序幕
地獄に触れた兵士たちが泡を食い、鋼鉄の弾丸を腹に喰らって倒れこむ。口から血が泡となって溢れでて、痙攣しながら絶命していく。
大した遮蔽物も無い荒野で、新島夕貴は戦慄した。
触れれば腕ごと破壊する鋼鉄の礫が毎秒数千発という数で己らへ襲い掛かってくるのだ。
硝煙と、砂煙とで視界は悪い。煌々と輝く太陽は全身から水分を奪い去っていき、もはや汗の一滴すら零れて来ない。
この戦いに意味は無い。
誰もが知っていた。
政府の長官だって知っていた。
だけどそれと同じくらい、避けられないものだと知っていた。
死ぬか生きるか、ではない。如何にすれば死なないか――彼らはそこに、相手を殺して数を減らすという結論を導き出していた。
「なあロン、いい案がある」
塹壕で隣並ぶ男に言った。
瞬間に、頭が吹き飛んだ。
視界が一瞬にして紅く染まる。その血肉が怒涛となって目に、口にと飛び込んできた。
半狂乱になりながらも新島は身を伏せる。頭を抱えて地面に屈み、そして口の中のものと一緒に空っぽの胃から胃液を大量に吐き出した。
――敵は人じゃない。
「くそおッ!」
だったら何の感情も無く殺せるのか?
塹壕の中で立ち上がり、数十分前までしっかり整備された小銃を構える。
血塗りの大斧を構えた馬が居た――正確には、首の部分から人の上肢が生える馬だ。
人じゃない。だけど人に酷似した化け物。
口ひげをふんだんに蓄えたそいつ「ケンタウロス」は、新島の出現に僅かにたじろぐ。
「うああああああッ!」
力任せに銃爪を弾く。銃床を当てる肩に衝撃。
吐き出された鉛の弾丸が、ケンタウロスの鋼鉄の肉体に血の華を点々と咲かせた。彼は大きくよろめき、反動で上向いた銃口は最後に顔面を数発の弾丸でぶち抜いた。
どすん、と地鳴りを思わせる衝撃と共にケンタウロスが倒れた。死んだのだ。
倒したぞ! そう叫びながら振り向いた気がする。あるいは、そう思っていただけかもしれない。
後ろでは小隊長が機銃を操っていたはずだった。頼もしい軍曹があらゆる部隊の情報を統合していたはずだった。トムが滑空砲をゼロ距離射撃で援護し、ダニーが榴弾を補充しているはずだった。
振り向いたら、全員いた。いっそのこと居なければ良いのに――多分、そこに全員いた。それらしきものもある。彼らだったものがある。
みんな死んでいた。
自分だけが生きていた。
ただケンタウロスが気まぐれにロンを殺したせいで、自分だけが生き残った。
良く整備したお陰で小銃が不具合を見せなかったおかげで、自分だけが生き残った。
発狂しながらも殺意を抱いたおかげで、自分だけが生き残った。
通信機にはノイズしか流れない。
どこからか、悲鳴と銃声だけしか響かない。
ここには硝煙と鮮血の臭いしかない。
頭がイカレた連中しか居ない。
その中で、自分だけが生き残った。
そして――地平線で、大きな爆発が起こった。
空には、国連軍のマークを描いた爆撃機が数機連なって飛んでいた。パラパラと無数の爆弾をばらまき、またその爆弾がさらに小さな爆弾をばら撒いて広範囲を爆発の瀑布で包んでいく。
「おい! そこの新兵!」
誰かが彼の肩を揺さぶった。
胸に軍曹の階級をつけた見慣れない男が、力任せに塹壕から彼を引きずり出す。
近くにジープが停まっているのが見えた。
「爆撃機が間に合った! クラスターのデリバリーが届いたぞ!」
やっと終わった。
爆撃機、戦闘機、機甲部隊――彼らを待つために、幾百、幾千の肉壁を使った。
何もかもが遅かった。
ジープの荷台に押し込まれ、汗臭く血生臭い男たちと共に揺られながら、彼は茫然自失とその光景を眺めていた。
――異人種。第二次接触……のちに語られるゲート大戦。
新島夕貴が十五の頃、それが彼らと初めて出会った記憶だった。
異人種も、人間も悪くない。
愚かで偉大な先人たちが及ぼした成果の、第一歩目の記録である。
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目を覚ます。
ずき、と額に疼痛が走った。触れると、額はじっとりと汗で濡れている。
「お目覚めか、坊主」
無精髭を生やした中年男が、細い紙巻たばこを吸いながら言う。香ってくる臭いは、メンソールが効いていた。
「嫌な夢、見ましたよ」
ぼりぼりと頭を掻きながら答える。タンクトップも下着も、汗でびっしょりだ。
「ははッ、オレもだよ」
ブラウンの瞳で新島を見る男は、少し伸びた坊主頭をさすりながら腰を上げる。広いパイプテントの中には、同じく目を覚ましたらしい男たちの姿がパラパラと見受けられた。
腕時計を見れば、時刻は十一時を示している。
時差を考えて、およそ午前か午後六時といったところだろうか。外の明かりを見るに、午前だ。
「つーか、頭おかしいンじゃないですか?」
真ん中に通路を開けるように左右に別れた寝床。その中心に、幾つかのクーラーボックスがある。その中から適当にミネラルウォーターのボトルを二本とって、男に一本手渡した。
「サンキュ」
新島はゆっくりと自分の寝袋に座り込む。その下は、ゴツゴツとした地面に直接敷かれた防水シートだ。
「いえ」
二人は無言のままボトルを開け、口をつける。新島は一息で半分ほど、中年男は一気に飲み干してボトルを空にした。
大きく息を吐き、ようやく人心地を得る。
「正気じゃないですよ」
彼は改めて怨嗟を吐いた。
「なんであんな大戦があった土地で、今度は"模擬戦"なんぞをするのか……」
「しかも相手はその異人種と来た。馬鹿げてる――こんなご時世に、な」
その再訓練――年に一度の模擬戦二日目。三日を予定するこの一大イベントに毎年強制参加させられている彼らは、今回で五度目を経験していた。
そしてそのいずれも、敗北を喫していた。
悪夢が蘇る。
つまりあの時、爆撃が間に合わなければ死んでいたのだと思い知らされるのだ。
「そういえばレナードさんって、今何してるんでしたっけ?」
レナード・オースティン軍曹は、あの時ジープで彼を救出してくれた男だ。
あれ以来、大戦が終わってもちょっとした親交が続いている。こういった模擬戦で、なぜだか同じ部隊に振り分けられるという縁もあった。
「オレ? オレは今、ロシアの管理局で異人種の入国管理してんよ。いやー初めは複雑なもんだったが、慣れって恐ろしいな。今じゃタグつけて武具を保管すんのも流れ作業よ」
はあ。なんとも羨ましいお仕事ですこと。
心中で呟きながら、彼はやおら立ち上がる。
腕時計は、先ほどから三○分が経過していた。あと三○分で、いよいよ準備運動が始まる。
近くに畳んでおいた野戦服を着込んで、大きく腰を捻り全身の骨を鳴らした。
「さぁて、行きますか」
「そうだな。……そいや、お前は何してんだっけ?」
ベルトリンクされているポーチを身体に巻きつけて、一つずつ予備弾倉を収めていく。腰部のポーチにはグレネードを。大腿部には自動拳銃を。
最後にアサルトライフルを担ぐなど執拗なまでにもったいぶった。もっとも、ただ言いたくなかっただけなのだ。
「おいニイジマ、答えろよ」
冗談交じりに小突くレナードに対し、彼は苦虫を噛み潰したような表情で睨んでから――口を開いた。
それを聞いた軍曹はしばし表情を喪失してから、申し訳なさそうに、また励ますように青年の肩を抱く。大げさに肩を落としてから、新島はテントを後にした。




