらいなもんで、明日なんか休みよ」

「正味六割ってとこですかね」

「何が?」

 突拍子もない言葉に、ユリは首を傾げた。

「実質的な、この学園の防犯システム。異人種講師の戦闘能力に頼ってるフシもありますし……よく話し合っておきますよ」

 新島は校舎を見上げるようにして言う。

 お城のような外観。正面玄関は広く、その上には大げさなほどにステンドグラスが埋め込まれている。

 屋根は塔のように尖っているし、そこからテラスのように展開する構造がある。

 校舎は縦に二つならび、テラスから外廊下につながり、そこから特別教室棟へと渡り廊下が伸びている。

 大きな体育館も、プールも、学食、売店なども揃う学園だ。中学、高校は内部構造で分かれているが、校舎自体は共有。

 大学は別の敷地にあり、ここだけでも本来の学校のニ、三倍はあろう広さを有している。

「皆さんが安全に過ごせるよう、僕がしっかり管理しておきます」

 にこやかな笑顔を見せる新島に、ユリは深々とため息を吐き捨てた。

「恩着せがましいやつ」

「はは、良く言われます」

 苦笑しながら、新島は頭を掻く。

 夢中になってあたりを眺めていたアーニェは、やがて彼の袖を引っ張って意識を促した。

「まだ行かないの?」

「そろそろ行きますよ。そういえばアーニェさんて、理事長に会ったことありましたっけ?」

「うーん……入学の時に見たことあるけど、思い出せないのですわ」

「残念な記憶力だ」

 ぽん、と肩を叩いて校舎へと身体を向ける。

「それじゃ、引き続きご指導の方をがんばってください」

「はいはい。そんじゃね」

 投げやりに言って、笑顔で手を振ってくる無邪気なアーニェへ手を振り返してから、グラウンドへと向き直る。

 立ち止まりその様子を眺めていた生徒たちに、そのままの意味で稲妻が落ちたのは、まもなくの事だった。


 予定された十一時きっかしに、理事長室の扉を開ける。ノックをしないのは、恐らく返事がないだろうと考えての事だった。

「失礼しますよ、理事長」

 校舎内を外観だけひと通り回って、売店で買ったパンで軽く腹ごしらえ。そのまま食堂の調理師の中年女性にアーニェを任せ、新島はホームルーム棟一階から渡り廊下で繋がる別館へ。

 二階部分には職員室、三階には各教科の資料室があり、一階には理事長室、隣接する部屋には緊急時以外立ち入り禁止の開かずの間がある。

 基本的に、学生たちがここに立ち寄ることはない。教員との連絡も、殆どは学園で支給される専用端末からイントラネットにアクセスし、行えるからだ。

「それは事前に言うことではないのかね、伍長」

 いやみったらしい粘りつくような言い方で、男が返した。

「事後ではないか、今は、どうみても。君はそう思わないのかね? いや、思うはずだ」

「だったら返事くらいしてみろって思うところですがね。毎度毎度、どうして数ヶ月にいっぺんしか合わないのに、そう嫌がらせができるものですか」

 広い理事長室は、一歩中に踏み込むだけで異質とわかる空気に満ちていた。

 床は安っぽいベージュのカーペットが敷き詰められている。二十畳の部屋だ。入った先に天板がガラス製のローテーブルがあり、低い牛革のソファが左右に置かれる。

 その向こうに無駄なほどに大きな書斎机があり、大きく目立つ「理事長」のプレートが嫌でも目に入る。

 壁際には、本当に呼んだのか疑わしい専門書の数々。乱れている段には、隠すつもりも無いのか青年コミックスが収まっている。

 まともに机に向かっていれば背中側になるだろう背後には、大きな両開きのガラス戸がある。そこからは、グラウンドの様子が一望できた。

 そのグラウンドを一望しているように見えて、片手に双眼鏡を持っている男が居た。新島が理事長と呼ぶ男は未だ大きな革の椅子に腰掛けたまま、背を向けて口を出している。

「まったく遺憾なものではないか」

「なんの期待もなかった尉官はあなたですけどね」

 管理局が抱える病巣の根は深い。

 特に強制執行部――つまりかつて局地にて前線に立ち戦闘を受け持っていた部隊は、こうして顔を合わせる機会が多いのだ。

 皮肉にも、この街にいるもう一人の管理局員は、新島との因縁が最も深い男だった。

「貴君は上官を愚弄しすぎではないのかな?」

 床を蹴って、椅子ごと回転。これまで挨拶もなしに背を向けながら悪態をついていた男とは思えぬ口ぶりで、立ち上がり、机に手をついた。

「皮肉屋のサイコである貴君に馬鹿にされるほど私は落ちぶれてはいないのだがね」

 オペラ歌手のような透き通る声音は、ただの訴えでもどこか演技がかってみえてしまう。華奢に見える身体には最低限の筋肉があり、その人形のような鮮やかなプラチナブロンドはまるで美女のような艶やかさがある。

 俳優というよりは皇太子のような美貌。整った顔の作りは異人さんのもので、しなやかな指先と、常に憂いを帯びる表情は女子生徒に人気が高い。

「元御曹司の言葉には重みがありますね」

 新島は毒を吐きつけるように言った。

「戦争を経験して廃人になられた経歴を持つ少尉殿のことだから、てっきり自分を離縁した親のことを未だに恨んでいるのかとてっきり」

「今は関係ないだろう」

 怒気をはらんだ声で反論する。

「というか、アーニェちゃんが来ていないじゃないかぁっ! 来るってゆったじゃないか!」

 新郎も真っ青になるくらいの純白のスーツに身を包んだ男が叫んだ。

 廃人として狂っているのは、まだ治っていなかった。

 戦火の中で特異的な存在である異人種に魅了された人間は少なくないが、こんな人間が、こんな学園を管理して良いものか、と思う。

 国連からなる管理局は細分化した末端を民間に預けているが、重要な都市や施設には必ず直属の局員がつく。新島や、理事長がそうだ。

 だがしかし、人選についても問題があるのではないか。再三にわたって新島は佐戸へと訴えているが、それに関して返信が来た試しがない。

 キザったらしく乱れた前髪を指先で払い、ワニ皮の靴で床を鳴らして歩いてくる。小脇に分厚い資料を抱え、それをローテーブルに叩きつけた。

「ありえない、なぜ無駄な嘘をつくんだね?」

「とんでもない、嘘なんて。ただ疲れたというので、食堂で休んでいるだけですよ。ここは危ないですし」

「なぁにが危ないんだねえっ!? 校舎の周囲を囲むように面に対して各十二門、総四八門のセントリーガンを備えている上、要請から三○分以内に駆けつける特殊部隊も標準待機させている。冗談ですまないのが、このモン・ステア学園だというのにか!」

 学園の予算のおよそ三割を、そういった要塞然とした設備等の維持に充てられている。それでも職員たちへの給与面の不満がないのは、お察しのことである。

「貞操の問題です」

「ゲスな発想だ。なかなか常人には難しいことを言ってくれるじゃあないか」

「あなたのように自由に発言してしまう性格は大変でしょうね」

「私は仕事中毒者ワーカホリックの言葉には辟易する一方だがね」

 どっかりとソファに腰掛けて、膝に肘を立てて手を組む。全てが目に余るほど気取った所作だったが、本人に自覚がないのが一番の問題だ。

「貴君はいい加減だが仕事は確実だ」

 ふん、と口を歪めて鼻を鳴らす。ポケットから紙巻を抜き、古臭い年代物のオイルライターで火をつけた。

「私は真摯な姿勢で確実な仕事をする」

 紫煙を吐きながらキザったい男が言った。

 開いていた股を閉じ、足を組む。

「さあ席につきたまえユウキ・ニイジマ。仕事を始めよう」

「はいよ、それじゃ失礼します。ミスタ、ジャスティン・バトラー」

 言われるがままに勧められた席に腰を落とし、山積みとなる書類のチェックが開始した。

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