第7章ー8
実際、スペイン内戦に際して、フランスからは、「白い国際旅団」にも、「赤い国際旅団」にも義勇兵が国民が参加している。
だが、「赤い国際旅団」に参加した者の数の方が多かったのが実態だった。
諸説あるが、一番信憑性が高いとされる説が、フランスからは、「白い国際旅団」には、3000人余りが参加する一方、「赤い国際旅団」には、9000人近くが参加した、という数字である。
つまり、「赤い国際旅団」の方に、フランスからは2倍以上、3倍近い参加者がいたことになる。
1936年当時、フランス国内に、共産主義がかなりはびこっており、当時の日英政府の一部が、フランスが赤く染まるのではないか、と懸念したのが、決して杞憂では無かったのが、よく分かる数字である。
実際、アラン・ダヴー自身が、「赤い国際旅団」に所属しているフランス人義勇兵とスペイン内戦時において銃撃を交わして、相手のフランス人義勇兵の命を奪っている。
ダヴーがスペインの地で命を奪った国の人間の1人は、フランス人だったのだ。
ダヴーは、その事を心に一生刻み込んで生き抜いた。
ちなみに、土方勇志伯爵ら、日本人義勇兵の幹部にとっては、1936年10月の時点では、別の事が重大な懸念になっていた。
「赤い国際旅団」に、多くの外国人が参加することは、土方伯爵らには、自明の事柄であり、英米からも参加者が出ることは、事前に彼らにはある程度は分かっていた。
日本はともかく、英米には治安維持法はないし、表向き、共和派が民主主義の信認を得たスペインの正統政府なのである。
スターリンが、
「スペインの民主主義を守りたい者は、「(赤い)国際旅団」に参加して、共に戦うのだ」
と民主主義の守護者として振る舞えば、英米の民主主義者が、喜んで「赤い国際旅団」に参加する事態は十二分に予測されることだった。
実際、ヘミングウェイやマルローといった米仏の文化人も、赤い国際旅団に参加している。
彼らは、スペイン内戦が終結した後、スペイン内戦の共和派は、共産主義者では無く民主主義者が集っていたのであり、国民派は反民主主義者の集まりであった、という宣伝を行い、スターリンが民主主義の守護者であるという誤解を、世間に拡散させる一因となるのである。
だが、その外国人の一部が、土方伯爵らにとっては問題だった。
「この情報は、間違いないのか」
土方伯爵は、手元に届いた日本からの情報を読み返して、難しい表情をした。
「日本軍情報部が、英国情報部からも裏を取った情報です。間違いない情報だと思います」
日本軍義勇兵の幹部の一人が発言した。
「本当に、独は、ソ連と協調して、スペイン内戦に介入するつもりなのか」
土方伯爵は、渋い顔をしながら唸った。
日本からの情報は、恐るべきことを述べていた。
独から「赤い国際旅団」に、既に1000名以上が参加しているとの情報が届いていたのである。
(これまた諸説あるので、確かな数字ではないが、併合前のオーストリアから参加した者も含めるならば、独からは最終的に、約3000人余りが「赤い国際旅団」に参加したというのが通説である。だが、その一方で、5000人が「赤い国際旅団」に少なくとも参加したというかなりの有力説もあり、甲論乙駁の議論になっている。)
「この1000名以上が、実は我々と同様に義勇兵の皮を被った軍人の集団で、スペイン共和派に独からの軍事顧問団として派遣されているのだったら」
土方伯爵らは、りつ然とした思いに駆られていた。
既に、独からスペイン共和派への武器売込みは確認されている。
独ソは、スペイン共和派を支援するのか。
やはり、独の反共は擬態なのか。
土方伯爵らの疑念はより高まった。
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