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何度同じことを繰り返しただろうか。
走ってはコウモリに取り付かれ、返り血を浴びる。
目も慣れてコウモリがよく見えるようになってきた。
コウモリの羽根は膜であることは知っていたけど、陽を透かすと血管が走り網目のような模様を見せていた。
膜は腕だけでなく脚につながりそこから更に尻尾の先までつながっている。
そして何より顔よ。
豚の鼻を更に汚くつぶして先を尖らせたような鼻。
蛾の羽根のような大きな薄い耳。
黒目がちなつぶらな瞳はつぶれた鼻の横に鎮座しており、全体的には受け口でしゃくれているように見える。
それが歯を剥き出しにして襲いかかってくる。
爪が痛い。
王子かロレンツォが切り落とす。
二人とも息遣いに疲労が見える。
そろそろ手元が狂って切られるかも知れない。
ぼちぼち終わりにしないとヤベエな。
そう思ったとき、副隊長の声が聞こえた。
「王子、前をご覧ください!」
山となった落ち葉の向こう側にも吹き上げる風が見える。
バルベリーニ側からの部隊とようやく出会えたようだ。
副隊長が空に火球を放った。
相手を認識した合図である。
向こう側にも火球が上がる。
合図を確認したようだ。
さて、ではいよいよ俺の出番か。
この落ち葉を焼いてしまわなければ。
「魔術兵、下がれ!」
王子がそう号令をかけ、俺は前へ出た。
精霊に頼む。
「またこないだと同じ感じで俺の魔力1/2でフレイムピラーを頼む。山火事を起こさないように枯葉は焼き切ってくれると助かる。いいな?」
俺はたっぷりと息を吸い込むと大声で詠唱を始めた。
「精霊よ、火と風の精霊よ。其方の前に立つは盟約を結んだ者。旧知の盟約を締結せしめた我が命ず。煉獄の業火を持って眼前の障壁を焼き払い、小さき者らに畏怖の心を取り戻せ! 顕現せよ! フレイムピラー!」
風が集まり落ち葉を吹き上げ、それは大きなうねりとなり高く舞い上がっていく。
残っていたコウモリたちもうねりに吸い込まれ同じく吹き上げられていく。
竜巻となった風が雲に届くかと思われたその時、雷が落ちるかのように竜巻の中心を炎が貫き爆音が鳴り響いた。
耳をつんざくような金切り音と腹に響く低音が同時に襲いかかってきて腰が抜けそうになる。
歯を食いしばって暴風と轟音に耐える。
近くに妊婦さんが居たら絶対に使えない技だ。
爆風と熱波が襲いかかり、去っていった。
見上げれば空は何事もなかったように広がっていた。
火の粉や灰すら見当たらない。
コウモリすらも焼き切ってしまったようだ。
目を下ろせばやはり石畳に穴があき溶けて煮えている。
その揺らぎの向こうにバルベリーニ領の兵たちが見えた。
ローブを着た魔術兵たちが腰を抜かして座り込み、その後ろの騎兵たちは暴れる馬を落ち着かせるのに必死なようだ。
俺はホッとしたのか、ざわついている彼らを見てなんだか笑いが込み上げてきた。
笑いながら振り返る。
「ねえ王子、あいつらあんなに、、、」
王子は無言で剣を振った。
俺の髪にまだコウモリがしがみ付いていたらしい。
俺は耳から返り血を滴らせながら文句を言った。
「王子、もっと優しく取ってくれてもいいんですよ?」
王子は無言で俺にウォーターボールを放った。
「え?」
顔面にウォーターボールを食らった俺は尻もちを付いた。
王子は真剣な顔をして覆い被さるようにして俺に何度もウォーターボールを放った。
「ちょ、ちょっと酷くないですか?」
「いいから良く見せろ!」
耳を引っ張り、首の後ろを覗き込み、腕や背中のコウモリの爪の傷を指でなぞった。
「痛い痛い痛い!」
王子は俺を無視して振り返る。
「衛生兵! 傷を消毒しろ!」
「はっ!」
傷にアルコールをぶっかけられる。
沁みる。
みんな遠慮なくアルコールをかける。
もうズボンまでびしょびしょだ。
寒い。
春とはいえまだ初春なのだ。
「魔術兵! 魔力の残っている者は治癒魔術を頼む! 解毒もだ!」
今度は魔術兵に取り囲まれて色々な魔術を重ねがけされる。
貴重な体験だが特に身体に感じるものはない。
温かくなると助かるんだけどな。
「お主らも頼む。治癒と解毒だ」
王子は騎兵にまで声をかけている。
「王子、もう大丈夫ですよ」
「もう一度だ!」
王子に怒鳴られてしまった。
これはアレか。
マジで心配してくれてるのか。
ゴツい騎兵に囲まれて順繰りにまた治療を受ける。
おお、この人は俺に取り付いたコウモリを切ってくれたロレンツォさんだ。
「ロレンツォさんありがとうございました」
俺はペコリと頭を下げる。
あ、頭を下げちゃった。
いや、この場合は助けてもらったのだから頭を下げて問題ないだろう。
メイドや馬子ではなく騎兵だし。
「お礼を言うのはこちらの方だ。よく裸になるなんて思い付いたな」
「ええ、どうも薄着な方が狙われるっぽかったんで、、、」
「大した度胸だ。感謝する」
ロレンツォが立ち退くと後ろから仁王立ちしたクラウディオ王子が現れた。
「あ、王子。ご心配おかけしました。ありがとうございました、、、」
「貴様、負けが決まっていた儀礼の勝負にもかかわらず命を投げ出してどうする?」
「いやあ、、、」
「しかも命令にない行動を勝手に取りおって、、、」
「あ、、、」
「命令を下すのは私だ。この小隊の隊長は私なんだからな」
「それは、、、済みませんでした!」
俺は座り直し手を付いて頭を下げた。
なんだかんだ俺は頭を下げてるな。
そうこうしていると、バルベリーニ側からヘルメットを取ったフルアーマーの兵が近づいてきた。
「面白いことをしているな」
この声は、、、
「長官?」
「姉君?」
煮える石畳の陽炎を背中に東方統括部長官その人が立っていた。




