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生きた人だったそれをあまり見たくなくて部屋を見渡す。
確かに前に俺が来た部屋だ。
書き物机と来客用のソファがあるだけの簡素な執務室。
なるほど主人の居ない部屋と言われれば確かにそんな感じだ。
机の上に書き置きの類はない。
壁にも床にもこれといった痕跡はない。
ただ床に滴り落ちた雫が溜まっている。
もうちょっと大丈夫かと思ってたんだが急激に吐き気が込み上げて来て俺は窓の外にぶち撒けた。
ついでに外の新鮮な空気で深呼吸しようと息を吸うと部屋の空気が流れ出て来てそっちを吸ってしまった。
激しく咳き込む。
涙も出て来た。
いったん部屋から出よう。
そう思い頭を窓から引き抜き振り向くと細いシルエットが戸枠に立っていた。
執事長氏である。
そうか、彼もこのフロアだったか。
臭いが届いたのだろう。
口元をハンカチで覆っている。
「誰か呼びにやりますか?」
「そうだな、誰か軍から士官クラスを頼めるか」
「文官はどうされます?」
「文官からも頼む」
「承知しました。ドアは閉めさせていただきます。どうぞお二人も外へ」
促されて俺たちは部屋から出た。
少し膝がガクつく。
これは吐いたからなのか恐怖からなのか。
「酷い顔をしとるな。ひとまずワシの部屋に来い」
「ありがとうございます」
ふたりして手を洗い、顔を洗い、部屋に香を焚きしめてやっとひと心地ついた。
いつでも士官なり文官なりが入ってこれるようにドアは薄く開けてある。
本当は閉めたい。
あの匂いは人間の根本的な何かをそぎ落として滅入らせるそんな力がある。
ルカ氏は机の引き出しから小さなビンを取り出してクピリと中身を煽った。
多分強い酒だろう。
俺にも欲しいくらいだ。
そんな気持ちが伝わったのか俺にも差し出して来たのでありがたくいただく。
ひと口あおるとひりつくような酒精が喉を焼く。
俺は軽く咽せた。
これは何かの薬酒だ。
強い甘みがあって強烈に薬臭い。
おかけで鼻の奥に残るねちっこい匂いが薄らいだ気がする。
「これは効きますね」
「戦後処理にはこれが欠かせんのよ」
戦後処理と言ったが要は死体の片付けのことだろう。
過酷な時代を生きて来たんだな。
ドアの外で人が来たり帰ったりする音が聞こえバタバタと人が入れ違い、あの部屋でも香が焚かれ始めたようだ。
そしてタワシで床を擦る音が聞こえてきた。
あれこれ終わったらしい。
それでも俺たちはソファから腰を上げる気にならなかった。
戸口に立ったのは今度は王子だった。
「お主らご苦労だった。これから河原で遺体の見分をするが立ち会うか?」
「無論です」
「僕もよろしけば」
王子について城を裏手へ出て簀を被せた担架を先頭にした行列の後尾に付く。
果樹園を抜けて行列は裏門へ向かった。
河原って裏門を出たとこのことか。
確かに、あの流れは城の中や町へは入らないから死体を洗うならあそこしか考えられない。
裏門を抜け、杉林を抜けて砂利の河原に辿り着いた。
そこに架かる丸太を渡ればその先はカイエンへの道だ。
割と最近の事なのに既に懐かしい。
「水で洗う前に見分をしたい者はおるか?」
誰も手を挙げないので俺が声をあげる。
「どなたか、服のポケットは調べましたでしょうか?」
「ふむ、馬子。見ろ」
いつの間にかそこにはガスプーチョ氏がいて、頬被りをして担架を持っていた者たちに命令した。
あれは馬子さんたちだったのか。
汚れ仕事は全て馬子にやらせる感じか。
クソ。
俺は進み出ると馬子たちを手伝った。
怖いし、触りたくはないけど言い出しっぺだし仕方ないよな。
ミカエルの着ていた前開きのローブを肌けさせ、中に着ていたシャツの胸ポケットをチェックする。
他にも袖の中やローブの内ポケットを調べる。
死体ってカチカチに硬直しているイメージがあったけど、関節は普通に動いた。
しかし体温というものが全くなく、布越しに触れても冷たく感じる。
俺的にはそこが凄くキツかった。
途中、誰かからハサミを渡されたので見にくい箇所は切り開いて見ていく。
普通これくらいはチェックするでしょという箇所をチェックし終えたら立ち上がって頷いた。
馬子たちは担架ごと死体を持ち上げると川に踏み込み水に沈めた。
死体が流れそうになったので馬子さんの片方がシャツの肩のあたりを掴んで引き止めた。
水の中で服をハサミで切り裂き脱がす。
「ヨシ、あげろ」
ガスプーチョ氏の命令で担架ごと遺体が引き上げられ河原に置かれた。
ガリガリに痩せているのに下腹が出ているミカエルの老体が雲越しに届く暗めな太陽光に晒された。
「見分をしたい者は?」
今度は数名が遺体に近寄った。
クラウディオ王子、騎兵団長のサビーノ氏、文官のウベルティ氏、ルカ氏、そして俺だ。
「王子は遺体に触れぬよう」
ルカが王子にそう言った。
王子は無言で頷いた。
サビーノ氏が腰に付けていた短剣を抜き、首に巻き付いていた縄をずらした。
皆でのぞきこむ。
「これは自殺では有りませんな」
誰かがそう言って、俺もそう思った。
縄の巻き付いていた首には少しの鬱血もなかったからだ。
馬子が遺体をひっくり返し背中も見る。
外傷はない。
「ちょっと口を開けても良いですか?」
俺がそう言うと、馬子がまた遺体を仰向けにした。
そして顎の先を指で押す。
それだけでは口が開かなかったのでおでこを押さえてグイと顎を押し口を開ける。
また皆で覗き込む。
「これは、、、毒殺ですかな?」
ルカがそう言って俺も同意した。
喉が見たことないほど爛れて詰まっていたからだ。
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