第8章ー11
ア・コルーニャ攻撃に展開したスペイン国民派軍は、「白い国際旅団」2万人を主力とする約3万人だった。
一方、防衛側のスペイン共和派軍は5000人に満たない、と日本空軍から派遣された義勇航空隊の偵察情報等は報告していた。
「おそらく、スペイン共和派は、ア・コルーニャを事実上、見捨てたな。時間をかけ過ぎたか」
土方勇志伯爵は、作戦会議の場で少し嘆いた。
ア・コルーニャにスペイン共和派軍を少しでも誘致し、潰そうと考えたのだが、相手が上手だったらしい。
実際、ア・コルーニャをはじめとするガリシア地方は放棄し、オピエドを中心とするアストゥリアス地方で主に抗戦することを、トハチェフスキー元帥をトップとするソ連軍の軍事顧問団が、スペイン共和派政府に対して主張した結果、ガリシア地方の部隊の多くが移動し、ア・コルーニャに残っていたのは、故郷で戦って死にたい、と残ったガリシア地方出身の一部の部隊だけだった。
「仕方ない。速やかに攻撃して、ア・コルーニャを落とし、オピエド方面に向かおう」
土方伯爵はそう決断し、子飼いの精鋭と言える日本人義勇兵2個旅団を、先鋒として投じることにした。
アラン・ダヴー少尉は、日本人義勇兵第1旅団と、日本人義勇兵第2旅団が競うように、ア・コルーニャ攻撃を早朝から行うのを、後方から事実上、眺めていた。
その横には、ピエール・ドゼー大尉もいる。
「教科書通り、といえる攻撃だな」
ドゼー大尉が、半分、独り言で言った。
日本人義勇兵旅団の攻撃だが、事前に空爆を加えて、防御拠点を潰し、更に砲撃の支援の下、歩兵を突撃させる。
ア・コルーニャ防衛に残っていたのは、主に労働者上がりのガリシア地方の民兵隊のみだったようだ。
市内の建物を防御拠点にして、懸命に抗戦しているが、いわゆるプロとアマの違いが出ている。
日本人義勇兵が豊富な実戦経験を持つと言っても、さすがに、日露戦争に従軍した古参士官は、土方大将くらいらしいが、世界大戦となると中佐クラス以上は、ほぼ全員従軍しているし、それから後も対中戦争で鍛え抜かれた士官、下士官が、この場には派遣されている。
少しでも防衛側に隙があれば、各部隊が独自に展開して、攻撃を行っていく。
やっとの思いで入手した双眼鏡で、ダヴー少尉とドゼー大尉は、ア・コルーニャへの攻撃を望見しているのだが、どう見ても予備の自分達の部隊が投入される必要は無さそうだった。
「これは、1日で落ちますね。自分達は眺めるだけに終わりそうだ」
ダヴー少尉は、ドゼー大尉に問いかけるというより、確認するように言った。
「全くだな。戦場なので気を抜くわけには、いかんが。少尉の言うとおりになりそうだ」
実際、ア・コルーニャの防衛隊は、日没近くまで半日に渡って抗戦したが、一部の部隊が小舟に乗って脱出した以外は、全員が戦死、または投降する羽目になった。
日本人義勇兵もそれなりに死傷者が出たが、土方伯爵の判断では許容範囲に収まった。
何よりも、半日の戦いで、ア・コルーニャが落ちたという宣伝効果を、スペイン国民派は得ることができたのである。
これは、ガリシア地方からスペイン共和派の拠点が一掃されたことも意味していた。
そして、ドゼー少尉達は新年をア・コルーニャで迎えた。
一方のスペイン共和派の北部戦線の諸部隊は、昏い気持ちで新年を迎えることになった。
確かに軍事的には止むを得なかったが、まさか半日でア・コルーニャが、という想いがしてならなかったのである。
年明けには、ア・コルーニャをすぐに落とした「白い国際旅団」の諸部隊が、アストゥリアス地方へ向かってくるだろう。
彼らを食い止められるだろうか、という想いを彼らはしていた。
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