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右舷の筏に行ってみると中々快適だった。
縄梯子じゃなくて船体に取り付けられた固定の梯子なのでこれなら片手でも降りやすい。
今はまだそんなに暗くないがランプも吊ってあるので手元もよく見える。
俺は皿と寸胴その他を洗い終えるとそのまま水浴びをさせてもらうことにした。
右手から水を出して頭から流していく。
シャワー風に水を浴びるのはこの世界に来て初めてだ。
村にいた時は川で水浴びだったな。
俺は髪も解いてざぶざぶと水をかけると、ついでにフンドシの中も洗った。
全部洗い終えて身体に魔力を纏い、乾かすように精霊に頼むとシャツもフンドシもすっかり乾いた。
ナニコレ超便利!
俺はご機嫌で皿と寸胴を片付けると、粥の入った皿を持って作戦室へ向かった。
ノックをして部屋に入ると長官はハンモックに寝転がっていた。
「長官、お食事をお持ちしました」
「悪いな、お前もまだなのか?」
「はい、船長が長官とご一緒しろと」
「ふむ、では頂こう」
長官はハンモックの上にムクリと座り直した。
「お加減よろしいようで」
「そうだな、悪くはない」
皿を長官に渡すと俺はベッドに座った。
ひとりで作戦テーブルで食べる気はしない。
「む、コメ臭くない。冷めてるからか?」
「キコさんにも言われました。真水で何度も洗ったからでしょう」
「ほう、さっそく水魔法を活用しているか」
「はい」
「普通は付いてる虫を流す程度だ」
「はい、ロッコさんに怒られました。水がもったいないって」
「だろうな」
長官はふっと笑ったかと思うと、眉をひそめ手を止めた。
微かに手が震えている。
「長官、ひょっとして手足に痺れがあります?」
「うむ、実は少しな。パラディーノに言うなよ? 診察されたところで打てる手はないのだ」
「でも死に至ることもあるとか」
「陸に上がって肉やパンを食えばまもなく治る」
他の船乗りも言ってたけどそれってひょっとして脚気とかじゃないの?
「兵役が長い者が掛かるとか」
「そうだな、戦地や船上に長くいると掛かりやすいようだ」
「戦地や船上での食事は米が主ですか?」
「ああ、長期保存が可能で一度に大量に調理できる。パンではこうはいかん」
なるほど、そういう理由でコメなのか。
「エルフから学んだのだ。兵站を制するものが戦争を制する」
「エルフは敗走したのでは?」
「国史にはそう書いてあるが、エルフは我々人族と共に暮らすことに前々から見切りを付けて準備をしていたようだ」
「あ、そうなんですか」
「人間は欲深く、争い好きだからな。むしろ人族はエルフに見捨てられたのだと私はみている」
長官は手の痺れが落ち着いたのか粥を口に運んだ。
「エルフとの戦争で人族の兵士はどれくらい死んだと思う?」
「見当もつきません」
「およそ2千人だ。それに対してエルフはどうだと?」
「さあ、同じくらいでしょうか」
「わずか40人だ。各地にあるエルフの寺院の老僧だけが居残り、処刑された。あとはキレイに被害を出さずに撤退していったのだ。兵士以外の一般人はひとりも殺さずにだ」
長官はドライトマトを口に入れて噛みながら話を続けた。
「エルフの敗走に見える長期に渡る北への移動を可能にしたのが米食だ。我ら人族がエルフの里で置き去りにされた麦を手に入れても、粉にする施設は自らの手で壊され、パンにする酵母種もないまま歯がみすることしかできなかったという」
俺は挟む言葉がないまま耳を傾けた。
「麦をそのまま煮ても食えるは食えるが美味いもんじゃない。彼らの士気は下がる一方だったそうだ」
飯が不味いとやる気が出ないのは全人類共通だよな。
「しかも米は非課税だから安くかき集めることができる。そして長期保存が可能で脱穀も容易で一度に大量に調理できる。まさに兵站として完璧といえる」
だからといって白米ばかり食うとビタミンB不足で脚気になるのだ。
身体に取り入れた栄養をエネルギーとして使うことが出来ずに栄養失調になる。
ビタミンB群は麦や玄米、肉類を食えば補えるはずだ。
「この船には麦は積んでいますか?」
「うむ、次の目的地はサナの製粉施設だ。そこに持っていく麦が大量に積んであるぞ」
「少しだけ分けてもらいます」
「明日の飯か?」
「はい」
「それは期待できるな」
長官は最後の一口を口に入れるとそう言った。
パンを期待してるかもしれないが俺はパンなんて焼けないぞ。




