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崖の割れ目を抜けると、壁面に張り付くように細い木製の足場が造りつけてあり、道はそこに続いていた。
やはりすれ違えない程度の幅。
横木を崖に打ち込んで細めの木を渡すように並べてある。
手摺はない。
崖下は川。
白く泡を立てて轟々と流れる急流だ。
落ちても直ぐには死なないだろうがさっきの剣山地帯まで運ばれること請け合いだ。
あそこまで辿り着けば流れは強くないと思うが這い上がれる場所などありそうもない。
川の向こう岸は針葉樹の森が広がってる。
岸壁に囲まれてはいるがきっとポリオリの入り口なのだろう。
おっかなびっくり足場を進む。
崖沿いに回り込んだ先は川幅が狭くなり更なる急流。
ほぼ滝と言っていい崖の斜面を大量の水が流れ、音も凄いし飛沫も凄い。
既に足場はびしょびしょだ。
その滝の手前の川幅が狭くなった箇所に橋が渡してあるのが見える。
橋は明らかに見えている針葉樹を切り倒したもの。
それが大きくたわんでいる。
無理むり無理。
あんなの木が腐ってて折れたらいっかんの終わりじゃん。
しかも飛沫でびしょ濡れ。
条件が悪すぎる。
橋が折れてもおしまい。
足を滑らせてもおしまい。
しかし戻るのも地獄。
カイエンに戻れるほどの食料はもう残ってない。
俺は覚悟を決めて足を進めた。
丸太の橋に辿り着く。
足場から直径1m近くありそうな丸太に登るのが既に困難だ。
両手を丸太に置き、崖にわずかに張り出す段差に左足を乗せ、勢いをつけてよじ登る。
勢いが足らず失敗。
息が荒くなる。
既に俺自身もびしょ濡れだ。
勢いをつけ過ぎて向こう側に落ちる想像をして震えあがる。
深呼吸をして再度チャレンジ。
うまいこと丸太に乗ることができた。
しかし立ち上がる勇気はない。
俺は膝をついたまま進もうとしたが、それも諦める。
初めて知ったが、ハイハイで下り坂を降りるのはとても怖いのだ。
手に重心がかかり過ぎる。
木の表面は皮を剥いでおらずゴツゴツだが手を滑らせて川に落ちる未来しか見えなかった。
俺は立ち上がろうとまずはしゃがんだ状態になり、やっぱり諦めて丸太から降りた。
靴が滑るのが恐ろしかったのだ。
この世界の靴を舐めないで欲しい。前世の便利なゴム底で踏ん張りの効くパターンの付いた靴とは違い、ツンツルテンな靴底なのだ。
全く信用ならん。
俺は靴を脱ぎ、靴下も脱ぐ。
既に靴もびしょ濡れなのでリュックには入れず片手に一足ずつ持つ。
さっきと同じ要領で丸太に登る。
じりじりと足を進める。
想像したよりはぬめりはない。
全身に飛沫を浴びる。
左手の靴が滝側に近いからか飛沫が入り重くなる。
水が冷たく凍える。
足を出す度に橋がたわんで揺れる。
まだ半分も進んでいない。
集中力が続かない。
走って渡ってしまいたい衝動に駆られる。
しかしこの先の足元がぬめっていたらと思うと踏み切れない。
飛沫を浴び続けているせいで顔が濡れ、目に水が入る。
靴なんぞ捨てて目を擦りたい。
全ての衝動や欲求を堪えて、目は足元と橋の先だけを見据え、着実に足を出し続ける。
もう少し、もう少し、そう自分に言い聞かせる。
あと半分だ。
もうあと4分の1だ。
ここから登りだ、気をつけろ。
最後まで気を抜くな。
もう少しだ。
俺はなんとか丸太を渡り終えてその場でへたり込んだ。
ほんと、なんつールートだよ。
アレだな、リロも含めたカイエンの連中はこのルート使ったことないな。
知ってたら絶対教えてくれるはずだもん。
なんだよ「眼下にポリオリが見えてくる」って。
見えてからが長過ぎるんだよ。
もっとちゃんと交易しろよ。
カイエンのバカどもめ。
となると長官も知らなかったのかな。
そりゃそうか、長官はポリオリを出てから一度も戻ってないって言ってたもんな。
そういやキコもカッロも『2週間程度らしい』みたいな曖昧な言い方だったしな。
みんな「2週間程度で行けなくもないらしい」てことしか知らないんだろう。
アカデミーでそう教わるんだろう。
役立たずのバカデミーめ。
俺はようやく立ち上がると寒さに震え上がった。
ヤバい、風邪引く。
慌てて魔術で服を乾かそうと、ひとまずリュックを降ろし、水袋も肩から外した。
いきなりこのびしょ濡れを魔術で乾かすよりもいったんよく絞った方が魔力の消費も抑えられるだろうと服を脱ぐ。
パンツも脱ごうか迷って周りを見渡したら、ポリオリのあるであろう方から槍を持った数名の兵士が走ってくるのが見えた。
そのうち一名がいつでもこちらに槍を投げられるように構えているところを見ると歓迎されている訳ではないようだ。
俺はため息をついて身体とパンツだけを魔術で乾かした。




