斬る
何だかんだ落ち着いた頃には日が暮れていて、それからカレンの大籠に揺られて街の近くまで戻る。遅くなった事もあり、アディの好意で、彼女の泊まる宿屋の一室を無料で融通してもらった。
ナタリアと別室だったのは彼女の配慮だったのであろう。
翌日、俺とナタリアはアディの部屋に呼ばれる。
「さて、本日、私達は旧大陸に戻ります。ナタリアの無事は確認されたのですからね。これで、あの雌猫も落ち着きを戻すでしょう」
アディはフロン姉さんを雌猫と完全に卑下している。分かる。アディほど高潔な人間からすると確かにフロン姉さんの下品な言動は許せないだろう。
言い終えて、アディは何かを思い付いた様に少しだけ眉を上げた。
「……あっ、雌猫……そういう事で御座いますか。ナタリアを眷属に……。メリナさんはそれに気付いてか。なるほど、それでレオンの血に排呪の効果ね。直接に掛ければ宜しいのに……ふぅむ、メリナさんも余計な配慮をするようになったもので御座います……」
アディは急にブツブツと呟きだした。
あえて、俺達に聞かせているのか?
「どうした?」
「いえ、時の流れは狂犬をも成長させるのだと感心していました。いずれお二人も分かるでしょうから、私からは言いません。で、すみません、話を戻します。お二人もご一緒に戻りますか?」
船賃も出して貰えるのか。有り難い。いや、しかし、本当にそれで俺は良いのか。
「レオンも戻るよね。で、村で幸せな家庭を作りましょう」
ナタリアは喜んでいる。当然だろう。
だが、俺は落胆させるかもしれない返答を口にする。
「……すまない、ナタリア。親っさんの開拓を見届けてからにしたいんだ。まだ別れも言っていないしな」
「そんなの、いいじゃん。親っさんなら大丈夫だよ。砂金が出たんだし」
あっ、ナタリア、それは秘密の方が良かったんでは。
「ふむ。砂金ですか。興味深いです」
アディは柔らかに言う。しかし、下心は隠せていない。
「いや。でも、冒険者ギルドのギルド長も狙っているから、アディの物にはするのは難しいと思うぞ」
俺はアディに釘を刺す。幾ら武力に自信があろうとギルドと言う組織を敵にすることは良くない。身を滅ぼす事になる。
そもそも、親っさんの所有物だしな。
「誤解が御座います、レオン。私はその開拓者を保護しましょう。新大陸のより良い発展に寄与するのでしょうからね」
アディの真の目的、恐らくは国家の転覆については実際には聞かされていない。彼女が喋るはずもない。
俺も白を切るのが礼儀だと思う。アディには世話になった。彼女の計画に協力はしないが、邪魔もしないでおきたい。
また、俺が秘密に勘づいている事を知れば、大それた計画の漏洩の危険性から敵対してしまう可能性さえある。
そして、親っさんの身に直接の危険が向かないのであれば、アディの耳障りの良い言葉を止める理屈を俺は持ち合わせていなかった。
親っさんなら、アディとも上手くやってくれるだろうし、ギルドとアディの軋轢は本人の責任で何とかしてくれると信じるしかない。
善は急げとばかりに、彼女は馬車を取ってくると言って、少し嬉しそうに部屋を出ていった。また、あれに乗らないといけないのか。
「カッヘルさん、元気そうで良かったわ」
あぁ、確かに昨日の失言からしたら、もっと窶れていて良いかと思ったな。カレンの咆哮を浴びても回復が早かったし、並み外れてタフなのだろう。
「あぁ、気遣ってもらって悪いな。ワッタが優れた魔法薬をくれた。そのお陰だ。それにアディはそこまで怒っていない。本人も鬼で行き遅れなのを自覚しているしな。昨日のあれは半分演技だ」
逆に考えると、半分は本気なんだろ。やはり、かなり辛い失言だったと思うぞ。
「それよりも俺はワッタの情報を上げた。スーサという悪友がいて、そいつはナドナムの娼館に出入りしている。これは大きな収穫だし、俺の功績になる。なぜなら、数年前に突然シャールに現れたワッタ一味の足掛かりになるのだからな。……うわ、思い出した。あの時も大変だったんだからな。あの化け物娘が気になるって我が儘言うから、シャールのギルド長に探らせたり、元情報局員をけしかけたり。あっ、アディじゃない化け物の方な」
色々と事情が有りそうだが、俺には関係ないな。
階下から馬の嘶きが聞こえて、俺達は覚悟を決めながら下に降りた。
過激な馬車にも二度目ともなると少し慣れたのかもしれない。少しの休憩の後、ギルドの前で俺は体のふらつきが戻ったことを再確認する。カッヘルも何とか立てそうだ。
しかし、ギルドなんだな。まずは話を付けに来たのか。そんな簡単なものではないと思うのだが。
扉を開けるとカーラがいつもの通りに座っていた。少なくない冒険者もいて、俺達を見る。
「おっ、ナタリア! 久しぶり! レオンと復縁したのか。良かったな!」
「レオン! お前、腹に子供がいるヤツを振って、成金男に走ったらしいな! この鬼畜が! 寄りを戻してなかったらぶっ殺してやったぞ」
「結婚式には呼べよ。エスリの葬式の時みたいに酒と肉をたっぷりと用意しておけ。全部、平らげてやるからな! ガハハハ」
「ナタリア、大丈夫? レオンは男も行ける口ってジョディとアレンが言ってたわよ……」
「今日、暇なら俺達と洞窟に行かないか? ハンスみたいになりてぇんだ。あっ、レオン、報酬は俺の尻じゃねーからな。期待すんなよ」
次々と声を掛けてくれる。俺への謂れのない誹謗も多くて、後でゆっくり誤解を解かないといけない。
ジョディには酒をかなり奢って貰わないといけなさそうだ。
しかし、今はアディの用件を優先する。
軽くそれぞれの冒険者に返してからカーラの元へと彼女を案内した。
「あら、無事で良かったわ、ナタリア」
「ありがとう、カーラさん」
カーラとナタリアがまずは挨拶をする。それから、カーラはアディを見る。じっとアディを見詰め、少しの沈黙の後に俺へと向く。
ほんの僅かにカーラの動揺を感じたが、非常に珍しい。彼女は動じない性格であるのに。
カーラはアディに視線を戻して、問う。
「此のような所に何用で御座いましょうか……?」
口調がいつになく丁寧だ。少しぎこちない。
「ギルド長はいらっしゃいますか?」
「はい。上階で御座います。お呼び致しますね。もてなしもなく、お待たせすることになり申し訳ございません」
「お気遣いなく。私が向かいましょう」
アディとカッヘルはカウンターに勝手に入り、階段を進む。堂々としていて、カーラが止める間もなかった。
いや、カーラはそれを気にしていなかった。カウンター越しに俺の胸元を握って引き寄せる。怪力だ。俺は抗えずに、ちょっと足が浮いた。
「ちょっ! レオン君、あの人、どうしたのよ!? 誰よ!?」
小声で、しかし、かなりの迫力でカーラは俺に尋ねてくる。
「シャールの竜の巫女のアディだ。ナタリアに用があって、新大陸に来ていたらしい」
「カーラさん、お察しの通り、アデリーナ様です」
「竜の巫女のアデリーナ? うわっ、似てるって思ったけど、本物じゃない! えー、何それ、ナタリアちゃんと知り合いだったの!?」
周りに聞かれない感じでの囁き声なのに、カーラの驚きは伝わってくる。やっぱり竜の巫女って言うのは尊敬されているんだな。
カーラが聖竜様を信仰しているとは知らなかった。
しかし、興奮の余りに握る拳が強すぎて、俺の首が絞まりそうなのに早く気付いて欲しい。
「黙っていて、ごめんなさい。私が一方的に慕っているだけかと思っていまして。でも、アデリーナ様は私の事を覚えていてくれたんですね。嬉しいです」
「ちょっと! レオン君! 貴方達が凄く高貴な人に思えてきたわよ!」
手を離してから言え。
俺はカーラの拳を軽く叩いて苦しみを伝える。それで、ようやく解放された。
「ふぅ。そうかい。ありがとな。じゃ、俺達もアディの護衛に行くな」
「……ええ、凄いわね、護衛なのね……」
カーラの大袈裟な言い振りに疑問を持つが、俺は階段を急ぐ。
カッヘルだけがギルド長の部屋に入ったらしく、アディは扉の前で立っていた。
「まずは彼への教育で御座います。相手に恐怖を与えて戦闘を出来るだけ楽にする訓練で御座います」
何を暢気な事を言ってるんだ。俺は、構わず中に入る。
「誰だ!? そいつも含めて勝手に入ってくるな! カーラは何をしている!?」
大男の背後に隠れているくせに、細面に血管を浮かべてギルド長が激怒していた。
カッヘルは無事だな。
以前にここに案内された時はギルド長の従者は二名だった。内一人は親っさんの開拓地で、俺が足を痛め付けたから療養中なんだろうな。
「まぁ。落ち着いてくれ。悪い話じゃない。いや、やっぱ、悪い話かもしれんな」
猛るギルド長を気にする様子もなく、カッヘルは黒革のソファに座る。しかし、相手は警戒と怒りを収めずに立ったままだ。
カッヘルは構わず腰の剣を抜いて、前のローテーブルに投げ置く。刃が煌めいた。
剥き出しの剣は脅しのつもりか? それとも丸腰であることを無言でアピールしているのか。
「この周辺で砂金が出たそうじゃないか。それは俺達のモンだ、と言えば、語弊があるが、少なくともお前達のモンじゃねー。退け」
交渉どころじゃなくて、ただ単に要望しただけだな。
「何を仰有るのかと思えば、ねぇ?」
相手の要求が分かってギルド長も安心したようだ。従者に厭らしく確認を求める。
斬り合いが始まるな。
俺も剣を抜こうとして、無い事に気付く。いつも、ここにナタリアがいたのに、すっかり忘れていた。
仕方ない。狭い室内だ。素手でも何とかなるだろう。
大柄な男はカッヘルに一歩近付き、剣を抜き打つ。が、それはカッヘルの誘いだったから、簡単に対応される。彼は懐から出したダガーを放り、肩に刺す。
結果、男は剣を握る力を失う。
「武器が一個とは思うなよ。戦場なら殺していたぞ」
「それはこちらもですよ」
ギルド長は無詠唱魔法を唱えたのか。突然、頭の大きさくらいの火球が宙に浮かぶ。
「死ね!」
カッヘルを襲う。
「可愛らしい火の玉だな」
チッ!
カッヘルには子供がいたんだよな。強がっていても、俺が身代わりに受けるしかない。
体を滑り込まそうとした時に扉から骨の剣が投げ込まれる。アディか!
俺は回転しながら飛んでくるそれの柄を正確に掴み、勢いを保ったまま、火球を切断した。カッヘルの頭を少し掠り、短い髪の毛がより少し短くしてしまったかもしれない。
火球は消える。そのタイミングでアディが入ってきた。
「私の武骨な部下が粗相を致しまして、どうも申し訳ありません。お初にお目にかかります。アデリーナと申します」
「貴様達! この俺に逆らってこの街で生きていけると思うなよ! それから、お前! レオン・ハウエルだな! 奴隷が市民に刃向かった罪は重いぞ!」
ヤツは焦りからか余裕のある言葉遣いではなくなっていた。
「いえいえ、貴方の罪に比べれば全く、全然、些かも重く御座いません。王国の民を守るのは我が使命でありまして、傲慢にもそれを害する貴方を排除する権利を私は持っております。さて、今回の騒動が貴方個人の問題なのか、はたまた組織の問題なのか、それは後日調査を致しますね。しかし、私としては利用価値が有るのであれば、罪悪の軽重は問わない方針ですのでご安心下さい」
アディの声は透き通る様に綺麗だったが、有無を言わせない強さがあった。ギルド長も怖じ気づく。
だが、少し考えれば、ただの小娘の戯れ言と気付く。ギルド長もそうであった。
「黙れ、クソが! 殺すぞ!」
ギルド長は叫ぶ。
「……クソで御座いますか? 私をクソと呼ぶ? ほう? ……過去の様々な思いが溢れそうで御座います。この胸は悲しみと怒りで重たく沈んでしまいます。……薄汚い口で私に語りかけるな、愚民がっ!」
ギルド長はアディの気迫に押される。それでも、剣を抜き、こちらへ向ける。
アディはたじろがない。
カッヘルも立たずには俺を見る。それから、顎で行けと俺に示す。
ギルド長はアディを斬ろうと剣を振り上げていたが、俺はナタリアが変化した骨の剣で一閃した。
ナタリアが化けた骨の剣は物質には影響せずに魔力だけを切る。ギルド長も血を流すことは無かったが、気を失って倒れた。体内の魔力の流れを俺が首で断ち切ったからだろう。
アディもカッヘルもギルド長を容易く制する事が出来たのだろうが、俺に斬らせてくれたのだと思う。俺は雪辱を果たせたことに、心の中で感謝した。




