195
サナ語の参考書はようやく書き終わり、パラパラと見ているとやっぱり章立てとページ数が書いてないのが気持ち悪かったので留めてあった糸を切り、章ごとに見出しページを足してからページ数も最下段の真ん中に書き足すことにした。
目次にも対応するページ数を入れれば完成だ。
これで目次から目的のページに飛ぶ事ができる。
ちなみに、この本に掲載させた語句の中にひとつだけ嘘を紛れ込ませておいた。
前世の話だが、辞書や地図には偽造された時にそれを証明する為の嘘を意図的に入れるのだと聞いた事がある。
この世界には著作権とか知的財産権とかそうしたものは一切ないが、今後そうした権利が生まれないとも限らないので念のためだ。
どんな嘘を入れるかはかなり頭を悩ませた。
普通から使うような言葉だと良くない。
滅多にない、もしくは有り得ないシチュエーションで使う言葉にしなければならない。
辞書に入れる嘘として有名なのはウィーゼル山という架空の地名らしいのだが、俺のサナ語参考書には地名や人名は入れてない。
ローリン・メーリン・リーリンというような名付けの法則性を入れようか迷ったのだがリンの家族の個人情報を入れる訳にもいかないし他の名前を知らないし法則もあやふやなので除外したのだ。
暫く悩んだのだが、使わない言葉、有り得ないシチュエーションってなかなか思いつかないもんで、これさえ入れれば完成なのに決め手の一手に欠けていた。
そんなある日、またもや魔術演習の後に魔術兵の皆さんと水浴びをしていたらとあるものが流れて来た。
この水路は厨房の方々も泥の付いた野菜を洗うのに使っているのだ。
なんと流れて来たのはそろそろシーズンが始まりつつあった果物、桃。
みんなもう分かったと思うが有り得ないシチュエーションで、普段使わない言葉。
それはドンブラコだ。
大きな桃が流れて来るという特殊なシチュエーションでしか使わないオノマトペ。
日本人なら誰でも知っているが、外国人なら怒気を込めて「は?」と聞き返すであろう語句。
これだ!
俺はオノマトペのページを書き直してこの語を入れた。
結構手間だったからこんな事する必要はなかったかも知れない。
しかしなんだか自分の仕事に納得の満足感を感じた。
こういうくだらない遊びって一番やりがいがあるよな。
そういえば、準男爵のワッペンの使い道だけど、一緒にもらった箱に入れて大事に保管しておけば良いらしい。
自分の身分の証明に必要になった時に見せるのだそうだ。
後はめっちゃちゃんとしたフォーマルな式典の時には首に掛けて参列するらしい。
それこそ王の戴冠式とかそういう時だから滅多に使わないのだそうだ。
これは俺の想像だが、大きな借金とかする時には使うかもな。
家を買うとか、船を買うとか。
俺にはあんまり縁が無さそうだな。
◇
そうこうしていると出発の日が近づいてきた。
旅の準備を進めなければならない。
俺の荷物はルカに返してもらった。
ナイフと針とスパイス類だ。
スパイスはもう駄目になってるかもな。
油紙で包んであるだけなのだ。
久しぶりにナイフを返してもらってシースから抜いて眺めていると、王子に声を掛けられた。
「珍しいナイフだな。キリオンがないではないか」
「なんです、それ?」
「血や水で手が濡れた時に、手を守る為に付いてる突起だ。こんな風に」
王子が自分のナイフを引き出しから出して見せてくれた。
いわゆる洋風のナイフだ。
カッコいい。
「大型の獣の皮を剥ぐ時など、この突起があるとないとでは安心感が違う」
「なるほど。これはサナのバザールで買ったんで布を切る物なのかも知れません」
俺のナイフは手のひらサイズの小ささで、簡素な片刃でブレードが少し前傾している。
包丁として使う時にこの前傾が便利かなとコレにしたのだ。
「ああ、そうした用途があるのか。考えた事もなかったな。面白い」
王子は俺からナイフを受け取ると机の上で大きな布を切るような動作をした。
「なるほど、座ったまま使ってもちゃんと切先が下に向くから手首に負担が掛からないのか。これは良いな」
「気に入りましたか」
「ああ。こうした刃物はいくらあってもいいな」
男の子は刃物好きだよな。
まあ刃物に限らず道具全般に惹かれるものがある。
ドライバーとかスパナ、レンチ類。
ペンチやニッパー、プライヤー類。
ノコギリや鉋、木工工具も熱い。
それが発展すれば車やバイク、機械全般、船や飛行機、果てには兵器、ロケットやミサイルまで男の子の好きは広がっていく。
この世界なら剣術や魔術かもな。
多分、己の肉体の機能の拡張という事象に執着するのかも。
「そういえば、オミに剣をくれてやらねばな」
「え、いいんですか?」
「爵位持ちの帯刀がそのちびたナイフでは格好がつかんだろ」
「何か決まりとかあるんですか?」
「王都で流行っておるのは極細のレイピアらしい」
「決闘用ですか?」
「いや、軽いからだろ。装飾の派手な大きなものを帯刀して地位と財力を誇示したいが、重いのは邪魔。そういう事だろう」
「へー、ちょっとなんかアレですね」
「まあな。同じく貴族でも武家だったり騎士だったりするとしっかりしたロングソードが多いらしい」
「意外ですね、片手剣のファルシオンとかじゃないんですね」
「いやいや、騎乗で戦うなら得物は長くないと役には立たん」
「あ、そっか。なんか普段、盾を持った片手剣ばかりやってたからそっちが主流かと思ってました」
「歩兵と戦うには相手が何をしてくるか知らんとならんから片手も練習するがな。というか、オミが騎兵の演習を避けてただけだろう?」
そういえばそうだ。
乗馬技術が及ばないからといって騎馬の演習の時は文書館に篭ってたんだった。
そっちではロングソードの練習もしてたのか。
「僕は両手剣の方が得意だから、ロングソードですかね?」
「うーん、、、どうだろう? しかしこうやって実際にオミに何を持たすか考えると難しいな」
「どういうことです?」
「オミの馬術のレベルでロングソードだと、なんというか、生意気と取られかねないかもな」
「なるほど」
「オミは魔術兵のクラスになるだろうからダガーの方が自然か」
「船ではガード付きのメイスが向いてるんじゃないかって言われて、そういう練習してましたからタガーならサイズ感も近くていいですね」
「メイスも悪くない武器なんだが僧兵が使ってるイメージが強くてな」
「僧兵っているんですね」
「今はそうでもないが、地方のイリス教会には、その村を盗賊から守る事も期待されていたらしいのだ」
確かに、盗賊から守ってくれたらみんな入信するかも。
「僧兵は血を流す事を是としないから自然と得物はメイスが多いそうだ」
「なるほど。ならメイスを持ち歩いてたら僧兵志向と勘違いされそうですね。じゃあやっぱりタガーが実用的で無難そうですね。僕がいただけるようなタガーって何かお持ちですか?」
「ある。うってつけのがある」
王子が立ち上がってワードローブの扉を開いた。
開いた中にはびっしりと武具が詰まっていた。
プレートアーマーやらヘルメットが目立つが、あらゆるサイズの武器がぎっしりだ。
今まで中身は絶対に服だと思っていたのでびっくりした。
狂気すら感じる。
「幼い頃から、体格に合わせて色々当てがわれて来たものを全部取っておいたのだ。我には弟がおらんからな」
なんだ、全部お兄さん達のお下がりか。
ちょっと安心した。
「これなんかどうだ?」
受け取って鞘から抜いてみる。
刃渡が三十センチくらいの諸刃の短刀。
かなり分厚く作ってあって頑丈そうだ。
キリオンが左右非対称になっているのが珍しい。
「どうだ、良いだろう? こちら側は荒砥になっているからロープを切るのに向いているんだ」
「おお、そんな工夫が、、、」
「これは曽祖父が愛用していた物でな。工芸品としての価値はないが実用品としてはかなり良い。青銅製としては切れ味も悪くないし、なにしろ青銅は鉄より錆びにくいから手入れが楽だ」
おお、良い事ばかりではないか。
「でも良いんですか? 曽祖父といったらポリオリ建国の父じゃないですか。大事に取っておいた方がいいんじゃないですか?」
「価値のあるものはちゃんと謁見の間に飾ってある。実用品は使ってナンボと曽祖父も言っていたらしいしな。でなければ我に下賜される事もないさ」
そっか。
なら良いのか。
「いや、でも不安なんで一応領主様に確認してもらって良いですか?」
「大丈夫だって。こんな物が残っている事すら誰も覚えておらん。そもそもこのご時世に青銅剣だぞ? 露天の武器屋に売ったって大銅貨にすらならんだろ」
ええっと、大銅貨は一万円くらいか。
買取価格がそれなら売値は四万円くらいだろうか?
充分高級品だと思うが、そこはやっぱり王族ってことか。
良いな、金持ち。
「ありがとうございます。では大事に使わせていただきます」
「うむ、腰に着けてみろ。ベルトはこれを使え」
剣をぶら下げるためのベルトまでもらってしまった。
木製の鞘に皮の固定具が付いているこれをベルトに通して左腰に下げれば良い具合に切先が下を向いた。
さっき持った時に刃側の重量バランスが重かったら少々違和感を感じたのだがこういう理由があったのか。
もう少しポンメル側に重みがあった方が武器として好みなのだが、使う時より持ち歩く時間の方が長いのだからこれが正解なのだろう。
うん、鏡が欲しい。
どうだろう、決まっているのだろうか?
いつもありがとうございます!
応援いただけると熱中症耐性が+5されるかもしれませんのでよろしければ!
水分補給忘れずに!




