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気付けば地図の机の横に大きな木の樽が置いてある。
わざわざ用意してくれたんだろう。
船長室の床も結構濡らしちゃったからな。
「先に言っておくと、お前の魔力は常にダダ漏れになっている」
「あ、そうなんですか?」
「普通なら、ふた刻もそのままにすれば枯渇するくらいだ」
「枯渇するとどうなるんです?」
「全身の疲労感に襲われ、それでも魔力を放出し続けると命を落とすこともある」
怖っ、ナニそれ!
放って置いたら死ぬの?
「しかしコントロールができぬ訳ではないようだ。腰の魔石に魔力を込めるように言ったらかなり魔力の漏れを抑えることができていた」
長官は机に両の肘を付き、口元に手を持っていった。
碇ゲンドウのポーズだ。
やめて、俺はシンジ君じゃないの!
「さっきのを今一度やってみろ」
逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ!
は、置いといて俺はまたもや念能力者になった気持ちになった。
身体の周りにオーラを漂わせるイメージだ。
「そうだ、もっと抑えられるか?」
これで抑えられてるのか。
身体の周りのオーラをさらに小さく押し込める。
「いいぞ、もっとだ」
もっと?
今のイメージは皮膚の表面にオーラが貼り付いている感じだが、これを体内に引っ込めるのか?
どうもイメージが湧かない。
「引っ込めた魔力は何処にやればいいんです?」
長官は意外そうな顔をした。
そんなこと訊かれたことなかったんだろう。
「そうだな、、、。 へその辺りに押し込めたらどうだ?」
ふむ、気功で言うところの丹田ってヤツか。
俺はオーラを圧縮してへその辺りに押し込めるイメージをしてみた。
するとどうだろう、何だか凄く寒い。
まるで冬みたいだ。
てか、それでいいのか。
そういえば今日は冬至の筈だし。
南国の海辺だから暖かかった訳じゃなくて無意識に魔力で身体を守ってたんだ!
「そうだ、それで良い」
「ちょっと寒いッス」
「お、なるほど。じゃあ1個前に戻して良いぞ」
俺は魔力が皮膚に張り付く感じに戻した。
おお、温かい。
「では、次だ。人差し指から糸のように細く魔力を出して指先から少し離れたところに魔力の球を作れ」
俺は右手を胸の高さに上げ、言われた通りにイメージした。
俺の目には何も見えないのだが、さっき寒いのを経験したおかげか温かい何かが指先から糸状に出ていき球を形成するのが感じられた。
「ウォーターボールの詠唱をしてみろ」
俺はゴクリと唾を飲んだ。
「“精霊よ、水の精霊よ、、、”」
詠唱を始めた途端、魔力の球は水の球になった。
シュッと何処からか水が集まって来たように見えたが何せ一瞬のことだったので確証はない。
驚いて口を噤んでしまったが、詠唱を続けようと気を取り直すと長官が押し留めた。
「詠唱はもう良い。そのまま樽の中に射出してみろ」
水鉄砲の感じかなと思って射出イメージをすると指先から魔力が足されてしまったようで水球のサイズがぐっと大きくなった。
やべえ、違った。
バルドムやイータがやってたのをイメージするんだ。
振りかぶらず、手を動かさず。
『ウォーターボール!』
俺は心の中でそう叫んで射出イメージをした。
すると水球は目にも留まらぬ速さですっ飛んでいき、樽はバガンともの凄い音を立てて弾け飛んでに砕け散ってしまった。
大量の水が床に広がり長官にも大量の飛沫がかかってしまった。
「加減せんか、馬鹿者」
長官は静かにそう言うと、目を床に向けた。
すると床を濡らした筈のバケツ一杯ほどの水は一気に湯気を上げて乾いてしまった。
気づけば長官の服ももう乾いている。
スゲエ。
達人中の達人じゃん。
あれ?
てか、詠唱は?
詠唱しないと呪われちゃうんだよ?
長官は慌てた様子もなく立ち上がると金属のコップを物入れから取り出し机に置いた。
「水で満たしてみよ。地図は濡らすなよ」
そう言われても、どうすれば良いんだろうか。
小さいウォーターボールをコップに飛ばせば良いのかな?
「えっと、、、どんな感じで、、、?」
「こうだ」
見るとコップが水で満たされていく。
何処からか注がれる感じではなくて湧いてくる感じだ。
そしてまた水位が低くなってコップが空になると、顎でお前の番だと促してきた。
俺は無意識に手をコップへと伸ばし、コップの底から俺の魔力が湧いてくるのをイメージした。
コップが俺の魔力で満たされると頭の中で小声で詠唱した。
『水の精霊よ、、、』
するとコップの中に突然水が現れ、その勢いで水滴が飛んだ。
地図を濡らすなと言われていたので俺は慌てて心の中で叫んだ。
『何やってんだ、濡らすな!』
すると飛んだ水滴は空中で散り散りに蒸発して消えた。
「え、、、、?」
俺は絶句である。
「うむ、上出来だ。わたしの見込んだ通りだな。もう教えることはなさそうだ」
「何言ってるんですか! 何ですか今の? 詠唱させずに魔術使わせて! 呪われちゃったらどうするんですか?!」
長官はニヤリと笑って人差し指を挙げ、俺を制した。
「では問おう、呪いとはどんなものだ?」
なんだったけ?
「新兵が同室の兵士を皆殺しにしちゃったとか、、、」
「ふむ、確かにそんなことがあったな。他には?」
「ええと、家族を殺しちゃったり、怪我させちゃったり、とかでしたっけ?」
「そうだ。それらの共通点はなんだ?」
共通点?
「近しいひとが犠牲者?」
「そうだ。もっと言うならそれらは全て睡眠中に起こっている」
「近くで寝ている者が犠牲になっているとか?」
「その通り」
長官は満足げに微笑んだ。
「要はだ、寝ぼけて魔術をぶっ放して被害者が出たというだけのことなのだ。それを呪いと呼ぶなら呪いかもしれんが、むしろそれは悲しい事故と呼ぶのが相応しいだろう」
なるほど、銃の暴発事故みたいなもんか。
「それを抑止する為に後付けで作られたのが詠唱というものなのだ」
「信じるか信じないかはあなた次第です」
「なんだと?」
「いえ、なんでもないです。そうなのですか?」
「ああ、本当の話だ。エルフの長老に聞いた。詠唱のシステムを作ったご本人のその孫だそうだ」
へー、詠唱がある程度の長さがあるのは寝言での暴発を防ぐためだったのか、、、。
感心していると長官は続けた。
「皮肉なことに、詠唱を取り入れたことで魔術はエルフ以外でも使えるようになり、人族に軍事利用され、エルフは北に敗走を迫られてしまったのだがな」
そんな過去があったのか。
アーメリアの国史には、ひとりの人族が立ち上がりエルフの圧政から国土を取り戻したくらいに書かれていたけどエルフ視点で見ればそう言うことか。
「詠唱のない頃はエルフはどうやって魔術を習得してたんです?」
「かつては、出家して僧になり厳しい修行を積んだ者だけが使えるようになる秘伝の技だったそうだ」
「それってどれくらい昔の話なんですか?」
「さあな、エルフの暦は我々と違うから計算が面倒なのだが、ざっくりエルフ三代ってことで250年てとこじゃないか?」
あれ?
エルフは長寿で千年も二千年も生きるんじゃないの?
「あの、エルフは長寿なのでは?」
「その通り、奴らは長生きだ。我々人族が人生50年という頃から100歳を超える老僧がゴロゴロいたそうだ。全ては魔術の賜物だ。魔術で生んだ清潔な水を飲み、魔術を使うから魔石もできない。長寿の基本だ」
なんだ、エルフが長生きって言うより人族が短命だったってことなのか。
「今ではその恩恵は我々も享受している。だから本来は人族はもっとエルフに敬意を払うべきなのだ」
「と言いますと?」
「人族はずっとエルフに守られて生きてきた癖に、魔術を使えるようになるとエルフを追い出し、こともあろうか、かつてエルフに支配されていた事に遺恨を持ち、賠償を迫るまでになっている」
ああ、植民地と宗主国で歴史問題になる、あるあるパターンね。
この場合は戦勝国と敗戦国かな?
「アーメリアって建国してどれくらいなんですか?」
「75年だ」
「アーメリアの国民は人族のみ?」
「いや、南方のわたしの故郷はドワーフと人族が半々くらい。西方は獣族の割合のほうが多いそうだ」
「ドワーフや獣族は奴隷だったりするのですか?」
「まさか、我らを魔族と一緒にするな」
やっぱ魔族もいるの?
やっぱ戦争なの?
「魔族とは?」
「ああ、山脈の向こう遥か北西には氷に閉ざされた地域があってそこを支配しているのが魔族だ」
確かに地図はアーメリアを囲むL字型の山脈の西側の海岸線は書かれていない。
山脈の西、つまりサナの向こうやエルフの森の先は伊能忠敬がまだ赴いてないのだろう。
「魔族ってどんな人たちなんです?」
「ふむ、わたしも見たことはないのだがな。エルフと龍の混血だとか、龍族の類だとか色々言われている。戦の際には飼っている龍を使役して戦うのだそうな」
トカゲっぽい感じなのかな?
寒い所は苦手そうだけど。
「そして魔族は奴隷を使うと」
「西方の人族や獣族の子供を攫っているのは確かだ。それらは被害報告が軍まで届いているからな」
「攫って食べちゃってるとかは?」
「食うなら家畜が先だろう。家畜に手をつけずに子供を拐う理由がない」
「なるほど」
色々話が脱線したが、無詠唱で魔術を使うとやっぱり寝ぼけて暴発の可能性は捨てきれないって話だったよね?
「で、長官。僕が寝ぼけて魔術を発動しちゃったらどうするんです?」
「話が戻ったな。押さえ込む」
「そんなこと可能なんですか?」
「わからん」
俺はずっこけた。
わからんのかい!
「わからないんですか?」
「ああ、だからやってみようと思ってな」
「僕に殺されたらどうするんですか?」
「弟子に殺されるならそれもまた良し」
「僕が寝ぼけた長官に殺されたらどうするんですか?」
「そうだな、吟遊詩人にお前の歌を吟ずるよう詩を書いてやろう。
、、、漁村に生まれし天才少年あり、軍の力に絡め取られ、村に婚約者を残したまま王都への旅に連れ出されるが、道半ばで師の手にかかり命を落とす。少年が外道に落ちたのか、はたまた師匠が落ちたのか、真実は闇の中、あるいは夜霧の向こう、、、どうだ?」
俺は笑ってしまった。
どのみち村に帰れるのは数ヶ月後。
「わかりました師匠。よろしくお願いします」
俺は長官に頭を下げた。




