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フロントには誰も居なかった。
王子はリラックスした様子で食堂へ足を踏み入れる。
「済まんが、もう始めても良いか?」
給仕にグラスを口に運ぶ仕草をしてみせる。
「もちろんです! お二人で?」
「後からもうふたり来るんだ」
「ではこちらに」
「うむ、グラスは四つ、赤と白を両方デカンタでもらおうか。アペロによいチーズか何かあれば適当に頼む」
「かしこまりました」
王子は落ち着いてるな。
なんか緊張してしまって恥ずかしい。
まだ暗くはないが、給仕さんが燭台を机に置いて下がった。
後で点けてくれるのだろう。
程なくして盆に乗せたグラスやワインを持って来た。
皿には切ったチーズとナッツ類、ドリトスみたいな三角形のスナックが盛り付けてあった。
「いただこう」
「お注ぎします」
「うむ」
手が震える。
力んでしまって上手く注げない。
「オミ、落ち着け。おそらく襲撃ではない」
「そうなんですか?」
「給仕の対応を見ても違和感がなかっただろう?」
「給仕さんだけ知らされてないだけかも知れないじゃないですか」
「だとしたら店がガラガラであることに困惑している様子が見てとれた筈だ」
なるほど。
「むしろ客が来て嬉しそうではないか」
「そうですかね」
「そうさ」
王子はフォークを手に取るとわざと床に落とした。
その音を聞きつけて給仕がまた来た。
「すまない。落としてしまった」
「はい、代わりをお持ちします」
落ちたフォークを拾って代わりのを持って来た給仕に王子は声を掛けた。
「この店は地元民で混み合っていると聞いたんだが今日は空いているな。ゴングが来ているからか?」
「それもあるかも知れませんが、このところこんなもので、、、」
「何かトラブルでも?」
「実は良くない噂を立てられてしまって」
「へえ、どんな噂か聞いてみたいな」
「ちょっと私からは、、、支配人をお呼びしましょうか?」
「手が空いてるようなら頼む」
王子は給仕に銅貨を取らせた。
確か千円くらいの価値の筈だ。
チップか。
「王子、随分ズバッと聞きますね」
「遠回しに聞いたら逆におかしかろう」
「それもそうですね」
ちびちびと飲んでいると厨房の奥から恰幅のいい初老のコックがこちらに歩いて来た。
「ようこそ、噂についてお知りになりたいと?」
「済まない、少々気になってな」
「お気になさらず。この客入りですからな。暇で仕方がない」
「良かったら掛けてくれ」
男性は遠慮せずにテーブルについた。
よっぽど暇なのだろう。
「私はこの宿のオーナーシェフです。十年前に前のオーナーから引き継いで今に至ります。失礼ですがポリオリの王族の方ですな」
「三男のクラウディオだ」
「ようこそお越し頂きました」
「たかが三男だ、気楽に話してくれ」
「ありがとうございます。噂の件ですが、春先にキャラバンの方がお泊まりになりましてね」
「ああ、ウチにも来た。彼らは馬車や天幕で寝泊まりするのではないのか?」
「商隊の隊長さんなんかにはご利用頂いてます」
「なるほど。続けてくれ」
そういやポリオリにも宿屋ってあるのかしら?
後で王子に聞いてみよう。
「この街は城下町ってことで職人が多いです。王家の庇護があるとはいえ、怪我や病などで食い詰める者も珍しくはありません」
「ほう」
「そうした者はキャラバンが来た時に幼い子供を売ることも珍しくはないのです」
「なんと、人身売買は禁じられておろうに」
「ええ、奴隷として売ることは禁じられているので養子縁組という体裁を取ります」
王子は眉を顰めた。
「お客様なんであまり悪く言いたくはありませんが、そうして手に入れた新しい“娘”とお泊まりになられる、とそういう事です」
あちゃー、なんか先が読めてきた。
正直もう聞きたくない。
「先日お泊まりになった時にお連れになっていた“娘”には将来を約束した相手があったようで、若い男、といってもまだ少年ですよ、が無謀にも助け出そうと商隊を襲いまして、もちろん護衛に切られて死にました」
やっぱそういう話か。
「その顛末を耳にした“娘”は三階の部屋で首を括って亡くなりました。痛ましいことです」
やめてよ悲しすぎるよ。
「それで、客が来なくなったと?」
「いえ、流石にその部屋は客を入れないようにしましたが、その後も泊まり客は普通に来ていました。町の連中だって悪いのは商隊と売った親だと分かってますから来てくれていました。女性客は減りましたけどね」
いよいよここからが噂の核心か。
「それが先月あたりからウチに若い男女の幽霊が出るって言われ出しまして、最初はそれだけだったんでまだ客は来てたんですが、そのうち呪われるだなんて話になって、そうなると奥方連中が旦那衆をこの店に行かすのを渋り始めたみたいで」
ああ、ありそう。
確かに大黒柱が呪われたら困るもんね。
「で、まあこの有り様です。遠方から来るお客様はそんな噂は知りませんからなんとか商売を続けてられますけど、正直もうしんどいですね」
そこまで話しを聞いたところでロレンツォとアウグストが聞き込みから帰ってきた。
それを見てシェフは腰を上げた。
「どうされます、お泊まりはキャンセルされますか?」
「いやキャンセルはしない。それどころか旦那の役に立てるかも知れん。ひとまずは食事を出してもらおうか。それが楽しみで来たのだ」
「少々お待ちを」
シェフは頭を下げて厨房へと戻った。
「どうだ、何か分かったか?」
「この店で事件があって幽霊に呪われるという噂を聞きました」
「客室で人死にが出たのにその部屋に客を泊めるのは不信心だというのもありましたね」
「ふむ、我らがオーナーに聞いた話と一致するな」
「細かに聞き出したので?」
「うむ、食事が終わったら聞かせてやる」
良かった。
飯食いながらまたあの悲しい話しを繰り返すのかと思ったよ。
もう既に楽しく飯を食える感じじゃなくなっちゃったけどさ。
程なくして給仕が皿を持って来た。
メニューは豆と肉のシチュー。
ポトフじゃなくてコッテリした具沢山のシチューだ。
それと白パン。
質素と言えば質素かも知れないが豪華といえば豪華だ。
俺は美味しくいただいたよ。
誤字報告ありがとうございました!
今回も校閲よろしくお願いします!




