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俺はロッコ氏に意見を仰ごうと振り返るとロッコ氏は椅子に座ったまま眠りこけていた。
ついさっきまで俺の作業を見ててくれたのに。
起こすのもなんだから俺は勝手に火を付けることにした。
火魔術はやったことがないんだが大丈夫だろうか?
ひとまずこの濡れた炭をどうにかしないとな。
俺は魔力を竈門の中に満たすと心の中で、
「水の精霊よ、炭を乾かしてもらえないか?」
と、呼びかけてみた。
すると湯気を上げて炭が乾いていった。
昨夜、長官の地図を濡らさないように念じた時と同じだ。
なるほどなるほど、じゃあ次は火だ。
ファイヤーボールじゃなくてバルドムも言ってたようにキャンドルだ。
試しに指先に魔力を出して火の精霊に呼びかけてみる。
すると微かに火が付いて直ぐに消えてしまった。
ビビリ過ぎたか?
今度はもうちょっと魔力を出しながら呼びかける。
すると100円ライターの最弱くらいの火が灯ったので少しずつ魔力を増やして供給していく。
だんだんと増やすと100円ライターの最強くらいになったので俺は満足してバルドムがやっていたようにピンと指を弾いて焔を飛ばした。
しかし、炭に火はつかず消えてしまった。
なんでだ?
考えてみればそりゃそうか。
村の焚火だってシュロの皮を着火剤にして、細い流木、太い流木と積んでいたのだ。
いきなり炭に火が点くわけが無い。
しかしここには着火剤はない。
魔力を焔に注ぎながら時間をかけて炭に火をつけねばならないのだろう。
俺はまたキャンドルを灯し、炭の山の中に飛ばし、今度は消えないように魔力を送り続けた。
するとパチパチと音がして炭から薄い煙があがり始めた。
これでちゃんと火がついてるんだろうか?
心配になり火箸で一番上の炭を持ち上げみると下側は赤く燃えていた。
大丈夫そうだ。
しかし火加減がわからない。
そろそろロッコを起こそうと振り返ると、いつのまにか船医が厨房に来ていた。
さっき俺にやっていたように懐中時計を見ながらロッコの脈を見ていた。
船医は振り返ると俺に厳しい口調で尋ねた。
「いつからこうなってる?」
「え、ほんの10分程かと」
「魔力は使っていたか?」
「いえ、僕が全部やってました」
船医は大きく溜息をついた。
「キミが魔力切れを起こしてないか見にきたがロッコが倒れているとはな」
「魔力切れですか?」
「いや、最近軍で流行っている謎の病だ」
「病?」
「ひどい疲れや慢性的な手足の痺れ、放っておくと寝たままになっていずれ死ぬ」
「ええ!」
医務室に寝ていたのはみんなそれか?
そういえば昨日の飯の時に疲れとか手足の痺れとか言ってたけど、みんな罹患してんじゃん?
俺も感染してたらどうしよう!
そんな怯えが出ていたのだろう。
俺の顔を見て船医は口を開いた。
「人から人に感染する類の流行病ではない」
「あ、そうなんですか?」
「任期の長い兵士だけがかかると言われているが確かなことは分からない」
「そうなんですか」
「とりあえずロッコを医務室に連れて行くからキミはそのまま食事の準備を頼む」
「あ、はい」
慌てて振り返ったが、寸胴はまだ沸騰もしてなかった。
火を強めた方がいいんだろうか?
はじめチョロチョロなかパッパだっけ?
て、なんだそれ。
不親切が過ぎる。意味がわかんないじゃんね。
でもまああれだ、炊飯器のお粥モードで炊いてもスゲー時間かかるからきっと弱火でオッケーだ。
俺は火を強めず炭のチカラを信じることにした。
が、そうなるとやることがなくて暇である。
かと言って火から離れるのもアレなので誰かの手伝いに行くわけにもいかない。
俺は付け合わせの準備と食器の準備をして粥の炊き上がりを待つことにした。
付け合わせのドライトマトは直ぐに発見した。調理台の下にあった小樽を開けたらビンゴだった。
皿はちょっと探したが調理台に造り付けの引き出しに入っていた。
引き出しは全部かんぬきで閉じてあったので開けちゃ不味いのかと思ったが何のことはない。
船が揺れても引き出しが抜け落ちてしまわないための工夫で、皿の引き出し、フォークとスプーンの引き出し、包丁その他の鉄器の引き出し、調味料その他の引き出しという感じだった。
すぐにまた暇になってしまったので粥をいったんかき混ぜてみる。
鍋の蓋を開けると微かに沸騰していてかなりいい感じに炊けている。
まだ水気が多いが、デカいヘラでかき混ぜてみると下の方はもったりと粥になっている。
もう少しだ。
なんなら火を消して余熱で仕上がりそうな雰囲気だ。
ヘラに付いた粥をスプーンですくって口に入れると塩気もちょうどいい感じ。
俺はほっと胸を撫で下ろした。
生まれてはじめてこの量の粥を生米から炊いたが失敗しなくて良かった。
これで焦がしたり塩気が強過ぎたりしたら船乗りたちに何を言われるかわかったもんじゃない。
竈門の火口を覗いて見ると炭はほとんどが灰色に焼け落ちて、燃えている炭は残り僅かだった。
なるほど、ちょうど良い量が入れてあったんだな。
やるな、ロッコ氏。
そこで、食堂に降りてくる足音が聞こえてきたので目をやるとキコだった。
「ロッコが倒れたって聞いたんで飯がどうなるのか覗きに来たんだ。お前料理できるのか?」
「いや、はじめてなんですけど、とりあえずお粥はもうすぐ出来上がります」
「大丈夫なのか?」
「どうすかね?」
ヘラに残ってたぶんをスプーンにすくってキコ氏に渡すと、キコは恐る恐る口に入れた。
「うん、ロッコが作るのより米臭さが少なくて食いやすい」
「マジすか?」
「ああ、米嫌いの俺が言うんだ間違いない」
「おお、、、」
なんだろう、凄く嬉しい。
上手く言葉に出来ないがじんわりと嬉しい。
料理人の喜びって言うよりはお母さんの喜びって感じだろうか?
キコは鍋を覗き込み言った。
「もうすぐ四点鐘だ。もうよそっておかないと熱くて食えないぞ」
「あ、なるほど」
キコ氏と手分けして皿に粥とドライトマトを盛り、食堂に並べていると何人かが覗きに来た。
「なんだよ、今日はメシ抜きって噂が流れてるけどちゃんとあるじゃねえか」
「ああ、まだ熱いから四点鐘まで待ってくれ」
「おう、後でまた来るわ」
そんなやりとりをしていると四回鐘が打たれるのが聞こえてきた。
まず降りてきたのは6人。
そこにキコも加わって一瞬で平らげた。
10人分用意しておいたのだが、残りは医務室に運ばれていった。
昨日は半分以上残していたキコ氏も完食していた。
次のターンは7人で、同じように残りは医務室に運ばれた。
そして次のターンは士官たち。
そうであることは分かっていたのに失念していたので何だか緊張した。
8名が席に着き、ロッコ氏も長官も来なかった。
食べ終えた船長が声をかけてきた。
「キミはもう食べたのかね?」
「あ、いやまだです」
「片付けが終わったら長官に持っていって一緒に食べるといい」
「了解です」
「ロッコにはパラディーノ医師に頼もう」
「はい」
そっか、片付けまでやらされるのか。
ちょっと想定してなかったな。
そもそも皿洗いってどこでやるんだろう?
「あの、皿洗いはどこで、、、?」
船長は意外そうに目を見開いた。
俺が乗船してまだ1日ということを忘れていたのだろう。
「波のない日の停泊中は両舷に筏を降している。右舷は洗濯や水浴び、左舷は用足し用だ。右舷を使うといい。誰かが使っていても皿洗いを優先するようになってる」
「ありがとうございます」
なるほどそういうシステムだったか。
長官の部屋では用足しの蓋付き壺があったからそういうものかと思ったが士官だからか。
俺は寸胴に汚れた食器や道具を入れると筏とやらに向かった。




